(女性弁護士の法律コラム NO.125)
11月29日、京都をはじめとする関西圏の住民を中心に1109人の原告が、関西電力と国を相手取り、大飯原発(福井県)1~4号機についての運転差し止めと原告1人あたり月1万円の慰謝料を求める訴訟を、京都地方裁判所に提訴しました(本日付け朝刊各紙)。
国や関電は、大飯原発の真下に活断層がある可能性が指摘されても、今もなお、原発の稼働を止めようとしません。
もし、大地震が起これば、福島以上の取り返しができない甚大が被害が生じることは明らかです。
住民の怒りはおさまりません。
1000人を超える原告による提訴は、京都地裁始まって以来ではないでしょうか。
(なお弁護団は1万人の原告を募集しています。)
とても重要な大裁判ですね。
2012年11月アーカイブ
日本三名瀑というのをご存知だろうか?
誰が決めたのかは知らないが、栃木県日光市の「華厳の滝」、和歌山県那智勝浦町の「那智の滝」、そして茨城県大子町(だいごまち)の「袋田の滝」の3つを言うようだ。
前2つは知っていたが、「袋田の滝」は先月新聞で読んで初めて知った。
近くに男体山(654M)という山もあるようなので、11月24-25日の連休に軽めの登山と紅葉狩りを兼ねて行ってみた。
男体山の大円地(おおえんち)の登山口に着いたのは午前11時半頃。
一般コースと健脚コースとに分かれていたので、一般コースを登ることにする。
一般コースとは言っても、山道の登山道で、ジグザグと登って行く。結構、急坂も多い。
大円地との分岐から更に急登を登ると尾根に出、そこから山頂はすぐだった。
茨城に住む友人は、山頂に直登する健脚コースをスニーカーで登ったというのだから驚きである。
連休ということもあって山頂は、たくさんの登山者でにぎわっていた。遠くに筑波山も霞んで見えた。
山頂からは月居山(つきおれさん)・袋田の滝まで縦走することに。
ほとんどの登山者は大円地の登山口に戻るようで、滝方面へ縦走する人はまばら。
縦走とは言っても、平行な尾根歩きではなく、ド~ンと下ってまた登り返すというアップダウンのある登山道。
約3時間かかって袋田の滝の手前にある月居(つきおれ)山を「これで登りは最後」とばかり必死で登る。
縦走路の紅葉はほとんどが終わりかけであったが、月居山山頂の紅葉はまだ見事な赤で、ここまで来た甲斐があったとしばし喜んだ。
ところが、月居山を下ると、袋田の滝に行くには、再び長く続く階段を上って、また下らなければならなかった。この最後の階段の上り下りは相当足にこたえ、階段の手すりにつかまりながらヨタヨタとしか歩けなかった。
階段の上から滝を眺め、もう暗くなりかけ始めていたので、滝には明日また来ることにした。
25日早朝、再度、「袋田の滝」を訪れる。
受付で入場料を払い、滝に向かう全長276Mのトンネルを抜けると、目の前に豪快な滝が現れた。
高さ120M、幅73M。4段に落下することから別名「四度(よど)の滝」とも呼ばれているが、残念ながら、観瀑台からは3段しか見えない。
だが、その豪快な滝の流れには圧倒される。さすが三大名瀑と言われるゆえんである。
この滝は、冬、マイナス10度以下の日が何日か続くと、氷結するという。
機会があれば、是非、冬の滝も観てみたいものだ。
紅葉の方は、全体的には、少し遅かったかなあという感じだったが、秋の日を満喫できた2日間だった。
実に、考えさせられる、良い講演会だった。
昨日は、京都弁護士会主催の「憲法と人権を考える集い」に参加した。
今年のテーマは、「無縁社会を考える~孤立死ゼロへ~」。
第1部は、反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さんの基調講演、第2部は、NHK報道局社会番組ディレクター板垣淑子さんほかによるパネルディスカッション。
「集い」の実行委員ではなかったが、どれだけの来場者があるかと少し心配して出かけたが、私が着いた時には約800人の会場は満員。
「無縁死」「孤立死」というショッキングなテーマは、実は、血縁、地縁、社縁(会社の中でのつながり)が薄れ、しかも社会保障が貧困な今の世の中では、実は誰もが他人事ではない問題だった。
路上生活者がやっとアパートに入った途端、孤立化してしまい、また路上に戻ってしまう・・・
無縁な老人対象のビジネスも盛んのよう。「他人に迷惑をかけたくない」と、老人が自分の死後の葬式代などとして、生前に業者と数百万円の契約を結び、安心する・・・・
お互い、「迷惑」をかけ合いながら、助け合いながら、生きるのが人間社会だったはずなのに。
死は生きることの延長線にある。だから、生きている時に孤立している人は、孤立死しやすい。
だから、生きている中でのつながりが求められる。
弁護士としてだけでなく、自分個人の生き方も問われている思いがした。
ほんと久しぶりに生の舞台を観に行った。
南座の11月公演は、劇団新派の「滝の白糸」と「麦秋(ばくしゅう)」の2本。
観に行こうと思い立った動機は、「男はつらいよ」の山田洋次監督が脚本・演出した「麦秋」を観たいと思ったからだった。
でも「麦秋」目当てに行ったのだが、「滝の白糸」の方が面白かった。
「滝の白糸」は、泉鏡花原作で、明治中頃の北陸を舞台に、美貌の太夫・滝の白糸と元士族の青年との恋い物語。
主人公の「滝の白糸」を演じるのは女形歌舞伎役者の市川春猿。
太夫や旅芸人らの華やかな芸と悲恋の舞台で、劇中で実際に披露された水芸は、初めて観たが、圧巻だった。
最後は、「滝の白糸」は裁判所で舌を噛みきって自害、検事補となった青年はピストルで自決という悲劇で幕。
これが泉鏡花の世界なのだ・・・と思わせる舞台だった。
今年6月11日に亡くなられた医師原田正純先生。
このブログでも、過去2回書かせていただいた(2012年6月12日付け、2011年5月25日付け)。
その原田先生の姿を追ったドキュメンタリー番組「原田正純 水俣 未来への遺産」が11月4日と11月11日(再)に放映された。
その生涯を水俣病と共に歩んだ原田先生の姿が丁寧に描かれていて、あらためて深く感銘を受けた。
「水俣病は病気ではない」「殺人ですよ。企業と国による犯罪です」
多くの人の命と健康を奪う原発問題が起きても、命の重みをなんとも感じていない今の政治家や財界の人間たちが本当に情けなく思った。
番組の中で、海辺で胎児性患者2人と若き日の原田先生が語るシーンがあった。
「頭の中の手術はできないの?」と女の子が原田先生に尋ねる。
有機水銀中毒である水俣病は、治らない病気だ。
原田先生は「頭の手術をする病気は、死んでしまう病気だもん」と苦しい嘘をつく。
泣き出す女の子。
原田先生は、その治らない病と生涯かかわった。
原田先生は、若い学生たちに語る。
「医師は中立でなければいけないと僕は批判される。中立って何ですか?力の弱い患者の側に立つことが本当の中立ですよ」
宇治ユニチカ工場の二硫化炭素中毒症の裁判で、原田先生の尋問担当となり、何度か直接お目にかかることができたことは、私の弁護士人生の中でかけがえのない宝となっている。
医師と弁護士という職業の違いはあっても、「人間の命と健康を守ること」と「力の弱い者に寄り添う気持ち」は、決して忘れてはならないとあらためて感じた。
11月6日付けブログ「伊吹山登山」で8合目からは「ズック」で登れると書いたところ、同年代の友人から「今時は、『ズック』という言葉は使わないらしいよ」というメールが届いた。
そうなのか・・・・知らんかった!
「今時の人には、通じない」と言われると、ちょっとショックだった。
昔の「ズック」は、今時は「スニーカー」あるいは「運動靴」なんだそうな。
ちなみに、インターネットで調べると、「ズック」の語源はオランダ語のdeokとのこと。
そこで、ほかに、今時、死語となっている言葉を探してみた。
「とっくり」 → タートルネック
「ズボン」 → パンツ
「アベック」 → カップル
「チョッキ」 → ベスト
「つっかけ」 → サンダル
やっぱり私は、昭和の人間だ・・・・
11月4日(日)は、絶好の登山日和になったので、関西からは近場の伊吹山(1377m)に登った。
伊吹山は日本百名山の1つで、ふもとから登るのは2回目。
ふもとからだと、おおよそ1100mほどの標高差がある。
前回は、2002年7月に夜間登山した。
伊吹山は花の百名山の1つでもあり、夏になると、8合目から山頂にかけてのお花畑はとても素晴らしい。
ドライブウェイもあるので、8合目までは車で来れるし、そこから山頂まではズック(=運動靴のこと)で登ることもでき、一般観光客も多い。
しかし、ふもとからの登山道は、3合目以降は樹林帯もなく、真夏の7-8月に登ろうと思うと、灼熱の太陽を避けて夜に登るしかない。
そこで前回は、午後8時頃から登山を開始して山頂の小屋で宿泊し、早朝下山した。
今回は、11月なので、もちろん花はなし。2合目から3合目にかけては、一面のススキ原が見事だった。
秋の太陽は、日焼けがちょっと気になるが、暖かくて優しい。
登山日和だったせいか、登山者は多く、山頂に到着すると、更にドライブウェイからの一般観光客も合流し、かなりの賑わいとなっていた。
さすがに山頂の風は冷たく、売店に入ってストーブで暖を取りながら、ラーメンを食べた。
下山は、琵琶湖や空に浮かんでいるパラグライダーたちを眺めながら、駆け下りた。
先日、元依頼者Iさんから「滋賀県高島まで卵を買いに来てるので、先生に持って行きたい」と嬉しいメールが入った。
いただいた卵は、スーパーで売られているLサイズのものより1.5倍くらい大きい卵だった。
Iさんは何も言わずに帰ったので、その時は「大きい卵やなあ」と単純に感動しただけだった。
そして、実際に調理してみて、もっとビックリした。
なんと卵を割ると、卵黄が2つ入っているではないか!双子の卵や~
すぐにインターネットで調べてみた。
このような卵は、二黄卵(におうらん)、俗には「にこたま」と言って、そのほとんどは産卵開始後まもない若鶏が産んだ卵である。
薬物投与等の人為的方法で作り出されることはなく、大きさや重さが飛び抜けているため、産卵開始後まもない若鶏しかいない養鶏場であれば比較的簡単に見分けられる、ということも知った。
いただいた卵はすべて二黄卵だった。
そして、この卵でほんとの目玉焼きも作った。
何年生きてきても、知らないことは一杯あるものだ。