(女性弁護士の法律コラム NO.130)
司法試験に合格した司法修習生には、これまで給与が支給されていましたが、昨年11月から給費制が廃止され、国がお金を貸す「貸与制」となりました。
貸与制は、修習期間中の生活費を国(最高裁判所)から無利子で借りる制度ですが、申し込みには連帯保証人が2人必要です。
連帯保証人が立てられない修習生はどうしたらよいのでしょうか?
そのような修習生は、最高裁が選定したカードローン大手企業のオリエントコーポレーション(オリコ)に保証料を払って保証してもらうことになっています。
しかも、オリコが保証を拒否すると、修習生は貸与さえ受けられなくなります。
保証料は貸与額の2.1%。毎月23万円借りる修習生の場合、毎月4830円がオリコへの保証料です。
保証料は、あらかじめ給料天引きされ、1年間でオリコには約6万円が入ります。
昨年11月からの新66期修習生の利用者は297人とのことですから、オリコは毎年約1800万円の保証料を得ることになります。
貸与制で借りた金の返済は、5年の返済猶予後、10年間で返済します。返済を怠ると、オリコが代位弁済しますが、その際、オリコは年6%の遅延損害金を請求することができます。
でも、なぜオリコなんでしょうか?
オリコは、過払金返歌訴訟や消費者被害事件などでよく相手となる会社です。
弁護士になって自分の保証人となってもらっているオリコ相手に裁判ができるのでしょうか?
検察官や裁判官はどうでしょうか?
本当におかしな話です。
国会や最高裁は、一体、何を考えているのだろうかと思います。
給費制・貸与制の問題は、法曹養成制度全体の中で議論されるべき問題です。
2013年1月アーカイブ
1月17日、警察庁は自殺統計を公表。
2012年は2万7766人で前年より2800人減少し、15年ぶりに3万人を下回ったとのこと。
どこの新聞やテレビもこの話題を報じていた。
自ら命を絶つという本当に悲しく痛ましい出来事が減ることは喜ばしい。
でも、マスコミは「自殺対策が効果をあげた」とか「経済悪化が底となった」などと論じていたが、そんなに単純なものなのか?と疑問を持った。
そんなおり、2013年1月27日付け京都新聞で精神科医の高木俊介氏が次のように書かれている記事があった。
「実は『自殺者数の減少』は、『自殺が減った』ことを意味していない。」
「自殺の好発集団は、いつの時代でも50~60代という年齢集団である。つまり、各年代の『自殺率』は減らなくても、団塊世代が自殺好発年齢を通り過ぎるだけで、『自殺者数』は経るのである」
そうか、団塊世代が50代60代を過ぎ、その年代の自殺者が減っただけだったのか・・・・
しかし、高木氏は更に厳しく指摘する。
「厳しい目で数字を見れば、別の本当の危機が見えてくる。」
「ここ数年、若者の自殺が男女ともにじわじわ増えている。しかし、若年人口が少ないので、『自殺率』は増加しても、数としては目立たない」
自民党政権になって、生活保護は大幅に切り下げられ、賃金もますます下がっていく。次は、社会保障の縮小か・・・
高木氏は「自己責任ばかり求める時代は、若者と、そして再び、高齢化した団塊世代を自殺へと追いつめる・・・・ことにならぬよう願う」
全く同感である。
(女性弁護士の法律コラム NO.129)
「長引く不景気、政府が検討している消費税アップや社会保障制度の見直しなどを背景に、シニアの間で家計簿を付け始める人が増えているという」(2013年1月25日付け京都新聞朝刊)。
私は、ずっと家計簿をつけている。
いつからだろう・・・・中学の家庭科で「金銭出納帳」いわゆる「小遣い帳」の書き方を勉強して以来だったと思う。
子どもの頃は「小遣い帳」形式で、大人になっていつからか「家計簿」形式に変わり、現在までずっとつけてきた。
もともとあまり無駄遣いする性格ではないので、「生活を見直す」というような目的があるわけではなく、子どもの頃からの惰性で、つけないとなんとなく気持ちが悪い。
でも、物忘れで「あれ、払ったっけ?」と思った時、家計簿を見ればわかるし、習い事をしていた時などには、友人から「あの時の衣装代いくらだったか、調べてくれない?」と頼まれたこともあった。もちろんスーパーの商品の底値もわかる。
事務所のホームページ「法律コラム:離婚」の「離婚を有利に進める方法」の中でも書いたが、夫の生活費の不払いや夫から「妻の浪費」「家計能力がない」などと難癖(?)をつけられた時には、家計簿は有力な証拠となるし、また、家計簿のメモ欄に書いた短い文章が時には離婚の重要な証拠となることもある。
しかし、そういう人に限って家計簿なんかつけておらず、悔しい思いをすることがよくある。
また、破産を申し立てる場合や、裁判所から破産管財人に選任された場合などは、弁護士が破産者の毎月の家計をチェックしなければならない。
そういう時には、自分自身が家計簿をつけているから、各費目のおおよその適正価格はそれなりに判断できるから、家計簿をつけることは仕事にも少しは役立っている。
ところで、母が亡くなった後、遺品を整理していたら、家計簿が何冊も残っていた。それも市販の家計簿ではなく、普通の大学ノートに自分で使いやすいように線を引いて枠を作り、予算も立てて、毎日書いていた。その几帳面さに驚いた。
母の性格が少しは遺伝してるんかなあ。
昨年10月29日京都新聞夕刊の「現代のことば」欄に上野千鶴子さんがこのタイトルで文書を書いていた。
上野さんの言う「在宅ひとり死」とは、在宅死から家族のみとりを引き算したもの。家族でない人々に支えられた死だから、「孤独死」ではない。
実は、昨年12月28日付けコラムに書いたSさんは、1月8日亡くなられた。
新年になって、会うことも声を聞くこともないまま、Sさんは逝ってしまわれたが、年末ぎりぎりに遺言を作成することができて本当に良かったと思った。
そのSさん、生前は独身で一人暮らしだった。
打ち合わせのため何度か自宅を訪問したが、必ず何名かの友人の方が交代でSさんの身の回りの世話をしに来られていた。
本当に多くの友人に支えられて、充実した「おひとりさま」人生を過ごして来られたことを実感した。
最期の様子はまだ伺っていないが、きっと「孤独死」ではなかったと思う。
今は、Sさんの遺志である遺言の内容を執行していくことが私の仕事である。
(女性弁護士の法律コラム NO.128)
新年早々、悲しい知らせが届いた。
女性弁護士の草分け的存在のお一人、東京の坂本福子弁護士が1月12日亡くなられた。80歳。
坂本弁護士は、数々の男女差別の裁判に取り組まれ、女性の権利を切り開いて来られた。
結婚退職制、男女差別定年制、男女賃金差別などなど・・・・書籍などで判例紹介されている男女差別事件のほとんどを手がけて来られたと言っても過言ではない。
「女」というだけで「男」と差をもうけることが平然とまかりとおってきた時代に、当事者女性らと共に闘い、その信念は、長い弁護士人生の中で少しもゆらぐことはなかった。
体重が30キロもない痩せたその身体のどこにそんなパワーがあるのだろうと思ってしまう。
坂本弁護士が1982年に出版された「女性の権利」(法律文化社)は、私にとってはバイブルのような本で、女性の権利問題などの講演を依頼された時には、必ず繰り返し読み返した。
闘わないと道は開けない、そして闘えば必ず道は開ける・・・坂本弁護士はそう教えてくれた。
そんな坂本弁護士と、日本弁護士連合会の両性の平等委員会や自由法曹団の会議でご一緒し、議論したり、親しく話をさせていただいたことは、懐かしい思い出になっている。
男女雇用機会均等法ができて約30年。
社会は、あらゆる分野で男女平等が実現できているだろうか?
現在、女性を取り巻く状況は、より複雑となり、男女差別も見えにくいものとなっている。
坂本弁護士は、きっと、真の男女平等が実現するまで「闘わなきゃあダメよ」と仰っているはず。
ご冥福をお祈りします。
何を隠そう、実は、私は、アサミスト(「浅見光彦」ファン)である。
作家内田康夫のミステリー小説は、単なるトリックや謎解きではなく、そこに時々の社会問題と「人の情」が盛り込まれているところが面白い。
新刊が発売されるとすぐに、同じくファンであるO弁護士が本を購入し、彼が読み終えると、すぐに私に貸してくれるというパターンができ上がっている。
年末年始は少し時間ができたので、昨年10月に発売され、O弁護士から借りたままになっていた「汚れちまった道」(祥伝社)と「萩殺人事件」(光文社)の2冊の単行本を読んだ。
今回の同時期に発売されたこの2冊の小説は、「ヤマグチ・クロス」という企画で作られたもので、山口県を舞台に2つの作品が交差(クロス)しながら展開するという面白い構成になっている。
「汚れちまった道」は浅見光彦が主人公として、その視点で書かれ、「萩殺人事件」の方は、浅見の友人松田将明を主人公として、その視点で描かれ、次々に起こる事件がそれぞれ錯綜しながら展開する。根っこにあるのは、「萩・防府高規格道路建設計画にまつわる不正」・・・・
ところで、この2冊の本の読み方であるが、通常どおり、それぞれ1冊ずつ読むのもよいが、せっかく「ヤマグチ・クロス」という特別企画の作品なのだから、是非、浅見光彦倶楽部事務局が紹介する「交互読み」をお勧めする。
「読み方」順の詳細は、ネットで「ヤマグチクロス 読み方」と入力して検索してみてください。
ベアテ・シロタ・ゴードンさん。
日本国憲法に24条の「男女平等」条項を書いてくれた米国人女性である。
昨年12月30日、89歳で亡くなったことを新聞で知った。
ベアテさんは、5歳の時にロシアのピアニストの父とともに来日し、少女時代を日本で過ごした。その後、渡米し、戦争情報局やタイム誌で働いた後、1945年GHQ民政局のスタッフとして再来日。22歳の若さで日本国憲法草案の人権条項作成にたずさわり、憲法24条を明記することに尽力した。戦前の女性の無権利状態を憂えての24条だった。
草案に対し、当時の日本側は「こういう女性の権利は全然日本の国に合わない、こういう権利は日本の文化に合わない」と猛反発した。
だから、ベアテさんがいなければ、日本の「男女平等」はどうなっていたかわからない。
なお、24条ができた経緯については、ベアテさんの自伝「1945年のクリスマス」に詳しく書かれてある。
共同通信に対して、ベアテさんの娘ニコルさんは「母は生前、憲法の平和、男女同権の条項を守る必要性を訴えていた。改正に総じて反対だったが、この2つ(の変更や削除)を特に懸念していた。供物で弔意を示したい場合は、代わりに護憲団体・9条の会に寄付してほしい」と語ったそうだ。
憲法24条そして9条・・・・未来の子どもたちのために、今を生きる私たちが守らなければならない日本の宝だ。
私は、中部地方出身なので、子どもの頃から正月に食べてきた雑煮は、ずっと、おすまし仕立てで、餅も焼いたりしない。餅の他に入れる物も、小松菜がメインで、あとは大根・人参・しいたけ・鶏肉などを入れたり入れなかったり。
京都は、白味噌の雑煮であることを知って、見よう見まねで作ってみたこともあったが、やはりあまりなじめなかった。
白味噌の味噌汁が本当に「おいしい!」と思ったのは、京都のなかなか予約の取れない店「なかひがし」のコース料理の中で出された時だった。
甘すぎず、とろーりとして、シンプルだが絶品だと思った。
そして、たまたま何かの雑誌で、「なかひがし」の女将さんの実家が京都の「しま村」という味噌屋さんで、「なかひがし」もこの「しま村」の白味噌を使っていることを知った。
ネットで調べると、「しま村」は、河原町今出川近くの住宅街にあることがわかったので、昨年11月頃に家裁からの帰りに寄ってみた。
店らしき建物は見つかったが、どうも小売りをしているような雰囲気はない。
それで、色々な人のブログを読むと、錦市場の「麩嘉」という店で取り扱われていることがわかり、昨年末やっとゲットできた。
そして、今日、今年はじめて「しま村」の白味噌で雑煮を作ってみた。
水の分量、味噌の分量、出汁の取り方などきちんと正確にはかった。砂糖やみりんは入れない。味噌と出汁だけ。餅のほかに、別にゆでた大根と人参を入れて食べてみた。
「なかひがし」の味噌汁とまではいかないが、かなりおいしい出来映えだと思った。
餅がなくなるまで、今年は白味噌の雑煮を楽しむことにしよう。
明けましておめでとうございます。
一つ一つの法律相談や事件が当事者の方々の「人生」そのものと考え、丁寧かつ真摯に取り組んでいきたいと思っております。
また、新政権誕生によって、憲法とりわけ9条改悪の動きが強まることを懸念しております。
「平和」だけは絶対に譲れません。
本年もよろしくお願い申し上げます。