世間体などを考えず、きちんと医者に行くこと。
家庭内暴力(DV)を受けて怪我などをした時、「恥ずかしいから」とか「世間体が悪いから」として、医者に行かない場合が少なくありません。
でも、医者に行っておれば、後で診断書も書いてもらえますし、カルテにもその記載が残されますので、DVを受けていたという有力な証拠になります。
また、夫婦間の不和によって自律神経に不調を来したような場合にも、神経内科あるいはカウンセリング等の専門機関の受診をお勧めします。
もちろん、ご本人の体調の回復に何らかのメリットがあることはもとより、やはりカルテにその原因などが記載されるからです。
医者には守秘義務がありますので、他人に知られたくないことを話しても、他に漏れることはありません。
なお、カルテの保存期間は5年間なので、注意しましょう。
2011年7月アーカイブ
滋賀県米原市醒ヶ井(さめがい)の地蔵川で、今、バイカモが見ごろを迎えている(2011年7月27日付け朝日新聞)。
バイカモは、キンポウゲ科の水生多年草で、清流にしか育たない。梅の花に似た白い小花を咲かせることから「梅花藻(バイカモ)」の名がついた。
このバイカモをどうしても見たくて、数年前、醒ヶ井を訪れた。
済んだ川の流れにゆれている白い花は、とても幻想的で、暑さを忘れてしまうほど。
川縁に座って、いつまでも眺めていたい気持ちにかられる可愛らしい花だった。
今年は開花が例年より2週間ほど遅かったようで、8月後半ごろまで見ごろという。
醒ヶ井の町も、中山道の宿場町として栄えた古い町並みを残している。
おすすめスポットである。
災害弔慰金は、災害で死亡した人の配偶者・子ども・両親・祖父母・孫が支給対象で、家計を支えている人が亡くなった場合は500万円、それ以外の人の場合は250万円が支給されます。
しかし、今回の東日本大震災では、兄弟姉妹を亡くした人も少なくないことから、支給対象を広げることが求められていました。
昨日、国会で、災害弔慰金支給法が改正され、兄弟姉妹でも、死亡した人と生前同居するか、生計を同じくし、ほかに遺族がいない場合には、支給の対象となることが決まりました。
昨日、ギャラリーかもがわで開かれている宗由美子さんの個展に出掛けた。
もう20年以上前だったと思うが、宗さんがまだOLをされておられる頃に、職場の権利問題を通じて知り合った。
その後、交流はなかったが、数年前、偶然、由美子さんの個展の案内を目にし、「これは、絶対、あの時の由美子さんだ!」と思って行ってみた。
由美子さんの絵は墨で描かれていたが、「墨絵」とは少し異なり、メルヘンのような、何かほんわかした、優しさにあふれた絵だった。
その時は、由美子さんには会えなかったが、その後にご本人から手紙や電話をいただいた。
そして今回。
東北大震災を経て、由美子さんは語る。
「混沌とした社会の中だからこそ、誰かとつながっていると思えることは大切です。ささやかでも生きていく勇気を生み出します。呼びかけあう心が誰かと共鳴するとき、共鳴の輪が拡がるとき、人は信頼のなかで穏やかに生きていけるのではないしょうか。」
今回の絵は、墨だけでなく、絵具やペンを使ったものもあり、また画仙紙の下からにじませて描かれているものもあり、技術的なすごさを感じた。また、作品自体からは、前回の「ほんわかさ」「優しさ」は消え、むしろ「混沌」や「もどかしさ」などの感情が感じられたのは私だけだろうか。
由美子さん本人にも会うこともでき、しばらくおしゃべりした。
人とのつながりというのは、本当に不思議なものである。
野菜がたぷっり取れる料理で、夏の代表は、やはりラタイトゥユでしょ。
ラタイトゥユとは、フランスのプロバンス地方の家庭料理。
冷蔵庫に残っている野菜なら何でもOK。なす、人参、たまねぎ、ズッキーニ、かぼちゃ、ピーマンなどをすべて小さめの角切りにする。
それらをオリーブオイルとにんにくで柔らかくなるまでいためる。
その後、湯むきしたトマトを入れて強火でさらに炒め、弱火にかえてフタをして10分ほど煮込む。トマトの水煮カンを使ってもOK。その場合には、あまり煮込まなくても大丈夫。
野菜の味がギュッとつまってて、そのままでおいしく食べられる。だから塩・胡椒はお好みでね!
最近、借家の敷引きや更新料をめぐって、最高裁の不当判決が続いていましたが、7月21日、欠陥住宅に関し、久しぶりに評価できる判決が出ました。
事案は、オーナーとして購入した9階建てマンションの床や壁にひび割れなどの欠陥があったとして、施工業者らに計3憶5000万円の損賠賠償を求めたというものです。
2007年に最高裁は、「建物の設計・施工者等は、建物に基本的な安全性が欠けることがないように配慮すべき注意義務を負う」という初判断を示しました。
今回の最高裁判決は、その「基本的な安全性が欠ける」瑕疵(=欠陥)とは、「居住者等の生命・身体又は財産を危険にさらすような瑕疵をいい、その瑕疵が、現実的な危険をもたらしている場合に限らず、これを放置するといずれは居住者等の生命、身体又は財産に対する危険が現実化することになる場合にも該当する」との判示し、将来の危険にも賠償義務があるという被害者保護の判断を下しました。
山好き仲間4人と、連休を利用し、7月15日から北アルプスへ山小屋3泊で今夏最初の夏山登山に行ってきた。
メインの山は、薬師岳(2926M)。
薬師岳の山容はなだらかで優しい姿である。頂上付近も平たいだが、ひとたび天候が荒れると、方向を見失う危険な面もある。
昭和38年冬、愛知大学の山岳部の学生13名全員がルートを誤り遭難したことは有名。
朝京都を出発し富山へ。折立から入り、1日目は太郎平小屋、2日目はスゴ乗越小屋、3日目は五色が原山荘に泊まり、室堂に至るコース。
今年は、梅雨が早く空け、全行程、晴れの素晴らしい山歩きとなった。
2日目、3日目は、ほぼ昼過ぎには小屋に着き、男性陣は昼間からビール漬け。最近マラソンにはまっているF弁護士だけは、真夏のマラソン大会の訓練と称して、重いリュックを背負い、一人テント泊。
今年は、夏山に向けての訓練があまりできず、体力が不安だったが、余裕を持ったコースだったことや天候に恵まれたこともあって、ペースを落とすことなく歩き続けることができた。
小出裕章氏(京大原子炉実験所)の「原発のウソ」(扶桑社新書)を読んだ。今年6月に出版されたものだが、すでに20万部のベストセラーになっている。
小出氏は、7月6日付けブログに書いた今中哲二氏と同じく京大原子炉実験所に所属し、今中氏とともに一貫して反原発の立場をとってきた研究者である。
なぜ原子力の学問を続けているのか?
「原子力の学問の中にいながら、原子力が抱える問題を指摘し続けるのが自分の歩む道」が小出さんの答えだ(2011年7月11日付け毎日新聞朝刊)。
「原発のウソ」は、とても平易に書かれており、どんどん読んでいける。
特に、まえがきの一文がいい。
「私はかつて原子力に夢を持ち、研究に足を踏み入れた人間です。でも、原子力のことを学んでその危険性を知り、自分の考え方を180度変えました。『原発は差別の象徴だ』と思ったのです。原子力のメリットは電気を起こすこと。しかし『たかが電気』でしかありません。そんなものより、人間の命や子どもたちの未来の方がずっと大事です。」「起きてしまった過去は変えられませんが、未来は変えられます。」
是非、多くの人に読んでほしい本である。
離婚後に親権者となった者が未成年の子どもを残して死亡した場合は、親権者はどうなるのでしょうか。
民法は、未成年者に対し親権を行う者がないときは、後見が開始すると定めていますから(838条1項)、通常は、死亡した親権者の親族が後見人として選任されることが多いようです。
また、親権者が死ぬ前に遺言で未成年者の後見人を指定しておれば、それに従うことになります(民法839条1項)
ただ、離婚時に親権者にならなかった他方の親が自分を親権者と指定してほしいと家庭裁判所に申し立てることがあります。
このような場合でも、親だからと言って当然に他方の親に親権の変更が認められるわけではありません。
養育費の支払いなどの監護の実績や子どもの意思などの事情を総合評価して家庭裁判所が決定します。
先週の土曜、高島屋に行った。前日に近畿は梅雨明けし、気温は朝からぐんぐん上がっていた。そこで、精をつけようと、昼食に久しぶりに、うなぎを食べた。
「うなぎの思い出」と言うと、ちょっとオーバーだが、亡母もうなぎが好きで、母がガンで手術して退院したその日、「何が食べたい?」と聞くと、「うなぎ」と言ったので、病院からうなぎ屋に直行したことが思いだされる。
高島屋のレストラン街には、静岡に本店のある「八百徳」という店があった。
「櫃まぶし」も魅力的だったが、蒲焼・白焼・塩焼から2つをチョイスできる定食があり、白焼と塩焼をチョイスした。
うなぎは、やはり蒲焼が一番かなあと思ったが、白焼も塩焼もどちらもあっさりしていて、とてもおいしかった。
特に白焼に、はまった。白焼は、うなぎをタレをつけずに焼いて蒸して更に焼き、それをワサビ醤油で食べる。うなぎのふんわりした食感とワサビ醤油とがマッチし絶品。
これからしばらくの間は、私は白焼に夢中です。
思いがけず、見ず知らずの被災地の方から手紙をいただいた。
私は、2011年6月7日のブログで紹介した「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の活動に賛同し、この間、何回か、被災地の避難宅に物資を送付してきた。
物資を送る際、本来なら何か一言でも励ましの言葉を書いて同封するところであるが、「頑張って」というようなありきたりの言葉しか思いつかなかったため、結局、何も書かなかった。
また、送付先の方から何か返事をいただくことなど、全く思ってもみなかった。
そんな折り、昨日、宮城県気仙沼から1枚の自筆の葉書が届いた。
物資のお礼とともに、「この震災で、私たちは、たくさんの物や命を失いましたが、みなさんに助けていただきながら、生かされた命を大切に前向きに楽しい毎日を過ごせるように頑張ります」と書かれてあった。
テレビや新聞などではない、生の字に接し、とても感動し嬉しかった。
被災地で頑張っておられる姿が、私たちの日々の生活の糧の1つにもなっている。
ありがとうございました。
昨夜は、弁護士会内の四一会というグループの例会があり、福島原発以降、時の人となっている今中哲二助教の講演だったので参加した。
今中氏は、話題の本「原発のウソ」の著者小出裕章氏と並び、以前から原発の危険性を訴えてこられた京都大学内の数少ない研究者の1人である。
以下は、印象に残った話。
●当初、原発事故が起こった時の莫大な損害試算額を前にして躊躇する民間企業に対し、国が、1961年に原子力損害賠償法を作り、「50億円(今は1200億円)」以上は、企業に負担させず、国が責任を負うという法律を作り、原発を推進した。東電が口にする「免責」というのは、このこと。
●国が莫大な税金を投じて危険性の高い原発を推進したのは、憲法9条によって核を作れない日本国が将来もしそれが可能となった時に、いつでも核開発ができるようにするため。
●現在、放射能が100ミリシーベルト以下なら健康に影響がないと言われているが、1999年に茨城県東海村で臨海事故が起こった時は、50ミリシーベルトだった。いつから変わったのか。将来の健康被害については、何ミリシーベルトだから安全などという基準はない。
●そして「安全な原発などない」と言い切られた。
●もし国民が原発が必要と判断するならば、田舎ではなく、それを一番利用する東京湾や大阪湾などの大都会近くに作ったらよい(←これは皮肉ですね)
今を生きる私たちは、これからのエネルギー政策を選択すべきだし、それができる立場にいる。しっかり行動しなければ。
我が家には扇風機が1台ある。
数年前にうちの事務員さんのSちゃんが「大阪に500円で売ってた!」と言って買って来てくれた扇風機である。
大きさも機能も普通の扇風機と同じなので、お買い得!と思っていたところ、しばらくして首振りができなくなってしまった。
まあ、首が振らなくても、それほど困らないのだが、この夏、もう1台買おうと思い、週末に電気店に行ってみた。
なんと、どこにも扇風機がない!1台もない!
店員さんに尋ねると、今シーズンの入荷の見込みはないとのこと。
最近出始めた羽のない扇風機(値段が高い!)だけは飾ってあったが、その入荷も9月末と書かれてあった。
みんな、節電に協力してるんだ。
私も首の振らない扇風機で我慢しよっと。