空飛ぶ弁護士のフライト日誌 京都法律事務所
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空飛ぶ弁護士のフライト日誌

空飛ぶ弁護士のフライト日誌ログ─DAY9:この世でいちばん美味しかったもの 

                             機長:古川美和

 生まれてきて口にした物の中で何が一番美味しかったか―こう聞かれて,すぐに頭に浮 かぶのは,あのクリスマスの木曽川で飲んだ,灰入りのコーヒーだ。  私たちが普段フライトに使っていた木曽川滑空場は,河川敷の占有許可を取って,学生 たちが代々草刈りをしたり,或いは草を植えたり,土嚢を積んで道を補修したり,泥と汗 にまみれて綿々と維持してきた手作りの滑空場である。  ここにはいろんな物が置いてある。夏用のテントや土方作業用のスコップ,土嚢袋,ワ イヤーカッター,ニコプレスといった機材を積んで置いておく機材車や,ウインチ曳航を するためのワイヤー索を機体の前まで引っ張ってくるリトリブカー,8人乗りのワゴン車 など,10台近くの車が置いてある。中には荷台に簡易トイレを積んだ軽トラ,通称「バ バトラ」なんてモノまである。  それから,機体=グライダーも,2〜5機くらい地面に係留してある。  あとは,「ウインチ」が3台くらい。ウインチとは,グライダーを繋いだ鋼鉄の索を巻 き取って,凧揚げの要領で上空に飛ばすための巨大な「巻き取り機」であり,大型トラッ クの荷台の床板に穴を開け,別のトラックのエンジンと,巨大なドラムと,ウインチの操 縦席としてトラックの運転席を積み込んで組み立て,あちこちをボルトで締めたり溶接し たりして作ってある。恐ろしいことに,これも学生の手作りなのである。何せお金がない, 暇だけはあるということで,廃車にするトラックやらエンジンやら部品をもらってきて, 必要最低限の物は買ってきて,昔の学生たちが作ったものを,修理しながら大事に使って いるのだ。  さて,普段はランウェイに置きっぱなしで,1週間毎に合宿をする大学が交代する間も, 引継をしてそのまま使っているこれらの機材。これを全部,約4km離れた宿舎まで引き 上げるときがある。それが「総撤収」と呼ばれるものである。  基本的には,合宿がなくなってしまう学生の試験期間中だとか,年末年始などに行われ るが,やれ台風が来た(ランウェイが浸水して水浸し→グライダーがぷかぷか浮いちゃう) ,大雪が降りそうだ(雪がグライダーに積もる→機体が折れてしまう)という非常事態に も,その合宿に教えに来ているOB教官が判断をして,「うむ,では,総撤収しよう。」 ということになる。  言うはやすし,行うは大事業。限られた人数で,機体を次々にばらし(解体し)たり, 車をどんどん宿舎に持って行くのだが,悪路で時間がかかる。車はみんなナンバーなしだ から,一応公道を走るときにはそれぞれナンバーの付いた車を前に走らせてロープをたら し,牽引されているようにみせかけるので,大行列になる。  中でも大変なのが,ウインチの撤収だ(ホントは,悲惨さで上回るのは,大量の汚物を 溜め込んだ「ババトラ」の撤収で,これができる人は「ババ認定」といって,総撤収合宿 のときに重宝されるというくらいのシロモノなんだけど,ここでは割愛します。)。  その冬,私は新進気鋭の(?)女性ウインチマン(ウインチウーマン,というべきか) として,合宿に参加していた。12月23日の夜,急に冷え込んできて,翌朝起きると, 富山県出身の私にはなじみの深い,鉛色の雲が広がっていた。学生の間に広がる嫌〜な予 感。案の定,お昼前には粒の大きい,重そうな雪片が,ほたっ,ほたっと落ちてきた。天 気図や気象台の情報を取り,「総撤収ー!」の号令がかかる。雪の降るスピードは速く, あっという間に全長約1.2kmのランウェイは真っ白になってしまう。  私はウインチ側にいて,黙々と撤収作業を進めていく。合宿に参加している数十人の学 生のほとんどは,ウインチがあるランウェイエンド(滑走路の端)とは反対の「ピスト側 」にいて,ウインチ側にいるのはウインチマン1〜2名と,リトリブカーを運転する「リ トマン」がときどき来るだけ。普段のウインチ側は,あくせく機体を押したり重い荷物を 運んだりするピスト側の学生と比べて,お菓子食べ放題,漫画読み放題のウインチマン天 国なんである。ただし,一旦ウインチのトラブルが起こると(「ウインチ赤(あか)ー !!」)夜を徹しての作業になる。  その日,私と4回生の先輩ウインチマンは,降りしきる雪の中,ドラムに索を巻き取り, 錆びないように真っ黒の廃油をかけ,巻き取り機やローラーベアリングにグリースを盛り 付けて(塗り付け,などという可愛らしいレベルではない)シートを被せ,せっせと撤収 した。普段の一日の訓練の終わりであれば,それだけで済むのだが,総撤収の場合はこの ウインチが乗っている台車のトラックを運転して,宿舎の駐車場に運んでいかねばならな い。3台のウインチのうち,2台をそれぞれ1人ずつのウインチマンが運転して,宿舎へ 出発する。  道はもの凄い悪路(某ト○タ自動車のテストドライバーをしているOB教官曰く,「こ の道は『マレーシアレベル』だな」),そこをナンバー車に牽引(の振りを)されながら 時速8kmくらいで慎重に運転していく。やっと宿舎に着いて,もう1台のためにランウ ェイに帰ってきたときには,もう夕方4時過ぎになっていた。冬至のころで,一面の雪雲 のせいもあり,薄闇が迫っている。  ところが3台目のウインチのエンジンが,かからない。ウインチのバッテリーは,普通 車の12Vのじゃなくて,24Vの大型バッテリーをさらに2つ繋げて48Vにして使っ てるんだけど,これも廃車から取ってきた古い物だったりするので,ものすごく弱い。キ ーを回しても,セルモーターが回る「とぅるる・・」という微かな振動はあるものの,本 体のエンジンがちっともかからない。そのうち,セルすらうんともすんとも言わなくなっ てしまった。ウインチ本体のエンジンがかからないなら,索をリトリブカーで無理矢理引 っ張って,「押しがけ」ならぬ「引きがけ」をするという荒技も使えるんだけど,台車の 押しがけは数十人もいないととても無理だ。  雪はしんしん振り積もり,もう5pにはなろうかという状態。5時近くになって,ほと んど雪明かりだけ,真っ暗だ。体は冷え切って,バッテリーの端子を回す手もかじかんで うまく力が入らない。どうしよう。このままかからなかったら,帰れないよ・・。ほとん ど泣きそうになっている私に,先輩ウインチマンが手渡してくれた,こわれたミルクパン に入ったコーヒー。どんなときでもどんな悪条件下でも,焚き火をおこせるのがウインチ マンになれる条件なんだ。先輩は,雪をかき分けて新聞紙に廃油をかけ,焚き火をおこし てくれていた。ミルクパンを直火にかけて雪を溶かして湯を沸かし,インスタントコーヒ ーの粉と砂糖をぶち込んだだけのコーヒーだったけど,新聞紙の灰がいっぱい入っていた けど,五臓六腑に暖かさが染みわたって,体がするすると溶けていってしまいそうな味だ った。  結局,バッテリーの+端子と−端子をドライバーで直結する,という恐ろしいショック 療法でエンジンはかかり,やっと宿舎に帰り着いたときには8時近くになっていた。  そのときは,もう二度と冬のウインチマンなんてやるもんか,と思ったけど,10年経 った今でも,あの焚き火の暖かさと灰くさいコーヒーの味はクリアに覚えているし,あれ より美味しい物は口にしたことがない,と思う。                            弁護士 古 川 美 和 







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