8月29日(土)と8月30日(日)は、日本列島が、戦争法案反対で激しく暑く燃えた日となった。
8月29日は、京都弁護士会が、初めて円山公園音楽堂で戦争法案反対の大集会を開いた。
3000人が目標と聞いていたので、弁護士会がそんなに人を集められるだろうか?と、とても心配していたが、開会30分前に会場に到着すると、たくさんの人、人、人で、そんな心配は一瞬にして吹き飛んだ。
集会は、白浜会長の挨拶で始まった。
会長の挨拶の際には、戦争法案に反対アピールを出した、京都弁護士会の歴代会長も登壇。
我が事務所の村井弁護士も会長経験者として登壇した。
戦争法案反対のアピールを出した歴代会長の皆さん(前列の人は、手話通訳の人です)。
次に、小林節慶応大学名誉教授の講演。
小林さんは、国会の衆議院憲法審査会で戦争法案は「違憲」であると述べた3人の学者のうちの1人である。
難しい憲法の話はなし。
安倍政権がいかにひどいかを語り、仮に強行採決が行われても、次の選挙で政権交代をさせればよいと強調された。
そして、政党からのアピールの後は、各界からのアピール。
とりわけ、SEALDsKANSAIを代表して発言した、同志社大学2年生の斎藤凛さんの言葉には胸打たれた。
まだ10代の斎藤さんは、
これまで選挙には行ったことがない。
国会審議を聞いていると、おとなたちは、なぜこんなに未来に対する創造性がなく無責任なんだろうと思った。
でも、反対運動の中で、好きなことができている今があるのは、過去に頑張ってくれた、おとながいたからだとわかった。
自分たちも、まだ見ぬ、これから生まれてくる子や孫のために、頑張りたい。
心からほとばしり出る斎藤さんの訴えに涙が出た。
集会は、最終的に4500人の参加となった。
集会後は、京都市役所前までパレード。
沿道では、今日もたくさんの人が、注目し、応援の拍手を送ってくれた。
弁護士会の役員や憲法委員会の会員の皆さん、本当にご苦労様でした。
翌8月30日は、国会周辺で、戦争法案に反対する12万人の人が集まったという。
また全国各地で様々なとりくみがなされた。
これこそが民主主義だと感じた、燃えた週末だった。
2015年8月アーカイブ
(女性弁護士の法律コラム NO.206)
Eさんの事件を担当し始めて、途中、空いた年月はあったものの、もう数年が経過する。
長いつきあいになった。
Eさんは、60代後半で、一人暮らしの女性だ。
通常、事件を担当していても、依頼者のプライバシーのことは、事件に必要な範囲あるいは雑談程度にしか聞くことはない。
Eさんも、高齢者の域には入ってきたが、パートで頑張って働いていると聞いていたので、普通に生活しているものと思っていた。
ところが、最近になって、借家の家賃を滞納していることがわかり、相談を受けた。
必然的に家計状況を尋ねることとなり、かなりの金額の家賃滞納と、ほかにも借金があることがわかった。
元々、計画的に金を使えない性格であることは、知っていたが、反省して、堅実に生活しているものと思っていた。
「食事はどうしているの?」と尋ねると、節約のため、ほとんど毎日おにぎりなどですませているとのこと。
それでも「葬式代だけは貯めてますから」と言う彼女。
「死んだ後より、生きてる今の方が大事じゃないの!」と腹が立ったが、日本人やなあと哀れささえ感じた。
お中元でいただいたサラダ油があったので、それをさしあげたら、「これで、もやし炒めができる」と嬉しそうだった。
Eさんは大金を手にしていた過去もあり、自業自得と言えば、それまでだが、高齢になり、今はまだ元気で働けているが、これから先が心配だ。
お盆過ぎの休暇は、あまり長く日程が取れなかったので、急遽、北アルプスの霞沢岳(2646M)に登ることにした。
霞沢岳は、北アルプスの南部に位置する山で、日本二百名山の1つである。
槍ヶ岳や穂高岳と比べると、マイナーな山でなので、登山者は少ない。
でも、穂高連峰と対峙する位置にあり、ここからの穂高の眺めは最高と聞いた。
登山道は、徳本峠(とくごうとうげ。2140M)からのピストンだけ。
8月19日、上高地から入り、明神から徳本峠への登山道を行くと、登山者は誰もいない。
徳本峠に達するまで、すれ違った登山者は下山する一人だけ。
登山道は最初は緩やかだが、しばらくすると、つづら織りの急坂となる。
水場を2カ所経ると、まもなく徳本峠小屋に到着した。
今日は、小屋泊まり。
徳本峠小屋は、2010年に新館を建てたところで、綺麗だ。
明日の天気予報があまり良くない。
せっかく霞沢岳に登るのに、穂高の展望がなければ、つまらない。
予報では、午後からくずれるとのことだったので、明日朝は、朝食弁当を持って、午前4時半過ぎに出発することにした。
翌8月20日、午前4時40分出発。
午前5時には周囲が明るくなり、穂高もぼんやり見える。雨は降っていない。
小屋からジャンクション・ピークまでは、300M程つづら織りの急坂をひたすら登る。
ジャンクション・ピークからは、今度は約200Mの下り。樹林帯の中をアップダウンしながら下っていく。
K1ピークのとりつきからは、またかなりの急登となる。
途中から小雨も降ってきた。
やっとの思いでたどりついたK1では、穂高連峰の見事な展望が待っていた。
数年前に歩いた、西穂の独標から、西穂、ジャンダルム、ロバの耳、奥穂、前穂まで、すべて見える。
天候は、あまり良くないが、展望があって穂高も見え、登ってきた甲斐があった。
K1でしばらく360度の展望を楽しみ、K2そして霞沢岳山頂へ。午前9時半過ぎ。
下山はピストン。
下山は、今度はK1から急坂を下り、アップダウンを繰り返して徐々に高度を上げ、ジャンクション・ピークからまた長い急坂を下る。
徳本峠小屋に着いた時には、もうヘトヘト。
昼食に、そばを食べて生き返る。
小屋から上高地への下山は、楽だったが、足はもうガタガタ。
疲れた~!!
7月に受けた健康診断の胃透視検査結果の欄に「胃に微小なポリープあり。来年も検査を受けてください」と書かれてあった。
このような記載があると、気の弱い私はとたんに不安になる。
父が胃ガンで亡くなっているから余計だ。
来年まで、どこかに不安な思いを抱えるのは嫌だ。
友人の夫の医院でも胃カメラ検査をしていることを知り、すぐに検査の予約をした。
胃カメラ検査は、10年以上前に2回受けたことがあったが、最近はしばらく受けていない。
検査当日。
その友人も医院で働いていることや、3回目ということで、緊張感はあまりない。
でも、最初にカメラの管を口から挿入する時は、やはり苦しい。
先生が「画像見ますか?」と言ってくれたが、見る勇気はない。
検査は、おそらく15~20分くらいで終わったと思う。
結局、ポリープは見つからなかった。
ホッと一安心。
何回受けても、胃カメラ検査は慣れないなあ。
青森の旅の番外編。
(その1)
青森の「美味しい食べ物」はたくさんあるが、その1つ、大間のマグロは有名だ。
大間は下北半島の先端に位置するので、そこまでは、とうてい行かれない。
でも、大間のマグロを食べさせてくれる店を見つけた。
それは、青森市の近郊にある浅虫温泉の「鶴亀屋食堂」。
早朝から開店しており、午前11時に入店したが、もう席はほとんど埋まっていた。
ここの名物は、なんと言っても、大間産のマグロ丼。
大・中・小と3種類があり、中(マグロ15切れ)を頼んだ。
中とは言っても、1切れが大きい!
ボリューム満点で、おいしい!
満足。
(その2)
岩木山の麓は、りんごも有名だが、夏は、とうもろこしだ。
岩木山からのハードな下山の時、「麓に着いたら、とうもろこしが食べられる」ことだけを楽しみに頑張った。
焼いたものと、ゆでたものが売られていたので、店のおばちゃんに「どっちがおいしい?」と聴くと、「そりゃあ、焼きやね」という返事。
焼きとうもろこしを買って食べた。
甘~い。
山の疲れが吹き飛んだ。
8月8日は、白神岳へ。
白神岳(1235m)は、世界遺産である白神山地の中にあり、日本二百名山の1つである。
前日の岩木山登山の疲労が残り、とりわけ右膝が痛い。
マテ山コースの登山口から登り始め、しばらくは、緩やかな坂が続く。
木立が高く、岩木山のうっそうとした雰囲気とは異なり、気持ちがいい。
しかし、最後の水場を過ぎると、マテ山への急な登りとなった。
風もない中で、暑さと足の痛みとで、苦しい。
周囲はガスがかかり、展望はなし。
たとえ白神岳に到着しても、ガスで何も見えないと思うと、もうマテ山で引き返したくなった。
マテ山の分岐で、パンを1個食べる。
少し気持ちが落ち着いてきた。
そこからしばらくは、ゆるやかなアップダウンが続く。
ブナ林が心をなごませてくれる。
そして、次第に急坂となり、十二湖コースとの分岐まで来ると、ほぼ平行移動となった。
まもなく山頂へ。遠かった!
山頂にもガスがかかり、時々雲が切れる程度で、展望はほとんどない。
下山は、同じルートを通る。
両足の太股はパンパンになり、宿の階段を上るのも一苦労だった。
8月7日は、別名「津軽富士」とも呼ばれる岩木山(1625M)に登った。
岩木山は、今回で3回目の登山になるが、8合目までドライブウェイがあるので、過去2回は、8合目からしか登っていなかった。
そのため、今回は、麓から登る計画を立てた。
思いがけず、青森も猛暑だったため、出発時間を早め、午前6時前に嶽温泉の登山口から登山を開始した。
最初は、木立の中のなだらかな坂を登って行く。
次第に、坂の勾配が急になっていき、8合目のドライブウェイ終点の駐車場に出る直前の登山道は、笹ヤブの中の細い急登だ。
8合目に出ても、ガスがかかり、展望は全くなし。
そこから9合目までは、やや広い岩がゴロゴロした登山道。
そして9合目から山頂までは、ゴロゴロした岩場を登って行く。
麓から登って来たので、かなり足が重い。
8合目のリフト乗り場からリフトで上がって来た人たちが、どんどん追い抜いていく。
岩場を這うように登り、午前9時40分、やっと山頂に到着。
相変わらずガスがかかり、展望はない。風も強く、寒い。
しばらくは動けない。
パンとコーヒーで、ようやく生き返る。
下山は、岩木山神社登山口をめざす。
9合目からも、岩がゴロゴロした急坂だ。ただ、ミチノクコザクラがたくさん咲いていたので、このルートを選択して良かったと思った。
沢沿いの道も急坂。かなり厳しい。
中間地点辺りで、このままの歩行時間だと、バスに間に合わないことに気づき、それからは若干登山道も緩やかになったことから、歩行を早めた。
だが、途中から右膝が痛い。
でも、なんとか、午後1時過ぎに、岩木山神社に到着した。
やはり麓からは、ハードな登山だった。
2日目(8月6日)は、津軽平野の南部にある田舎館村(いなかだてむら)へ。
人口8100人の小さな村だが、稲作の歴史は古く、こめづくりの村である。
そこに「田んぼアート」が広がっていた。
「田んぼアート」とは、色が異なる稲の穂を巧みに植えて編み出す壮大な稲のアート。
「田んぼアート」のはじまりは、平成5年から始まった「稲作体験ツアー」。
弥生時代から続く北方稲作文化を今に伝えるために、昔ながらの手作業で田植えから稲刈りまで行うイベントで、米づくりの楽しさ、農業の面白さをより多くの人に知ってもらうために、色の違う稲を使って稲文字を描いたのがきっかけ。
年々図柄は細かく芸術性も高くなっていった。
2015年の第1田んぼアートは、「風と共に去りぬ」。
200円払って展望台へ。
すごい!
展望台から綺麗に見えるように、遠近法も駆使して描かれている。
なお、「青天の霹靂」というのは、2015年の新種の米の名前だそうで、その米の稲穂で書かれているとのこと。
第2田んぼアートは、「スターウォーズ/フォースの覚醒」。
近くで見ると、こんな感じ。
8月5日から10日まで、青森県を旅してきた。
以前から白神岳に登りたかったので、大好きなねぷた祭りに合わせて登山日程をたてた。
これまでにもブログに書いたが、10数年前に青森出身の友人に連れて来てもらって、青森ねぶた祭りと弘前ねぷた祭りを見て以来、壮大で迫力のある祭りにすっかり魅了された。
以来、この2つのねぶた祭りを何度か見に来ている。
青森市内のねぶたは、横にすごく大きい。
弘前ねぶたは、扇形。
そして、もう1つ。五所川原のねぷたは、「立ちねぷた」ということで、是非とも、これが見たかった。
五所川原は、友人の出身地でもある。
8月5日昼過ぎ、新幹線で新青森駅に着く。京都と同じくらい、とにかく暑い。
旅館に着いて休んだ後、津軽鉄道に乗って、五所川原へ。
五所川原市は、町としては、こぢんまりとしている。
道路は狭いが、あまり高い建物はない。
立ちねぷたの運行は、午後7時からなので、とりあえず寿司屋でマグロなど美味しい魚を堪能する。
ねぷたの運行は、小型ねぷたから、中型ねぷたと続き、最後は20メートルを超える高さの大型ねぷたが3台運行されるということだった。
青森ねぶたは、広い道路に合わせて横にすごく大きいねぶただが、五所川原のは縦に大きいのが特徴。
高い建物が少ないので、余計に迫力がある。
青森の友人は「まるでゴジラのよう」と評していた。
先頭のねぷた(後方から撮影)。
その後、次々と、小型ねぷた、中型ねぷたと続いて運行されてくる。
青森市内のねぶたほど、激しく動き回ったりはしないが、やはり、ねぷた祭り特有の迫力と楽しさがある。
一緒に中に入って、歩きたいくらい。
最後の3台は大型ねぷた。
高さが20数メートル、ビルの6-7階に相当するから驚きだ。
圧倒される。
終了後、早速、青森出身の友人に「見たよ~」とメールを送った。
38.5度という猛暑を記録した8月1日(土曜)午後。
現在、全国を飛び回って憲法落語を展開している、「八法亭みややっこ」こと飯田美弥子弁護士(東京・八王子合同法律事務所所属)の講演会「戦争法案を着る!」が京都・西陣織会館で開催されたので、参加した。
これは、「北区憲法9条の会」の結成イベントとして開催されたもの。
「みややっこ」さんのことは、2013年10月25日付けブログで1度紹介した。
彼女の話によると、2013年5月から憲法落語を始め、この日の京都で91回目。
全国で訪れていない県は、あと6県となったそうだ。
すごい人気だ。
2013年10月に「みややっこ」さんの「噺」を聴いたのは、法律家団体の懇親会後であったため、ほんの「さわり」でしかなかった。
今回は、がっつり90分以上、聴くことができた。
会場は、約450人の市民が参加し超満員。
「みややっこ」さんは、夏の着物姿で登場。
聖徳太子の十七条の憲法から始まり、ユーモアを交えながら、わかりやすく安保法案を切っていく。
そして、憲法で一番大事なのは、一人ひとりが何でも好きなことができるという幸福追求権(憲法13条)であり、憲法9条があるからこそ国民は守られてきたと強調された。
会場は、終始笑いにつつまれ、また、安保法案反対に向けて頑張ろうという思いはますます強まった。
安保法案を廃案にして、いつか、「みややっこ」さんの本物の落語も聞いてみたい。