1. 空飛ぶ弁護士のフライト日誌

空飛ぶ弁護士のフライト日誌

 生まれてきて口にした物の中で何が一番美味しかったか―こう聞かれて,すぐに頭に浮かぶのは,あのクリスマスの木曽川で飲んだ,灰入りのコーヒーだ。

 私たちが普段フライトに使っていた木曽川滑空場は,河川敷の占有許可を取って,学生たちが代々草刈りをしたり,或いは草を植えたり,土嚢を積んで道を補修したり,泥と汗にまみれて綿々と維持してきた手作りの滑空場である。
 ここにはいろんな物が置いてある。夏用のテントや土方作業用のスコップ,土嚢袋,ワイヤーカッター,ニコプレスといった機材を積んで置いておく機材車や,ウインチ曳航をするためのワイヤー索を機体の前まで引っ張ってくるリトリブカー,8人乗りのワゴン車など,10台近くの車が置いてある。中には荷台に簡易トイレを積んだ軽トラ,通称「ババトラ」なんてモノまである。
 それから,機体=グライダーも,2~5機くらい地面に係留してある。
 あとは,「ウインチ」が3台くらい。ウインチとは,グライダーを繋いだ鋼鉄の索を巻き取って,凧揚げの要領で上空に飛ばすための巨大な「巻き取り機」であり,大型トラックの荷台の床板に穴を開け,別のトラックのエンジンと,巨大なドラムと,ウインチの操縦席としてトラックの運転席を積み込んで組み立て,あちこちをボルトで締めたり溶接したりして作ってある。恐ろしいことに,これも学生の手作りなのである。何せお金がない,暇だけはあるということで,廃車にするトラックやらエンジンやら部品をもらってきて,必要最低限の物は買ってきて,昔の学生たちが作ったものを,修理しながら大事に使っているのだ。

 さて,普段はランウェイに置きっぱなしで,1週間毎に合宿をする大学が交代する間も,引継をしてそのまま使っているこれらの機材。これを全部,約4km離れた宿舎まで引き上げるときがある。それが「総撤収」と呼ばれるものである。

 基本的には,合宿がなくなってしまう学生の試験期間中だとか,年末年始などに行われるが,やれ台風が来た(ランウェイが浸水して水浸し→グライダーがぷかぷか浮いちゃう),大雪が降りそうだ(雪がグライダーに積もる→機体が折れてしまう)という非常事態にも,その合宿に教えに来ているOB教官が判断をして,「うむ,では,総撤収しよう。」ということになる。
 言うはやすし,行うは大事業。限られた人数で,機体を次々にばらし(解体し)たり,車をどんどん宿舎に持って行くのだが,悪路で時間がかかる。車はみんなナンバーなしだから,一応公道を走るときにはそれぞれナンバーの付いた車を前に走らせてロープをたらし,牽引されているようにみせかけるので,大行列になる。
 中でも大変なのが,ウインチの撤収だ(ホントは,悲惨さで上回るのは,大量の汚物を溜め込んだ「ババトラ」の撤収で,これができる人は「ババ認定」といって,総撤収合宿のときに重宝されるというくらいのシロモノなんだけど,ここでは割愛します。)。
 その冬,私は新進気鋭の(?)女性ウインチマン(ウインチウーマン,というべきか)として,合宿に参加していた。12月23日の夜,急に冷え込んできて,翌朝起きると,富山県出身の私にはなじみの深い,鉛色の雲が広がっていた。学生の間に広がる嫌~な予感。案の定,お昼前には粒の大きい,重そうな雪片が,ほたっ,ほたっと落ちてきた。天気図や気象台の情報を取り,「総撤収ー!」の号令がかかる。雪の降るスピードは速く,あっという間に全長約1.2kmのランウェイは真っ白になってしまう。
 私はウインチ側にいて,黙々と撤収作業を進めていく。合宿に参加している数十人の学生のほとんどは,ウインチがあるランウェイエンド(滑走路の端)とは反対の「ピスト側」にいて,ウインチ側にいるのはウインチマン1~2名と,リトリブカーを運転する「リトマン」がときどき来るだけ。普段のウインチ側は,あくせく機体を押したり重い荷物を運んだりするピスト側の学生と比べて,お菓子食べ放題,漫画読み放題のウインチマン天国なんである。ただし,一旦ウインチのトラブルが起こると(「ウインチ赤(あか)ー!!」)夜を徹しての作業になる。
 その日,私と4回生の先輩ウインチマンは,降りしきる雪の中,ドラムに索を巻き取り,錆びないように真っ黒の廃油をかけ,巻き取り機やローラーベアリングにグリースを盛り付けて(塗り付け,などという可愛らしいレベルではない)シートを被せ,せっせと撤収した。普段の一日の訓練の終わりであれば,それだけで済むのだが,総撤収の場合はこのウインチが乗っている台車のトラックを運転して,宿舎の駐車場に運んでいかねばならない。3台のウインチのうち,2台をそれぞれ1人ずつのウインチマンが運転して,宿舎へ出発する。
 道はもの凄い悪路(某ト○タ自動車のテストドライバーをしているOB教官曰く,「この道は『マレーシアレベル』だな」),そこをナンバー車に牽引(の振りを)されながら時速8kmくらいで慎重に運転していく。やっと宿舎に着いて,もう1台のためにランウェイに帰ってきたときには,もう夕方4時過ぎになっていた。冬至のころで,一面の雪雲のせいもあり,薄闇が迫っている。
 ところが3台目のウインチのエンジンが,かからない。ウインチのバッテリーは,普通車の12Vのじゃなくて,24Vの大型バッテリーをさらに2つ繋げて48Vにして使ってるんだけど,これも廃車から取ってきた古い物だったりするので,ものすごく弱い。キーを回しても,セルモーターが回る「とぅるる・・」という微かな振動はあるものの,本体のエンジンがちっともかからない。そのうち,セルすらうんともすんとも言わなくなってしまった。ウインチ本体のエンジンがかからないなら,索をリトリブカーで無理矢理引っ張って,「押しがけ」ならぬ「引きがけ」をするという荒技も使えるんだけど,台車の押しがけは数十人もいないととても無理だ。
 雪はしんしん振り積もり,もう5㎝にはなろうかという状態。5時近くになって,ほとんど雪明かりだけ,真っ暗だ。体は冷え切って,バッテリーの端子を回す手もかじかんでうまく力が入らない。どうしよう。このままかからなかったら,帰れないよ・・。ほとんど泣きそうになっている私に,先輩ウインチマンが手渡してくれた,こわれたミルクパンに入ったコーヒー。どんなときでもどんな悪条件下でも,焚き火をおこせるのがウインチマンになれる条件なんだ。先輩は,雪をかき分けて新聞紙に廃油をかけ,焚き火をおこしてくれていた。ミルクパンを直火にかけて雪を溶かして湯を沸かし,インスタントコーヒ
ーの粉と砂糖をぶち込んだだけのコーヒーだったけど,新聞紙の灰がいっぱい入っていたけど,五臓六腑に暖かさが染みわたって,体がするすると溶けていってしまいそうな味だった。

 結局,バッテリーの+端子と-端子をドライバーで直結する,という恐ろしいショック療法でエンジンはかかり,やっと宿舎に帰り着いたときには8時近くになっていた。
 そのときは,もう二度と冬のウインチマンなんてやるもんか,と思ったけど,10年経った今でも,あの焚き火の暖かさと灰くさいコーヒーの味はクリアに覚えているし,あれより美味しい物は口にしたことがない,と思う。
                     弁護士  古 川 美 和 

 ・・・さて,前回の続きで,聞くも涙,語るも涙の「5時間滞空ものがたり」。あれは,
大学3回生の2月のことでした。群馬県は渡良瀬川(足尾銅山の鉱毒事件で有名ですね)
の河川敷にある板倉滑空場で,10日間の強化合宿に参加していた私。この時期の板倉は
とっても気象条件が良くて,毎年長距離フライトや長時間滞空の記録が出るところで,私
も張り切って合宿に臨みました。
 滞空2時間という「銅章」の条件は既に達成していた私にとって,最大のねらいは「銀
章」の要件である滞空時間5時間。気象の勉強や上昇気流が出やすい場所の研究はもちろ
んのこと,寒さ対策も欠かせません。ダマールの下着に毛糸の腹巻き,登山用の純毛靴下,
ホッカイロ(ただしホッカイロは,上空に行くと酸素が少なくなるせいか,高々度では発
熱せず,役に立ちません)。
 そして・・・何より例の対策,大人用紙オムツ。いや,だってどうにもトイレがガマン
できなくなったら最後,漏らすよりはいいじゃないですか。スーパーマーケットの中の薬
局で「アテント」を購入する私。店員さんの「まあ,・・・若いのに,大変ねえ」といっ
た感心の眼差しに「いや,あの,私が自分で使うんですけど・・」とも言えず,ささっと
お金を払い,自宅で試しにはいてみました。でも,うーん,やっぱり抵抗があってどうし
ても放尿まではできません。(ま,いざ緊急事態になったときの備え,ということで・
・)と納得させて5~6枚を合宿カバンの中へ。

 そうして迎えた合宿中日,西高東低冬型の気圧配置が少しゆるみ,寒気は入って来てい
るけれど風はそんなに強くないという,絶好の滞空日和。空にぽこぽこ「美味しそうな
雲」=上昇気流がありそうな雲が出始めた午前11時前,下着や上着,マフラーに毛糸帽,
靴下2枚履きでぶくぶく気ダルマになった私はよちよちと愛機に乗り込み,離陸します。
ズボンの下にはもちろん,例の紙オムツ。
 最初のころは上昇気流もまだ小さく,見つけて上がるのに苦労しますが,ここで降りる
わけにはいきません。グライダーは全部で6機,合宿に参加しているのは20人近くです
から,降りてしまえばフライトの順番は他の人に回ってしまい,その人が飛んでいる間私
はもう乗れないので,必死です。そのうちサーマルトップ(上昇気流が頭打ちになる高
度)も1500m,2000mと順調に上がり,雲底(そこまでは少なくとも上がれる)
2400mのバリバリ好条件に。12時,13時と余裕で跳び続けますが,だんだん身体
は冷えてくる。特に足,計器板の下にラダー(方向舵)のペダルがあるんですが,ペダル
を踏む足は計器板に隠れ,日が差さない。しかも午後遅くになってくると,対流の層が上
に上がってきて,低い高度ではなかなか上昇気流が見つかりませんから,必然的にずっと
雲の下に張り付いて飛んでいる。すると雲の影になって日が当たらない,これがめちゃく
ちゃ寒いんですね。
 機内に設置されている温度計は,マイナス10度を指してます。足はかじかんで感覚が
ない。仕方がないので雲の下から少しだけはみ出て,足のペダルを踏まなくてもいいよう
に,ゆるーいバンク(機体の傾き)で緩旋回しながら,足を計器板の上に出す(車で言え
ば,運転手がペダルから足を離してダッシュボードの上に足を載せてるみたいな状態で
す)。そのとき足に当たった,日光のじわ~んとした暖かさと言ったら!「太陽エネルギ
ーはすごい!!」と実感しました。
 そしてやはり耐えられなくなってきた,尿意。雲の下にいるときは必死でお尻を強ばら
せ,雲から出て太陽が当たると「ほわ~~ん」,少し楽になる。でもまた雲の下に入ると
「う゛うーーー」。トイレ,トイレ,トイレのことしか考えられない。せっかく紙オムツ
してるんだから,楽になってしまいたい!でもやっぱり使用感,臭い,いろんなこと考え
るとそんなことできない(だってお嫁入り前だもん!)。悶々とし続ける私の耳に飛び込
んできた無線,「えー,板倉ピストよりJA2304(私が乗っていたグライダーの機
番),5時間滞空達成,おめでとう!!」やったやった!!もう駄目かと思った!
 そうして,エアブレーキ全開で矢のごとく地上に降りた私は,車で送ってもらって何と
かトイレにたどり着いたのでした。あー良かった。

 かくのごとく,私の滞空5時間は無事達成されたのですが,その同じ日にあったもっと
凄い話。その合宿は,私が行っていた大阪大学とは伝統的に宿命のライバルである名古屋
大学(名阪戦,というのもあります)と合同でやっていたのですが,その名古屋大学の1
つ上の先輩も,同日に5時間滞空を達成。と言ってもその先輩はオーストラリアで既に5
時間飛んで来ていたので,別に無理して5時間飛ぶ必要はなかったんですが,先輩いわく,
「だって,カナスギ(私の旧姓です)が絶対5時間やると思ったんやもん。先輩やのに負
けたら悔しいやん」。ガッツの先輩は,上空でトイレがガマンできなくなり,持っていた
タオルを当てて少し「してしまった」そうです。「ええっ?!先輩,そいでどうしはった
んですか?」「小窓からタオル外に出して,絞ったんよ」。その絞った水滴は,すぐ後ろ
にある主翼の前面に飛び,あまりの寒さにすぐにビチビチッと凍り付いてしまったそうで
す。「下に降りてくる途中でそれも溶けて飛んでいったけどな。」豪快に笑うそんな先輩
が素敵でした。あ,もちろんその先輩も女性です。

 ちなみに,私の最長フライトはその後オーストラリアで更新され,7時間半くらいのフ
ライトも経験しました。でも,いくら空が好きで,どれだけ空を飛んでても苦痛じゃない,
という私でも,やっぱり生理現象には勝てないですね。もっともそれなりに不貞不貞しく
なった今なら,大人用紙オムツも抵抗ないのかもしれませんが・・・。

                  弁護士  古 川 美 和 

 「グライダーって,何分くらい飛んでられるんですか?」高度と並んで,最もよく聞かれる質問です。

滞空時間(動力なしで飛んでいた時間)の世界記録は,2人乗りグライダーで70時間以上!です。ちょっとびっくりする数字ですよね。

日本記録も,戦前に奈良県の生駒山というところで28時間以上の記録がありますが(これは一人乗りグライダーです),戦後に整備された航空法では,計器飛行ができないグライダーは日の出前・日没後のフライトができませんから,今では全く実現不可能な記録なんです。

 動力がないグライダーが長時間飛行し続けるためには,2つの条件が揃わないとできません。つまり,気象条件=飛べる環境という外部要因と,飛ばす側=パイロットの技量と気力と体力という内部要因です。

 気象条件という外部要因は,意外と簡単にクリアできます。そりゃ全く上昇気流がない,静穏な日には無理ですが(この場合は,300m~600mくらいの高度で離脱して,滑空して降りてくると,滞空時間は6~10分程度です。),地上の空気が暖まって上昇するという熱上昇気流(サーマル)でも,日本の場合早い日には午前10~11時ころから出始めて,16~17時くらいまではありますから,5,6時間は飛べるわけです。

  滞空時間の記録が出る場合は,風が山の斜面にぶち当たって駆け上がるときにできる斜面上昇
風(リッジ,生駒山の記録はおそらくこれでしょう)や,何と言っても前々回にお話しした山岳波(ウエーブ)などを利用していて,これは風が吹いている限り恒常的にありますから,気力と体力さえ許せばいくらでも飛んでいられる・・・はずなんです。

 しかーし,一番ポイントなのは気力と体力,人間側の問題です。長時間飛べば当然疲れますから,無理な力の入った操縦をしないよう普段から意識してトレーニングしたり,疲労しにくい衣服や座席の背もたれ,クッション等を研究します。飛んでる間の食料として,上空にバナナやカロリーメイト,ガム・飴や「おせんべい」という人もいますが,各自いろいろ試してそのときの気温・湿度,体調等条件に合わせた物を持っていくわけです。

 なかでも大問題なのが,水と排尿。夏場は水分を取らないと,脱水症状になりますから水は飲む。飲むとトイレに行きたくなる。冬場は水がなくても困らないけど,寒くて(上空2400mだと気温はマイナス10度くらいになります)やっぱりトイレに行きたい。
もう,この,「トイレに行きたい!」という気持ちがフライトの最後の方になると頭の90%くらいを占める思考になるわけです。下腹部に神経が集中して脂汗が出てくる。

  長距離フライトに出ているときは,平均速度を上げるためとかじゃなくて,とにかくトイレ,トイレ,いかに早く着陸してトイレに駆け込むかを考え続けます。「いや,待てよ,降りてから歩いていって間に合うだろうか・・・。無線で車を用意しといてもらおうか。」などと切実です。

 しかし長距離じゃなくて,単に長く飛ぶ,というときは,それこそ本気のガマン大会になります。

 グライダーの世界にも,技量をはかる基準となる賞のようなものがあるんですね。

 国際航空連盟(FAI)が認定する国際滑空記章として,ダイヤモンド章,金章,銀章などがあるんですが,このうちの銀章というのが,滞空時間5時間以上をクリアしないと取れない。ですから,銀章狙いの人は必ず一度は5時間以上飛ばないといけないわけです。そして,この5時間滞空フライトこそ,日本の学生パイロットに取って一つの試金石になるんです。

私も,大変な血と汗と涙でこれを取るわけですが・・・ちょっと話が長くなりますので,この続きは次回にしたいと思います。

                  弁護士  古 川 美 和 

 グライダーはどのくらいの速さで飛んでいるのか。どれくらいだと思います?答
えは,高速道路を走る自動車くらい。平均的な練習機の巡航速度は,時速80km
から90kmです。
 では本気でぶっ飛ばしたら何キロくらい出るのか?よくある復座機(2人乗り)
のASK21(アレキサンダー・シュライハー型K21。ASはドイツのグライダ
ー製作会社名,Kは設計者のカイザーさんのイニシャルです。)で,超過禁止速度
は時速280km!でも私だって,えー,そんなにスピード出るのかな?って感じ
です。今までたぶん200km/hくらいは出したことがあるんですが,それだっ
て操縦桿を押す手が振動でぶるぶる震えるくらいの抵抗感,翼はぶぶぶぶぶ・・・
と嫌な音を立てるし,ときどき「ミシッ」とか機体の接合部がきしんだりして,生
きた心地がしない,おお怖い。しかも速度を出せば出すほど,機体は「下を向く」
んですよ。グライダーの速度というのは,上空を飛んでいる姿勢,滑空姿勢で決ま
るのです。坂道を自転車でペダルをこがずに滑り降りる場合を想像してみてくださ
い。急な坂道ほど,自転車のスピードは上がりますよね?

                                (通常時の滑空姿勢)
 あんな感じで,横から見ると「下向き」の姿勢で急降下しているグライダーほど,スピードが出ているんです。200km/hも出ていると,地面がたくさん見えて,「あー,ぐんぐん落ちてるなあ」という感覚。少しでも長く空にとどまっていたいと思う私は,高速飛行でかっ飛ばすのはあまり好きではありません。  ちなみに,グライダーの速度計は,「対気速度」,つまりその空気の中での速度を計るもの。「対地速度」,地面に対して時速何キロで飛んでいるかは,また別です。だから,例えば秒速10mの向かい風が吹いていて,速度計で90km/h出ているとする。秒速10mは時速36kmですから(このくらいは上空でさっと計算する・・・というより,覚えています),正面から時速36kmの風が吹いているとすると,風に阻まれて地面との関係では90-36=54km/hでしか進んでいないことになるのです。逆に,追い風の場合は速度計の速度より速く目的地に到着します。        

     (高速時は下向きで飛ぶ)

   普段,私たちは地面にしっかり足をつけていて,地面との間で摩擦があるため,多少の向かい風が吹いてもずずず・・・とか風下に飛ばされたりしません。でも,上空では摩擦がないので,グライダーは風に流されちゃうんですね。だから,追い風で旋回をするときは,風に流されることを考慮していつもより早めのポイントで旋回し始めたり,地上とは違う頭の使い方が必要になってきます。そして私は,そういう風に「空のアタマ」に切り替える感覚,自分の中の二重性が好きだったりします。

                           弁護士 古 川 美 和 

                                                  機長:古川美和

 グライダーをやっていると言うと,必ず聞かれる質問が「グライダーって,高さは何メートルくらい飛べるの?」。皆さんは,何メートルくらいだと思われますか?
 現在の世界記録は,1986年に達成された「1万4938メートル」。実に成層圏にまで達しています。写真などを見ると,コックピットの外は青色というより黒,宇宙に近いんですね。

 動力のないグライダーがどうしてそんな高々度に到達できるのか?これは,いろんな種類がある上昇気流の中でも王様と言える,「山岳波」=「マウンテン・ウエーブ」に乗って上昇しているんです。風を待ってヒマラヤを越える鶴の話を聞いたことはないでしょうか。鶴も,このウエーブを使って8000m以上の高みへ昇り,山を越えて行くと言われています。
 強い風が,連なった山脈などに対して垂直に近い角度で吹き付けると,風が山肌を駆け上がり,山を乗り越えます。そうすると,乗り越えた空気が波打ち,山岳の少し風下で,空気がまた持ち上がります。この部分が,ウエーブの第一波(だいいっぱ)。この持ち上がっている部分でグライダーが風上に向かって蛇行飛行を続けると,上昇気流に乗ってグライダーはぐんぐん高度を上げるというわけです。

 風が波打つ,というとちょっと想像しにくいかもしれませんが,流れの速い,浅い小川で水面のすぐ下に石があるとき,石の上を流れている水が少し盛り上がって波打ち,その川下の水面にも波ができるのをご覧になったことはないですか?それと同じなんですね。
 第一波があれば,当然その風下にも第二波,第三波がありますが,基本的には波のうねりがどんどん不明瞭になっていくので,第一波が最もよく上がれます。
 しかし,このウエーブにコンタクトしようと思うと結構大変なんです。地上からウエーブに繋がっている「普通の」上昇気流でぐるぐる螺旋を描いて上がっていくんですが,ウエーブが出るのは風が強い日なので,風下に流されないようにうまく上がるのがまず一苦労。そして難物は「ローター」です。波の下の部分では,図のように空気がくるりと「巻く」んですよ。ここは気流がめちゃめちゃ荒れていて,右翼がガッと持ち上げられてうわっ!ひっくり返る!と焦ったら次は左翼がグワッ!グライダーは木の葉のように揺すられます。吐き気を押さえながら荒れ馬を乗りこなすように機体を操り,何とか上昇し続けると,ある瞬間,すっと静寂が訪れる。バリオメーター(昇降計)を見ると,針は5m/sでぴたりと張り付いている。高度計がぐるぐると回り出します。そう,ウエーブに入ったのです。
 ウエーブの中は,本当に,本当に静か。機体はそれこそ微動だにしません。ただ,地上だけがどんどん小さくなっていく。ときには,雲すらも遙か足下に遠ざかっていく。高く,もっと高く。

 え?私自身は何メートルまで上がったことがあるかって?残念ながら,私は4000メートルちょっとまで。でも,3000メートルを越えて30分以上飛ぶときには,航空法上酸素ボンベを搭載しないといけないんですよ。当然そんな準備をしていない私は,航空法違反。だから,内緒,内緒です。
 でも,いつかフライトを再開したら,ちゃんとボンベを積んで,高々度記録にもトライしたいな。世界記録は無理にしても。
                                               弁護士 古 川 美 和 

 今でも,空港からジェット機に乗るたびに「こんなでっかい鉄の塊がなんで飛ぶんだ?!」と思ってしまう。頭では,ジェットエンジンが推進力を生みだし,前に進むと同時に翼の周りに気流が生まれ,機体が浮かぶ「揚力」が発生するのだ,とわかってはいても,どうもイメージが湧かない。

 グライダーが飛ぶ原理は,それと比べると至ってシンプルだ。頭の中に,風を切ってすーいと飛ぶ,紙飛行機を思い浮かべてもらえればいい。あれがグライダーの飛んでいる状態。
 グライダーには,モーターグライダーと言ってプロペラエンジン式の動力を搭載しているものもあるけれど,私が乗っていた「ピュア」グライダーは違う。動力がないので自力では上空に上がれず,機体下部に装着したワイヤーをウインチという巻き取り機で巻き取って凧揚げの要領で上がるか(これだと離脱高度はせいぜい300m~600mくらい),セスナ機のような飛行機に曳航してもらうか(これだと好きな場所,好きな高度まで引っ張ってもらえる)しかない。そのかわり,いったん上空に上がると余計なエンジン音もなく,聞こえるのは翼が風を切るささやき声だけだ。エンジンがなくてもそれ自体「飛ぶ」ように出来ているのだから,上空で壊れて飛べなくなるということもなく,トラブルは少ない。

 上空で滑空姿勢に入った,つまり飛んでいる紙飛行機の状態になったグライダーは,空の滑り台を滑り降りているように,少し下向き加減になっている。私たちも前のめりになって坂道を降りていると,「おっとっとっと・・・」と思わず足が前に進んでしまうでしょう?あんな感じで,グライダーも「揚力」という機体を上に持ち上げて支えている力が前のめりに傾いているので,その傾きが推進力になっているのである。ちょっと難しいですね。

 もう少し難しいことを言うと,この「揚力」というのは,翼の上面と下面で気流の流れる速さが違うことから生じる上向きの圧力のことである。えっと,コピー用紙のような薄い紙を用意して下さい。その短い辺の両端を指でつまんで自分の唇にくっつけ,紙の上面に沿って息が流れるように,「フーッ!」と息を吹きかけてみてください。巧くすると,ハタハタと紙が上に持ち上がって翻るんですが,どうでしょう?簡単に言えば,これが「揚力」である。なんか,「ベルヌーイの定理」とかそんなんも航空力学で勉強した気がするが,難しいので忘れてしまおう。
 とにかく,この揚力が発生する向き,ベクトルが,垂直方向より少し前のめりに傾いているから,とっとっと・・・とグライダーも斜面を滑るように前に進むのである。

 まあ,なんだかんだ言っても,実際に飛んでみないとわからない。私も一回生で,座学だけやらされたときには皆目わからなかった。えいっ!と飛びこんで体で感じて,頭で覚えた知識と体の感覚が段々一致してくるその過程が,6番目の知覚を獲得しているようで,たまらなくエキサイティングだった。もう一度,ああいう全く新しい世界に飛びこんで右往左往しながら学んでいくという経験をしたいなあと思う,今日この頃である。
                                                   弁護士 古 川 美 和

 先月、ゴールデンウィークまっただ中の5月3日、兵庫県の但馬空港でモーターグライ
ダーの墜落事故があった。機体は滑走路に墜落直後炎上し、乗っていた2人が死亡した。
そのうち1人は、私の航空部時代の同期だった。

 彼は京都の国立大学で、私は大阪の国立大学と、大学こそ違えど七帝戦などで毎年顔を
合わせていたし、2人とも操縦教育証明という教官の資格を持っていたため、卒業後もあ
ちこちの合宿で顔を合わせていた。2人乗りのグライダーに一緒に乗り、操縦技術を学び
合ったこともある。
 お通夜では、同じくグライダーのベテラン教官であるお父様が、いつも通りのにこやか
な笑顔で「今日はありがとう、・・くんも喜んでると思うわ」と話しかけてくださり、た
まらなかった。彼は一人息子だった。

 残念なことだけれど、グライダーにも事故は起こる。事故率から言えば、走行経路に障
害物の多い自動車の方が実はずっと高いのだが、グライダーの場合は一旦事故が起こると
重大な結果に終わることが多い。
 もちろん私たちは、事故など起きないよう絶えず注意して飛行する。上空での飛行訓練
では、高々度で失速(ストール)や錐揉み(スピン)など、わざとエマージェンシー状態
を作ってその兆候を経験し、そこからの回復方法を何度も練習する。他機と空中衝突しな
いよう、ウォッチアウト(他機警戒)は1回生のころから繰り返し繰り返したたき込まれ
る。
 それでも、事故が起こる。練習に練習を重ね、経験を積んで余裕も出てきたころに、時
にはヒヤリとする思いを味わいながらも生還し、さらに自信を付けていく。自分はここま
では大丈夫、という手応えのようなものができてくる。そんなとき、空にぽっかりと開い
ている口にすとんと落ち込むように、事故は起こるのだ。
 
 究極の防止策は、もちろん「飛ばないこと」。でも、それでは何もできない。
 もう少し仕事や子育てが落ち着いたら、私もまた飛び始めたいと思っている。死にたく
はないから、その瞬間、彼は、そして今まで空で亡くなってきた何人かの知人たちは、何
を感じ、どんな恐怖を抱いただろうと、絶えず恐れと想像力を持ちながら、でも死なない
ように生きることはしたくないから、また飛びたいと思う。
 
 お通夜の席、彼のお父様は、この先グライダーを続けるかと問われ、「飛びますよ。」
笑顔できっぱりと言い切った。そのとおり、かつて彼と共に飛んだ空に、また飛び立たれ
るのだろう。
 天国で、彼がしなやかな流線型の白く美しい機体に乗り込み、何の落とし穴もない素晴
らしい気象条件の空を、心ゆくまで飛び回っているといいなと思う。

                                                           弁護士  古 川 美 和

 合宿の朝は早い。「きしょおおおお,きしょおおおお(起床,起床)!!!」。午前6
時,「朝宿(あさしゅく)」すなわち「朝の宿舎当番」が大声で叫びながら各部屋を回る。
回ると言っても年間6回の合宿のうち4回が行われる木曽川滑空場の宿舎は,男子部屋と
女子部屋それぞれ1つずつしかない。朝宿が男子のときは,女子部屋の引き戸をダムダム
ダム,と叩いて「起床~」と声掛けをする。そこには20歳前後の青年らしい羞じらいが
ある。しかし朝宿が女子のときは,男子部屋の引き戸をガラリと開けて,声を限りに「き
しょおおお!」である。そこにはデリカシーとかプライバシーだとかいうものは全くない。

 ともかく起こされたので,総勢20名から多いときは40名くらいの学生たちがわらわ
らと「………」という感じで起きてきて,歯を磨いたりコンタクトレンズを入れたりする。
洗面台は横一列に4つくらいしか蛇口がないので割と取り合いである。しかもここは合宿,
6時5分ころには1階の食堂に降りて朝食の準備に加わらないと,夜のミーティングで小
学校のホームルームよろしく「今日は,朝みんな降りて来るのが遅くて,出発が10分も
遅れました。10分あったら1発余計に飛ばせます。明日は頑張りましょう。」などとピ
スト(=合宿の班長,責任者)から小言を言われるので,そりゃもう必死である。

 この木曽川の朝食というのがまた,食べなくなってからもう5年は経とうかという今で
もまざまざと目に鼻に舌に焼き付いているシロモノなのだ。その名は「はしきゅう」。木
曽川滑空場が存在する岐阜県羽島市に君臨する給食センター「はしま給食」のことである。
1日3回宿舎まで届けてくれて,1人前朝200円,昼400円,夜400円。安いはい
いが,ご飯が臭い。漬け物は,置くと赤だの緑だのご飯に色がべったり付く。赤だしは辛
い。ちなみに朝宿が午前5時に起きて一番最初にする仕事は,「はしきゅう」の赤だしの
大鍋を火にかけて,やかんの水を5?程どぼどぼ注いで薄めることである。それくらい辛
い。
 朝食のメニューは,黄ばんだご飯と原色漬け物と水入り赤出し,以上。それに1人1日
1個限定の卵が付く。このありがたい卵をどう使うかが,合宿の達人としてのそれぞれの
腕の見せ所なんである。朝,ご飯に生のままぶっかけて醤油をじゃっと回し掛け,ざばざ
ばと箸でかき込む者あり,夜に台所でお湯を沸かしてゆで卵を楽しむ者あり。しかしなん
と言ってもぶっちぎりナンバーワンの王者はチャーハンである。取っ手がぐらついた中華
鍋に油を熱して卵をこつんと割り入れ,フライ返しでじゃこ,じゃこ,じゃこと炒り卵状
にしたところへ弁当箱に入った夜の「はし給」ご飯をぱかっと空ける。フライ返しでざし
っ,ざしっとご飯を切るようにほぐし,ガシャコン,ガシャコンとご飯が宙を舞い,鍋肌
に醤油をじゅっと回し入れ,再びガシャコン。4年間も航空部員をやると,どんな男性も
チャーハンだけは鉄人級だ。でもまあガスコンロは2つしかないし,人数が多ければ毎晩
チャーハンを作ってもいられないので,仕方なく大抵は朝の卵かけご飯になるわけである。

 ご飯をよそい,バケツリレー方式で食堂のテーブルに配膳し終わると,ピストが声をか
ける。「阪大(合宿をやっている各大学の名前である)いただきー」全員が答えていわく,
「しまーす!」。合わせて「いただきます」ということらしい。ちなみに大多数が食べ終
わると班長は「阪大した!」全員が「した!」。おそらく「ごちそうさまでした」の略だ
と思われるが定かではない。当時はそんなもんだと思ってたけど,そういえば変な光景だ
なあ。

 そんなこんなで朝食が終わると各自R/W(=ランウェイ=滑走路)用のつなぎ服に着
替え,機材車に荷物を積み込んで,乗り込む・・・のではなく,ドライバー以外の人間は
500mほどマラソンだ。準備が順調なら,出発の時刻は午前6時35分。真冬はまだ薄
暗く,吐く息は氷のように白い。目を上げると痛いほど澄み切った宇宙色の空に,明けの
明星が光っている。集合場所でラジオ体操をしながら(ラジオ体操をする大学生が,今の
日本にどれくらいいるんだろう・・・),心は今日これからのフライトに飛んでいく。今
日は何発くらい飛べるかな・・・。条件よくなるといいなあ。昨日は急旋回でバンク(傾
き)が深くなっちゃったから,今日こそバンク一定,速度一定にしよう。ああ,早く,早
く飛びたい!

 寒くても,眠くても,体が筋肉痛で痛くても,あの期待に満ちた朝のひとときが,私は
いつも好きだった。

                                                           弁護士  古 川 美 和

 「報告します!古川380(サンハチマル)搭乗、課目場周、よろしくお願いします!
重量重心位置は340ミリメートルで許容範囲内です。機外点検、機内点検ともに異常あ
りません。風防締めてよろしいですか?」―今も目を閉じて、いや、別にわざわざ目を閉
じなくても、ほんのちょっとリラックスして耳を澄ますと、すらすらと溢れ出す、そんな
言葉がある。学生時代、私が何百回、何千回となく耳にし、ときに心躍らせて、ときに緊
張のあまり声を震わせながら唱えた言葉だ。むんとする草いきれと、いつしか身体に染み
ついたグリースやガソリンのかすかなにおい、砂埃、そして目を上げると抜けるような青
い空に今しも生まれ出た、そして見る間に成長していく積雲のたまご――そんな、学生時
代だった。
 大学に入って、新入生のクラブ勧誘でにぎわうキャンバスを歩いていた私が、ふと目を
引かれた看板は、「あなたも空を飛べる!―体育会航空部」。小さいころから「何か一つ、
願いが叶うとしたら?」と問われれば、「たくさん願いが叶いますように!」などと生意
気な答えをしたりはせずに、「空を飛べるようになりたい!」と答える子どもだった私は、
即座にその勧誘看板に飛びついた。今から10年以上も前の、桜が舞い散る春のことだっ
た。
 そんな私も、今はこうして地に足つけて、醜いアヒルの子よろしく、いつか立派な弁護
士になるべく(いつになるやら)かさこそ地を這うような事件活動をやっている。そして
ときどき、空を見上げては、「あー、あの空飛んでたんだな。」などと思っている。
 でもやっぱり、空を飛ぶあの感触を忘れたくない。真っ白い、艶やかな流線型をしたグ
ライダーの狭いコックピットに座り、キャノピー(風防)を締めたときのあの親密な感じ、
ワイヤーの索が装着されて出発を待つ、索が張って「ぐん!」と軽い衝撃が来る。「38
0、出発!」プレストークスイッチを押して無線を入れる、やがて来る強いG、『からだ
がフワリと』軽くなり、視界が空だけになる、ぐんぐん上昇していく、もっと高く、もっ
と高みへ!!あの高揚感、緊張感を、忘れたくないし、こうして書いていると、やっぱり
身体に染みついているんだな、と思う。なので、月に一度、パソコンに向かって、空一色
だったあのころと、地を這う、それだけにやりがいのある今の弁護士の日々を結んでみた
いと思う。
 はてさて、いかなるフライトになりますやら。当機、機長は、弁護士の古川美和でござ
います。これからの空の旅を、どうぞよろしくお付き合いくださいませ!

                                                           弁護士  古 川 美 和

我が家は車を2台所有している。もともと1台、某フランスの自動車メーカーの車を持っていたのだが、これが相次ぐトラブルで(命の危険があったこともあります。どないなってんねん、プ●ョー!!)懲りてしまい、今年の1月に廃車に。
 ちょうどそのころ配偶者の実家が2台ある車を新車1台に乗り換えることになり、廃車にするよりはということで譲り受けたのである。

 先頃、ある夜に我が配偶者から携帯メールが入った。
 曰く、件名「ヴィッツ」本文「バッテリーが上がってしまっています。ライトを切り忘れたんだと思います。」ちなみに、この日ヴィッツに乗っていたのは私ではない。

 仕方がないので、翌日私は元気な方の車でオートバックスに行き、ブースターケーブルを買ってきた。我が家にはなかったからである。
 念のため説明しておくと、ブースターケーブルとは+用と-用に別れた2本の太いケーブルであり、それぞれ両端がクリップ状になっていて、車のバッテリーの電極につなげるようになっている。要は、バッテリーがあがっちゃったときに、元気なバッテリー(主に他の車のバッテリー)と繋いで、動かない方の車のエンジンを掛けるためのケーブルである。

 航空部時代、ランウェイで曳航策を引き戻すために使うリトリブ・カーのほとんどは、廃車になった車をタダでもらって使っていたため、バッテリーがまともな車は希少だった。必然、ブースターケーブルも
しょっちゅう使うことになる。
 そんなわけで、ブースターケーブルを久しぶりに手にした私は懐かしさを覚えたのである。
 その日、帰ってきた配偶者に「ブースターケーブル買ってきたよ」と告げると、「僕はやったことないからやり方わからんなあ」。大丈夫、期待はしていませんでした。でも、「今日はもう暗いし、明日朝
イチでエンジンかけるから、手伝ってね。2人いた方が早いから」と言っていたのに・・・案の定、疲れている我が男性配偶者は、朝声を掛けるも起きられず。
 仕方がないので1人で両方の車のバンパーを開けて、バッテリーのカバーを外して、ケーブル繋いでかけましたよ、エンジン。

 このように我が家では、社会通念上「男性の役割」と思われていることの多いであろう、車のことやスパナ・ドライバーなどの工具を使用する作業にかけては、割と女性が引き受けることが多いのである。
 もっとも、こうした社会内の暗黙の期待に対しては、作家のCBDブライアン氏が『グレート・デスリフ』(村上春樹・訳)の中で、「男性生殖器をひと揃い持っているからと言って、何で車のトランスミッションが直せると思うんだ?」と不服の声を上げており、非常にもっともなところである。
 だから私にも、「女性らしい」気遣いや繊細な挙動(事務所内でゴミ箱を蹴飛ばさずに歩く、など)は、どうか期待しないでください。

 なお、配偶者の名誉のために断っておくと、我が配偶者は子どもの離乳食も作ればホワイトシチューは小麦粉とバターから作るという人であり、ちょっとでも重い荷物は全部持ってくれるという一面もありますので、あしからず。