1. 空飛ぶ弁護士のフライト日誌ログ―DAY2 機長:古川美和
空飛ぶ弁護士のフライト日誌

 合宿の朝は早い。「きしょおおおお,きしょおおおお(起床,起床)!!!」。午前6
時,「朝宿(あさしゅく)」すなわち「朝の宿舎当番」が大声で叫びながら各部屋を回る。
回ると言っても年間6回の合宿のうち4回が行われる木曽川滑空場の宿舎は,男子部屋と
女子部屋それぞれ1つずつしかない。朝宿が男子のときは,女子部屋の引き戸をダムダム
ダム,と叩いて「起床~」と声掛けをする。そこには20歳前後の青年らしい羞じらいが
ある。しかし朝宿が女子のときは,男子部屋の引き戸をガラリと開けて,声を限りに「き
しょおおお!」である。そこにはデリカシーとかプライバシーだとかいうものは全くない。

 ともかく起こされたので,総勢20名から多いときは40名くらいの学生たちがわらわ
らと「………」という感じで起きてきて,歯を磨いたりコンタクトレンズを入れたりする。
洗面台は横一列に4つくらいしか蛇口がないので割と取り合いである。しかもここは合宿,
6時5分ころには1階の食堂に降りて朝食の準備に加わらないと,夜のミーティングで小
学校のホームルームよろしく「今日は,朝みんな降りて来るのが遅くて,出発が10分も
遅れました。10分あったら1発余計に飛ばせます。明日は頑張りましょう。」などとピ
スト(=合宿の班長,責任者)から小言を言われるので,そりゃもう必死である。

 この木曽川の朝食というのがまた,食べなくなってからもう5年は経とうかという今で
もまざまざと目に鼻に舌に焼き付いているシロモノなのだ。その名は「はしきゅう」。木
曽川滑空場が存在する岐阜県羽島市に君臨する給食センター「はしま給食」のことである。
1日3回宿舎まで届けてくれて,1人前朝200円,昼400円,夜400円。安いはい
いが,ご飯が臭い。漬け物は,置くと赤だの緑だのご飯に色がべったり付く。赤だしは辛
い。ちなみに朝宿が午前5時に起きて一番最初にする仕事は,「はしきゅう」の赤だしの
大鍋を火にかけて,やかんの水を5?程どぼどぼ注いで薄めることである。それくらい辛
い。
 朝食のメニューは,黄ばんだご飯と原色漬け物と水入り赤出し,以上。それに1人1日
1個限定の卵が付く。このありがたい卵をどう使うかが,合宿の達人としてのそれぞれの
腕の見せ所なんである。朝,ご飯に生のままぶっかけて醤油をじゃっと回し掛け,ざばざ
ばと箸でかき込む者あり,夜に台所でお湯を沸かしてゆで卵を楽しむ者あり。しかしなん
と言ってもぶっちぎりナンバーワンの王者はチャーハンである。取っ手がぐらついた中華
鍋に油を熱して卵をこつんと割り入れ,フライ返しでじゃこ,じゃこ,じゃこと炒り卵状
にしたところへ弁当箱に入った夜の「はし給」ご飯をぱかっと空ける。フライ返しでざし
っ,ざしっとご飯を切るようにほぐし,ガシャコン,ガシャコンとご飯が宙を舞い,鍋肌
に醤油をじゅっと回し入れ,再びガシャコン。4年間も航空部員をやると,どんな男性も
チャーハンだけは鉄人級だ。でもまあガスコンロは2つしかないし,人数が多ければ毎晩
チャーハンを作ってもいられないので,仕方なく大抵は朝の卵かけご飯になるわけである。

 ご飯をよそい,バケツリレー方式で食堂のテーブルに配膳し終わると,ピストが声をか
ける。「阪大(合宿をやっている各大学の名前である)いただきー」全員が答えていわく,
「しまーす!」。合わせて「いただきます」ということらしい。ちなみに大多数が食べ終
わると班長は「阪大した!」全員が「した!」。おそらく「ごちそうさまでした」の略だ
と思われるが定かではない。当時はそんなもんだと思ってたけど,そういえば変な光景だ
なあ。

 そんなこんなで朝食が終わると各自R/W(=ランウェイ=滑走路)用のつなぎ服に着
替え,機材車に荷物を積み込んで,乗り込む・・・のではなく,ドライバー以外の人間は
500mほどマラソンだ。準備が順調なら,出発の時刻は午前6時35分。真冬はまだ薄
暗く,吐く息は氷のように白い。目を上げると痛いほど澄み切った宇宙色の空に,明けの
明星が光っている。集合場所でラジオ体操をしながら(ラジオ体操をする大学生が,今の
日本にどれくらいいるんだろう・・・),心は今日これからのフライトに飛んでいく。今
日は何発くらい飛べるかな・・・。条件よくなるといいなあ。昨日は急旋回でバンク(傾
き)が深くなっちゃったから,今日こそバンク一定,速度一定にしよう。ああ,早く,早
く飛びたい!

 寒くても,眠くても,体が筋肉痛で痛くても,あの期待に満ちた朝のひとときが,私は
いつも好きだった。

                                                           弁護士  古 川 美 和