日本の格差社会において、子ども6人に1人が「貧困」・・・友だちとコンビニでお菓子を買うことももできない、毎日の夕食は、ソーメンだけ。
そんな中、全国で、地域の子ども達に無料あるいは格安で食事を提供する「子ども食堂」の取り組みが広がっている。
大阪府堺市では、7月20日、市が主体となった子ども食堂のモデル事業が始まった。
いずみ市民生活協同組合や、食品ロスを減らす活動に取り組みフードバンクが食材を提供。
中高生までの子どもには無料で、おとなには実費300円で食事を提供する。
堺市は、子ども食堂を設置するため、500万円の予算を計上し、NPO法人に事業を委託。
今後は、市内3カ所以上の施設で月1回以上開催する予定。
自治体が主体となった子ども食堂は、全国では少数で、注目される。
子ども食堂の取り組みについては、必ずしも貧困家庭の子どもが食べに来ていないのではないか?などの声も聞かれるが、外からは、子どもの貧困は見えにくく、どの子どもに対しても開かれた食堂であることが、とても大切だと思う。
堺市のこのとりくみは、食を1つのキーワードに、誰でも参加できる場を市が主導して提供するもので、注目していきたい。
京都市内でも、嵐山や下鴨などいくつかの子ども食堂が出来ているという新聞報道は目にするが、京都市自体がかような取り組みを行うことを期待している。
2016年7月アーカイブ
テレビで「草津メロン」というメロンがあることを知った。
「草津」は、もちろん、お隣の滋賀県草津市のこと。
琵琶湖の水と肥沃な土で育ったメロンは、とても甘いとのこと。
そこで、先週の日曜、早速、草津まで出かけた。
ところが、ネットで調べた販売所は、既に閉じられ、メロンの影も形もない。
どうやら「草津メロン」はそろそろ収穫が終わりらしい。
このままでは帰れないと、再度、ネット検索し、すぐ近くに「草津あおばな館」という産直野菜の販売所があることがわかり、草津メロンを求め、向かった。
草津あおばな館は、かなり広いスペースの場所に、新鮮な野菜が一杯。
店は、結構、混雑していた。
お目当ての、草津メロンもゲット。
帰りには、こんな建物も見つけた。
ゲットしたメロンは、説明書によると、食べ頃は1週間後。
ひたすら我慢の1週間。
そして、今週の日曜、やっと入刀!
熟して、甘~いメロンを味わいました。
前にブログで書いた、東北へ調査旅行に出かける当日の朝、登山靴のソール(靴底のゴム部分)がはがれていることに気が付いた。
まだ、買って3年位しか履いていなかったのに・・・
登山靴は何回も買い換えているが、ソールがはがれたのは、初めて。
やむなく東北へは、急遽、もう1足持っていた軽登山靴を持って行った。
ソールがはがれても、修理は可能だが、約1ヶ月もかかると言われた。
これまで履いていた登山靴は、やや幅広で、イマイチ自分の足にフィットしていなかったので、これを機に思いきって、マインドル社の新しい登山靴を購入した。
マインドル社は、ドイツの靴メーカー。
京都では、山の専門店のロッジや好日山荘にはなく、カンダハルという小さな店で購入した。
デザインは地味だが、私の足にはフィットしている気がする。
次に山に行くまでに、ためし歩きをしておかなければと思ったが、この暑さで、日中に歩くのはとても無理。
そこで、7月23日土曜朝、午前5時に起きて、新しい登山靴を履き、京都御所を歩くことにした。
涼しくて、すがすがしい。
既に、何人もの人達が、ウォーキングをしたり、ランニングしたりしている。
私は、砂利道や土道で凹凸のある所を選んで歩いた。
内周1周4キロを歩く。
靴は好調。夏山が楽しみ!
自分自身が年を重ねていく中で、これからどのような生き方をしていくのか、日々、思い悩むところである。
7月15日放映のNHK番組「かんさい熱視線」では、大阪府豊中市に住む81歳の介護ヘルパー千福幸子(せんぷくゆきこ)さんを取り上げていた。
千福さんは、2003年に夫を亡くした後、73歳で介護ヘルパーの資格を取り、76歳では介護福祉士、そして昨年80歳でケアマネージャーの資格を取った、現役の介護ヘルパーである。
シニアだからこそ、相手の気持ちがよくわかるという利点もあるが、そんな簡単なものではない。
千福さんは、本当に努力家で、相手が聴覚障害を持っていれば、コミュニケーションを取るために、自分も手話を習うというような努力もされている。
千福さんが目指しているのは「心のケア」。
ケアマネージャーの合格率は19.2%(2014年度)といわれる難関で、合格者の平均年齢は37歳。
それを千福さんは、1度で合格。
何事も年齢を言い訳にせず、決めたことはすばやく行動する・・・
また一人、人生の目標にできる人を見つけた。
7月18日、九州から東海まで、突然の梅雨明け宣言。
京都は祇園祭の山鉾巡行も行われ、絶妙なタイミング。
日中の気温は高いが、朝晩は、まだ涼しくて過ごしやすい。
でも、今夏は、史上最高の暑さになると言われており、戦々恐々の毎日である。
食べ過ぎのせいか、ここ数日、胃痛があって、食べる量を控えている。
体調を崩さないよう、気を付けなければ・・・・
少しでも夏の暑さを乗り切るための私のささやかな工夫。
それは、麻の服を着ること
昨年1枚、麻のブラウスを買い、気に入ったので、今年は色違いをもう1枚買った。
麻は涼しいと聞いてはいたが、実際に着てみると、本当に涼しい。
洗うと少しシワシワになるので、アイロンをかけなければならないが、きちんと干せば、多少のシワシワも麻らしい風合いで、いいかも。
外出する時は、日傘・手袋・サングラスが三種の神器。
これは、単なる日焼け予防のため。
(女性弁護士の法律コラム NO.229)
人が行方不明となり、その生死が7年間明らかでない時は、利害関係人の請求により、家庭裁判所は、失踪宣告をすることができる(民法30条1項)。
失踪宣告されると、その人は死亡したことになって、初めて戸籍に死亡の事実が記載されることになる。
これとは別に、戦地に行ったり、船が沈没したりなどの危難に遭遇した人の生死が、その危難が止んだ後1年間明らかでないときも、失踪宣告をすることができる(民法30条2項)。
これが「危難失踪」である。
Aさん(男性)は、平成27年1月に東北の冬山に単独で登ったまま帰らず、現在もその生死が明らかでない。
父親が危難失踪を申し立てたが、家裁は、危難に遭ったとは認められないとして、その請求を認めなかった。
そこで、父親は、不服申立を行い、抗告審からこの事件の依頼を受けて担当することになった。
調査のため、先週末から今週初めまで、東北と東京に出かけた。
東北では、実際に捜索にあたった地元の山の会の方々から話を伺うことができた。
Aさんが遭難した山は、私も過去に登ったことがある山だが、夏と冬とは状況が一変することや、この山は笹や木々が密集しているため、雪が溶けると、登山道以外の場所には侵入することもできず、捜索も困難であることなどがわかった。
また、1月に登山する人はほとんどいないとのことで、しかも、Aさんは、冬山についてはほとんど素人と同じくらいの経験しかなかった。
平成27年1月は、何年かぶりの大雪で、そのような雪の中をラッセル(道を造ること)しながら進むことは、かなり体力を消耗したであろうことが推測された。
そして、実際に山に登ってみた。
あいにくの梅雨の時期だったため、雨の中を歩くことになった。
晴れていれば、周辺の山々が展望できたのだが、全く視界はなく、途中で引き返したくなる気持ちを抑えて歩き、頂上に達した。
山の会の方々の言葉が実感として感じられた。
京都へ戻る途中、東京に立ち寄り、当時、Aさんが働いていた職場の関係者からも事情を聴くことができた。
会社の同僚にも「明日、山に行く」と話していたとのことで、遭難したことは間違いない。
家裁段階で、調査官による調査が若干されているが、調査官も裁判官も「山を知らない」としか言いようがない認定であった。
結論が覆るよう、頑張りたいと思う。