1 事実経過
京都市は2019年4月8日、2019年度に18歳・22歳に達する市民の住所・氏名の宛名シールを、本人同意なしに自衛隊京都地方協力本部(以下「自衛隊」という)に提供した。
これには、憲法上のプライバシー権ないし自己情報コントロール権の侵害、市が法的根拠とする自衛隊法97条と同法施行令120条は本人同意なき個人情報提供の適法要件たる「法令の定め」に該当しない、という法的問題があった。
これに対し、京都市個人情報保護条例(以下、「条例」という)に基づき、3人の市民が個人情報の利用停止請求を行ったが、上述のとおり市は利用停止しないと決定し宛名シールの提供を強行した。これを受けて、2019年4月3日、上記の3人の市民が京都市情報公開・個人情報保護審査会(以下「審査会」という)に対し、個人情報非利用停止決定処分の取消を求めて審査請求を行った。
この問題は2020年2月2日投開票の京都市長選でも争点となったが、選挙後の同年3月5日、審査会は、市の処分は妥当との不当な答申を行い、同月30日、京都市長は、この答申をほぼなぞる形で審査請求を棄却する旨の不当裁決を行った。
【答申個第95号 自衛隊京都地方協力本部に対し提供される宛名シール(非利用停止決定)】https://www.city.kyoto.lg.jp/sogo/cmsfiles/contents/0000113/113961/ko95.pdf
この問題については、本ブログでも詳論したが、本稿ではこの審査会の決定の問題点を中心に述べる。
2 「法令の定め」の意味に関する解釈運用
(1)京都市の解釈
本件の最大の論点は、自衛隊法97条と同法施行令120条が、本人同意なき個人情報提供の適法要件たる「法令の定め(条例8条1項1号)」に該当するのかという点である。
この点、京都市は「個人情報保護事務の手引き(以下「手引き」という)という内部文書により、「法令で目的外の利用,提供をすることができることを明文で定めている場合」のみならず「法令の規定の趣旨,目的により目的外の利用,提供をすることができると解される場合も含む」と幅広く解釈すると定めている。
【京都市・個人情報保護事務の手引き】 https://www.city.kyoto.lg.jp/sogo/cmsfiles/contents/0000084/84692/R204_kojinjyoho_tebiki.pdf
(2)他市の解釈
しかし同じ政令市でも、千葉市では「個人情報保護事務の手引」の中で、「提供できることを条文上又は解釈上明らかに定めている場合に限る。提供が実施機関の判断による場合は含まない」と明記し、「提供できる」旨の規定に基づく提供は、裁判所による調査嘱託や送付嘱託、刑訴法上の捜査事項照会、弁護士法に基づく照会等に限定している。
また大阪府の個人情報保護条例解釈運用基準でも、「法令又は条例の規定に基づくとき」とは、個人情報の目的外利用又は提供が義務付けられている場合に限る」と厳格に解釈している。
https://www.city.chiba.jp/somu/somu/seisakuhomu/shisei/documents/k-tebiki01.pdf
【大阪府・個人情報保護条例解釈運用基準】
http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/4507/00020299/kaishaku300401.pdf
(3)京都市の解釈の問題点
本来、個人情報保護の観点からは千葉市や大阪府のような厳格解釈があるべき態度である。京都市の解釈では、法令の趣旨、目的の解釈の仕方次第で、同意なき個人情報の目的外利用の範囲が如何様にも伸び縮みすることになる。これでは余りにも要件が曖昧すぎるだろう。
(4)審査会の答申
この点、審査会は、自衛隊法及び同法施行令の規定上、自衛隊が個人情報を資料として提出するよう求めることができるとは明示されていないと認めた。
しかし審査会は、上記の市の幅広解釈を引用した上で、国は自衛隊法及び施行令により市町村長に対し個人情報の提出を求めることができ、市町村長が募集に必要な資料を自衛隊に提出することはそれらの規定に基づいて遂行される適法な事務であるとの国の見解があること、施行令に基づく事務は地方自治法施行令1条及び別表1により法定受託事務とされ、国が本来果たすべき役割に係るものでその適正な処理を確保する必要があるものとされており、それについて国自身が示している公式見解は市町村にとって大きな意義を有していることを理由に、たとえ国の見解への異論があったとしても、市が自衛隊法及び施行令を「法令の定めがあるとき」の根拠としたことは条例に反するとは評価できないと判断した。
(5)審査会答申の問題点
しかし、審査会答申は、「法令の定め」の解釈に関する「法令の規定の趣旨,目的により目的外の利用,提供をすることができると解される場合も含む」という市の幅広な解釈が、個人情報保護の観点から正しいのかについて完全に判断を回避した。これでは個人情報保護の役割を放棄したといわれても仕方あるまい。
また法定受託事務だから国の公式見解が重要であり、自治体がそれに従うのは違法でないと言うのはある種の国家無謬論だろう。荒唐無稽な理屈でも国には従うべきというに等しく、憲法論として極めて疑問である。市の審議会は、国に忖度するのではなく個人情報保護という本来の任務に即して条例に関して積極的な解釈を示すべきであった。これでは国と地方の対等協力関係を謳った地方分権一括法の趣旨に悖るものとの批判を免れまい。
3 個人情報の目的外提供が義務づけられていない場合の提供の要件
(1)京都市の立場
上述のように、京都市の解釈では、条例8条1項1号の「法令の定め」とは、個人情報の目的外提供が義務づけられていない場合も含むとされているが、その場合、手引きでは、同条1項5号の「公益上特に必要があり、かつ、本人の権利利益を不当に侵害するおそれがないと認められるとき」の例として列挙された類型に該当するか否かを判断するとされている。
この5号類型は、「法令に基づいて、必要な限度で個人情報を提供する場合。ただし本人の権利利益を不当に侵害するおそれがないと認められる場合に限る」と規定される場合である。これに関して、京都市は手引きに、裁判所からの文書送付嘱託等、会計検査院からの帳簿提出要求、税務署の質問・検査、訴訟当事者からの照会、弁護士会照会、捜査機関からの照会という個別的類型に加えて、「法律若しくはこれに基づく政令に基づき、国の行政機関等からの個別的かつ具体的な指示により文書等を提供する場合」という極めて曖昧な包括的類型を忍び込ませている。
これは上述のとおり、千葉市が「個人情報保護事務の手引」の中で、個人情報を「提供できる」旨の規定に基づく提供は、裁判所による調査嘱託や送付嘱託、刑訴法上の捜査事項照会、弁護士法に基づく照会等に限定していることと対比すると大違いである。かかる包括類型は個人情報横流しに関する広範囲の抜け道を設けるもので、個人情報保護の観点からは極めて問題である。
(2)審査会の答申
ア 審査会は、この包括類型に沿って、自衛隊は募集対象者情報の提供にあたって具体的に対象者を絞り込んだとか、提供方法も紙媒体にて提供するよう具体的に指定されていると述べて、「個別的かつ具体的な指示により文書等を提供する場合」に該当すると判断した。
イ そして、「必要な限度で個人情報を提供する場合。ただし本人の権利利益を不当に侵害するおそれがないと認められる場合に限る」という手引きの定めとの関係では、提供情報が4項目(住所・氏名・性別・生年月日)から2項目(住所・氏名)に限定されたこと、自衛隊に個人情報が残らないよう覚書を交わして個人情報の返還を求め実際に返還を受けていること、従前の住民基本台帳の閲覧・書写よりも提供情報が限定されること、個人情報の使用停止請求があれば事実上宛名シールから除外していること等の事情を挙げて、問題なしと判断した。
(3)審査会答申の問題点
ア しかし、5号類型の具体例として列挙されている裁判所からの文書送付嘱託等は個別事案に関する特定の文書の提供を想定したもので、18歳22歳の市民全員の個人情報を一律に提供するという広範な情報提供とは質的に異なる。これで上記アのように「個別的かつ具体的指示」があったというのは、牽強付会の誹りを免れまい。
イ また、上記イについては結論ありきの認定と言うほかない。本来、この5号類型とは、「公益上特に必要があり、かつ本人の権利利益を不当に侵害するおそれがないと認められるとき」を言う(条例8条1項5号)。本件では2万6000人以上の個人情報が、本人の同意なしに自衛隊に提供されたわけだが、これが「公益上特に必要があり」と言えるのか答申では全く言及されていない。
また項目が2項目になろうが自分の情報を横流ししてほしくないという市民の権利利益が害されている事実は消えない。
また後述のように市が自衛隊と交わした個人情報の目的外利用を禁ずる覚書には「本業務」の定義規定がないため、「本業務」以外への利用を抑止できないという規定上の不備もあった(それは審査会も認めている)。個人情報の返還を受けたというが、返還されたのは紙媒体であり、情報自体が返還されたわけではなく自衛隊側がコピーを取っていないという保証はない。情報保全隊による違法な国民監視活動が確定判決(平成28年2月2日仙台高判判時2293号18頁)で認定されている自衛隊に対して、このような性善説に立つのは余りにも無邪気すぎる。
さらに利用停止請求がなされたときは事実上宛名シールから除外されたから権利利益を侵害するおそれがないと言う点については、後述のとおり、審査会自身が条例に基づく利用停止請求は宛名シールからの除外のための仕組みとして不十分だとして、より簡便で利用しやすい仕組みを構築すべきと市に注文を付けたことと完全に矛盾している。
4 個人の権利利益の侵害の判断基準
(1)京都市の定め
条例では、「法令の定め」があっても、個人の権利利益の侵害にあたる場合は個人情報の提供はできない(条例8条1項但書、同条2項)。ところが、京都市には、「権利利益の侵害にあたる場合」の判断基準の定めがない。
(2)名古屋市個人情報保護条例の解釈及び運用
この点、名古屋市個人情報保護条例の解釈及び運用では、以下のとおり判断
基準を具体的に明記している。
①提供を求める目的が明確・適正であり、かつ、当該目的の達成により
もたらされる公益が、個人情報が提供されることにより個人の権利利益
に及ぼす利益と比較して、なお上回る利益を有するものであるか。
②提供を求める個人情報の内容が目的からみて必要不可欠のものか。
③提供を求める個人情報の内容に要注意情報が含まれていないか。
④本市に提供を求める以外に当該個人情報を確認する有効な手段はないか。
かかる名古屋市の規定は、自治体による恣意的判断を予防する上で有用
なものいえよう。
【名古屋市・個人情報保護条例の 解釈及び運用】
https://www.library.city.nagoya.jp/img/oshirase/2016/z_shitei_shiyou_3_7_2_1.pdf
(3)本件との関係
本件においても、名古屋市の判断基準の④の観点からは、住基台帳の閲覧ができる以上、宛名シールの提供は個人の権利利益を侵害しないとはいえないだろう。京都市においても同様の定めを整備すべきである。
5 成果と課題
審査会は、非利用停止決定処分自体は妥当としたが、京都市が自衛隊と交わした目的外利用を禁ずる覚書に「本業務」の定義規定がないため、「本業務」以外への利用を抑止できないという不備があったことを認めて、「覚書の記載内容を改めて点検するなど、自衛隊との間で募集対象者情報適正な取扱いが確実になされるよう努めるべき」との付言を行った。
また審査会は、京都市が、宛名シールの提供を希望しない者への対応方法として、条例に基づく利用停止請求をさせていることについて、「事実上の対応を行ううえでの契機とすることに目的を置くのであれば、必ずしも条例による使用停止請求の手続による必要はない。」として、「より簡便かつ利用しやすい仕組みを構築すべきである。」との付言も行った。
審査会の答申と京都市長の裁決はいずれも全体として問題が多いが、実践的には答申のこの2点の付言は重要な意義があり、市民の運動の成果と言うことができる。これを活用しつつ、さらに市民の権利擁護の取り組みを進める必要がある。いずれにせよ、今後、京都市民は18歳22歳になると毎年自動的に自衛隊に個人情報が横流しされることになる。これが続けばあらゆる国家機関の中で、唯一自衛隊だけが膨大な個人情報を蓄積できることになる。その問題性は今後も問われ続けることになるだろう。 以上