Jアラートは、地震や津波などの大規模自然災害や、テロ等武力攻撃の発生などを対象にした、政府の警報システムである。
市民が携帯電話へのエリアメールやスマホのアプリなどでも受信できるほか、市町村の防災行政無線等も自動起動し、屋外スピーカーから警報が流れる。
内閣官房は、度重なる北朝鮮のミサイル発射問題を受けて、弾道ミサイルが日本に落下する可能性がある場合にもJアラートを使用する運用を追加した。
そして、2017年6月23日から7月6日まで、宣伝費に4億円かけてJアラートのCMをテレビで放映した。
8月29日と9月15日のミサイル発射を受けて、日本の特定の地域はJアラートを受信した。
でも、Jアラートが鳴ってからの数分間、「どうすればいいか、わからない」ととまどう人もいれば、普通に過ごす人など、対応は様々。
そもそもJアラートは、日本の上空であれば、高度に関係なく発するという。
8月も9月のどちらも、北海道の上空約550キロと約800キロを通過した。
いずれも日本の領空外である。要するに、地球の外の宇宙空間を飛んだにすぎない。
安倍首相は「日本に向かって」発射されたと述べていたが、そんなことはデタラメで、結局、日本の国家主権が及ぶ領域も領空も侵犯されていなかったのである。
それなのに、直後のテレビ番組は、どのチャンネルも北朝鮮ミサイル特集に変更して報道する。全く異常だ。
政府は、ミサイル落下時に頑丈な建物や地下への避難、近くに建物がない場合には、物陰に身を隠すか、地面に伏せて頭部を守るよう呼びかけている。
相手はミサイルである。
いったい、どういうケースを想定して、地面に頭を伏せろと言っているのか・・・
しかも、Jアラートが鳴って、逃げるための時間はわずか数分しかない。
8月29日のミサイルは、約14分間で約2700キロ飛行し、北海道上空は約2分間で通過。
2分間でいったい市民に何ができるのか。
また、2度のミサイルはいずれも北海道の上空(と言っても宇宙空間)を通過したのであるが、Jアラートは、東北6県以外、茨城、栃木、群馬、新潟、長野が対象となった。
栃木、群馬、長野が対象で、なぜ東京や千葉が対象とならないのか。これも不思議な話である。
その上、最もミサイルが落下したら恐ろしい原発は、稼働したままである。
全く現実的でない。
単に国民の不安をあおっているだけとしか思われない。
2017年9月アーカイブ
2011年3月の東北大震災の際の支援を通じて、ずっと交流が続いている宮城県気仙沼市のYさん。
お目にかかったことはないが、互いに「もう親戚以上の付き合いですね」と言い合う仲になっている。
そのYさんから、今年もサンマが届いた。
夏にこちらから荷物を送った時にいただいたYさんからの返事の中に、「サンマを送ります」と書かれてあったが、その後、今年も昨年に引き続きサンマは不漁、気仙沼のサンマまつりも中止という新聞報道を目にしたり、京都のスーパーで売られているサンマもすべて北海道産だったりするため、今年はダメかも・・・と思っていた。
それが、数日前、Yさんからサンマが届いた。
嬉しい!
例年より小ぶりのサンマだが、おいしい!
その上、今回は、サンマだけでなく、カツオが1本まるごと入っていた。
で、で、でかい!
ところが、
どうしよう・・・私は魚をさばけない・・・
そんな時、頼もしい助っ人が見つかった。
それも若くイケメンのM弁護士(でも、もう立派な中堅弁護士です)。
なんでも小さい時から両親に教えられて、魚をさばけるとか(偉い親やね)。
「カツオはうろこがないから、おろしやすいんですよ」と言いつつ、
「こんなデカいカツオは、切ったことがないなあ」と頭の骨を切る時は、かなり力を入れてさばいていた。
でも、見事! 30分もかからず解体完了。
さすがの腕前!
その日の夕食は、もちろん新鮮なカツオの刺身。
美味でした。
Yさん、本当に有り難うございました。
国連総会では、北朝鮮に対し各国から厳しい批判が相次いだが、北朝鮮への対応をめぐる各国の指導者の発言内容はかくも違う。
2017年9月22日付け京都新聞朝刊は、「危機的な状況にあるとはいえ、あざけりや対立をあおるのが『偉大な国』の指導者にふさわしいとは思えない」と論評した。
米国トランプ大統領は、就任後初めて国連総会の一般討論で演説を行った。
北朝鮮の金正恩委員長を「ロケットマン」とあざけり、「自国と同盟国が防衛を迫られれば完全に破壊するしか選択肢はなくなる」と警告した。
北朝鮮も挑発的な言葉を発し続けているが、トランプ氏も同じレベルとしか思われない。
安倍首相も、トランプ氏に呼応し、「(核計画放棄のために)必要なのは対話ではない。圧力だ」「『全ての選択肢はテーブルの上にある』とする米国の立場を一貫して支持する」と述べた。
他方、ドイツのメルケル首相は、ドイツの海外向け公共放送のインタビューで次のような発言を行った。
トランプ氏の発言に対し「このような脅しには反対する」と明言し、「ドイツ政府はどのような武力解決もまったく不適切だと判断するし、外交努力と(国連安保理決議の)制裁実現が正しい答えだ」と強調した。
更に、「(北朝鮮をめぐる)紛争はドイツにとっては空間的には遠いがそれでも打撃になる」と懸念を表明し、「だからこそ、われわれは北朝鮮の紛争の平和的解決にまい進する用意がある」とした。
フランスのマクロン大統領も、米CNNへのインタビューで「軍事的解決を選択すれば、多くの犠牲者を生むことになる。私は多国間による交渉を通じて、平和を構築できると信じている」「緊張を緩和し、周辺地域の国民を保護するための適切な答えを探すことが私たちのすべきことだ」と語った。
安倍首相は、国連総会では「脅威はかつてなく重大で、眼前に差し迫ったものだ」と強調しながら、国内では、原発を停止することもなく、衆議院解散によって政治的空白を作ろうとしている。
結局、国民に不安や危機感をあおっているだけにすぎない。
9月17日(日)、台風が西日本を通過する予定だったが、朝から夕方までは、曇り空のまま、雨は降っていなかった。
そこで、思い立って、三条会商店街の中にあるカフェの「10分モンブラン」を食べに行ってきた。
「10分モンブラン」のことは、今年4月にテレビ朝日「LIFE~夢のカタチ~」で放映されて知った。
三条商店街にある「Sweets Cafe KYOTO KEIZO」のオーナーパティシエ西田敬三さんは、他店で洋菓子職人として40年勤め上げ、還暦を迎えてから独立した。
そして、オープン時に目玉として売り出した賞味期限10分という「10分モンブラン」は、そのネーミングも手伝って、大評判となった。
三条会商店街は、それほど遠くないので、食べてみたいと思ったが、行列してまではね・・・
そこで、台風が来そうな日なら、観光客も来ないだろうし、そんなに混んでいないと予想し、9月17日、少しのRUNとあとは歩いて三条会商店街へ行ってみた。
三条会商店街は、堀川通りから千本通りまでの三条通にあるが、店は堀川通りに近かった。
店に着くと、家族連れが1組だけ待っていただけで、すぐに入店できた。
10分モンブランを食べに行ったのだが、店員さんから、季節・期間限定のビスタッチオのモンブランがあると聞いて、それを注文した。
私の順番が回ってくると、店員さんから「作っているところを見ていただけますよ」と声がかかったので、奥の工房を覗かせてもらった。
西田さんが作っている!
3個ずつ、アッという速さでできあがっていく。
いよいよ、テーブルに運ばれてきた。
見た目は普通のモンブラン。
また店員さんが、詳しく説明してくれる。
「5分、10分経つと、食感が変わりますよ」と。
中はこんな風になっている。
中に、メレンゲの固まりが入っていて、それが最初はサクサクで、時間の経過とともに、溶けていってクリーム状になる「構造」のよう。
納得。
でも、食べ終わるまで10分も持たなかったよ。
おいしかった!満足!
9月7日発売の週刊文春を購入した。
別に、山尾志桜里衆議院議員の不倫疑惑記事が読みたかったわけではない。
めったに買わない週刊誌を買ったのは、「楠木新氏が教える『定年後』に輝くための7カ条」という記事が読みたかったからだ。
実は、楠木新氏(注、ペンネームです)は、大学の時のクラスメートである。
大学卒業後は全く交流がなかったが、数年前から毎年開催されているクラス会で再会し、50歳の頃から会社に勤務しながら、「楠木新」という名前で執筆活動をされていることを知った。
「人事部は見ている」(日経プレミアムシリーズ)とか「働かないオジサンの給料はなぜ高いのか」(新潮新書)など、結構、その著書は人気がある。
最近出版された「定年後」(中公新書)という本は、発行部数が20万部を超えたとのこと。
先日、書店に行ったら、この本が平積みしてあったので、やはり人気があると確信した。
今回の週刊文春の記事では、数多くの定年退職者や、中高年以降に会社員から異なる仕事に転身した人たちの取材から、定年後をイキイキと過ごすための行動のヒントが7カ条にまとめられている。
以下は、その要約。
第1条 退職3年前には準備を始める
自分の立場を変える、それまでの世界とは違う「面白いこと」を身に着けるのには、3年程度の時間が求められる。
より早くスタートする方がスムースに進み、選択の幅が広がる。
第2条 お金がもらえる趣味を探す
収入があるということは、誰かの役に立っていることであり、社会的なつながりを持つ活動になる。
また、自分の力量をアップすることにもつながる。
第3条 同窓会で子ども時代の自分を発見
子どもの頃と今がつながっている。
第4条 若い頃は趣味より仕事
40歳位までは懸命に仕事をした人の方が、その後の仕事の選択の幅が広がる。
働いている組織をよく知るためには、一度は仕事にどっぷりとつかった方が良い。
第5条 個人事業主に学ぶ
個人事業主は社会と直接的につながっている。
個人事業主に接触すると、会社員の自分を客観化することができる。
第6条 ロールモデルを探す
会社員から転身した人で、こうなりたいと自分が思う人に近寄り、時間と空間を共有しながら、その人と自分を重ね合わせてみる。
個性も経歴も異なったとしても、自分の歩む道も見えやすくなる。
第7条 自分を変えるのはムリ
自分自身を変えるのは難しい。自分を変えようとするよりも、ありのままの自分をどこに持っていけばよいのかを検討する方がうまくいく。
番 外 挫折や不遇体験は役に立つ
自分の悩みに関わることや、そこから派生することがきっかけで一歩前に踏み出す人が多い。
ここで大切なことは、悩みや挫折から目をそむけないこと。
楠木氏は、60歳の定年後から、他人の支援や介助を受けなくてすむ75歳くらいまでの期間を「黄金の15年」と名付けて、ここが人生後半戦の勝負所だとする。
そして、また、楠木氏は、最後に「顔つきがポイント」と言う。
「発言では美辞麗句を並べることはできても、顔つきだけはごまかせない」「その人の内面の状況をあらわすのは顔つきであるからだ」と。
「自分にとって本当に大事なものや、自分が果たすべき役割に気づいた人は、優しいまなざしをもった穏やかな表情になる」
「定年後は『いい顔』になることに取り組んでみればいいわけだ」と結ぶ。
私たち弁護士は、多くは、上記の個人事業主であり、定年はない。
それがいいか悪いか・・・
なぜかというと、「黄金の15年」をどう生きるのかを考えることなく、これまでと同じようにダラダラと人生を過ごしてしまう「恐れ」もあるからだ。
今のままでいいのか、と常に自問自答している。
最近は、大学のクラスには参加できていない。
来年は参加して、楠木氏と話をしてみたいと思った。
●8月4日 烏帽子岳(2628M)、8月5日 野口五郎岳(2924M)
烏帽子岳から野口五郎岳へという裏銀座縦走コース。
ちなみに、歌手の野口五郎は、この野口五郎岳から芸名を取ったとのこと。
私は、1999年8月にこのコースを歩いたことがあり、今回は18年ぶりに同じコースをたどった。
前夜は、七倉山荘に宿泊。18年前にも宿泊した七倉山荘は、当時は、山小屋と民宿の中間のような雰囲気だったが、とても綺麗に改装され、部屋(個室)にはテレビもあり、浴場には露天風呂もあってまるでホテルのような浴室だった。食事もとてもおいしかった。
朝一番(午前5時半)に東京電力のゲートが開くのと同時にタクシーに乗って、高瀬ダムまで。ここからは、徒歩で行くか、タクシーでしか入れない。
高瀬ダムは、岩を積み重ねたロックフィルダムで堤高は176m、黒部ダムに次いで日本2位の高さ。
ダムの最上部でダクシーを下りる。
トンネルからスタートし、長い吊り橋を渡り沢を渡ると、ブナ立て登山口。
登山口の手前にある沢は、普段は小さな沢だが、雨が降ると、山の上から土石流が流れることがあり、1998年夏には、大学生二人がこの沢で流され、一人が死亡した。
私が前に登った1999年には、亡くなった女子大生の碑があったが、今回、その碑は見あたらなかった。
ブナ立て登山口。
高瀬ダムから烏帽子岳までの登山道は、ブナ立て尾根と呼ばれ、北アルプスの三大急登の1つと言われている。
この登山口から烏帽子小屋の付近までの登山道には、⑫から①までの番号がついた標識が立てられており、目安となる。
三大急登とは言うもののストックが使える程度であるが、この日は、気温が高く風もなく、蒸し暑く、苦しい登りであった。
でも、高山植物もたくさん咲いている。
④は三角点。もうバテバテである。
何度も休みながら、やっと烏帽子小屋に到着。
周囲の山々にはガスがかかって、あまり見えない。
それでも、小屋の前には、たくさんのイワギキョウが群生しており、疲れを癒してくれた。
小屋の前で30分ほど休憩を取った後、烏帽子岳に向かう。
烏帽子岳
烏帽子岳の頂上直下は、かなり急な岩場で、怖かった。
「怖い」という記憶があまりなかったということは、18年前は、軽々登れたのかな・・・・
狭い頂上に立ったものの、ガスで何も見えず、人もたくさんいたので、早々に下山。
小屋に戻る途中、雷鳥と出会う。
翌朝は、午前5時15分に出発し、野口五郎岳に向かう。
起床した時には晴れていたが、すぐにガスが上がってきた。
途中一瞬、槍ヶ岳が見えたが、その後は、ひたすらガスの中を歩く。
野口五郎岳もガスの中。
写真だけを撮って、先に進み、分岐から湯俣温泉方面に竹村新道を下山した。
ただ、これがまた、かなりザレた登山道のハードな下りで、湯俣温泉に着いた頃には、もうヘロヘロになった。
この裏銀座縦走コースは、表銀座コースと異なり、登山者もそれほど多くなく、しかも晴れていれば、すっと槍ヶ岳を眺めながら歩くことができる絶景の快適コースである。
今回は、全くその醍醐味を味わうことができなかったことが、つくづく残念。