「夫源病」という病気をご存知だろうか。
この病名は、医学的な病名ではなく、文字どおり、「夫」が原因となった病気のこと。
夫の何気ない言葉や態度あるいは夫の存在そのものが強いストレスとなって、自律神経やホルモンのバランスを崩し、妻の心身に、めまい、動悸、頭痛、不眠などの症状が現れることを言う。
京都市左京区出身の医師石蔵文信さんが、2001年から大阪市の更年期外来において夫婦を診察する中で気づき命名したもの。
その石蔵さんの講演会が、このほど、京都府医師婦人会の企画で行われ、その講演内容が2018年6月25日付け京都新聞朝刊に掲載されていたので、興味深く読んだ。
「65歳以上の男女を愛媛県の医師が調査した結果、夫のいる女性の死亡率はいない人の2.02倍、逆に男性は、妻がいる人はいない人の0.46倍だった」
この数字は、妻にとって、老後を夫と暮らすとたばこより死亡リスクが高いとのこと。
・・・・夫を亡くした妻が直後は落ち込んでいても、しばらくすると、夫がいた頃より元気で活動的になるということはよく聞く話だ。
ある雑誌の調査では71%が「夫に愛情がない」と答え、離婚しないのは経済的な理由とのこと。
・・・・私の相談者の中には、夫が浮気している証拠をバッチリ持っていても、「夫が生活費をくれる間は黙っている」と言う女性もいる。
石蔵さんは、男性は定年後に時間ができると愛情を深めようと、旅行に連れて行ったりしようとするが、これは逆効果で、妻は友だちや娘と行きたいのだから、行かせてあげなさいと、言う。
・・・・そのとおり!もっとも!
「定年後の夫が負担で、妻に頭痛が始まり、血圧が上昇、動悸もひどい。こんな症状を『妻の亭主在宅症候群』と紹介した」
夫と一緒にいると身体がもたない面もあると診てわかる。
旅行で1週間くらい夫と離れたら体調が改善することが多く、「プチ別居」を勧めているとのこと。
更に、石蔵さんは、最大の問題は、男性が妻を対等な個人として見ているかどうかだと言う。
「米国の大学の調査では、『怒りを我慢する、けんかの少ない夫婦』は、『我慢せず怒り、けんかの多い夫婦』の2倍も死亡率が高かった」
夫源病は夫に従う「良妻賢母型」が危ない。けんかはいとわわず、やってください。
結びは、「『夫婦はかみ合わない』、この前提でやっていくことが大事ではないか。」
・・・・夫婦の「性格の不一致」は当たり前。
それをしっかり認識した上で、二人で生きるか、一人で生きるかの選択ですね。
2018年6月アーカイブ
昨日、同僚弁護士は、大阪地裁での裁判が入っていたようですが、裁判所から連絡が入って期日は変更となりました。
私たちの近隣では、目に見えた被害がなかったので、JRや私鉄がストップし、交通網が乱れているせい・・・くらいしか考えていませんでした。
ところが、夜、帰宅して、ニュースを見て驚きました。
大阪はすごい状態になっていました。
死亡者やけが人も出て、建物が壊れる、家の中は家具が倒れ物が落ちてメチャクチャ、停電、断水、歩いて自宅や会社に向かう人の長い列・・・
特に、高槻や茨木がひどいようでした。
すぐに高槻に住む友人に電話をしました。
阪神大震災を経験している彼女は「たいしたことない」と言っていましたが、良かったら京都に来てと伝えました(京都も安全かどうかわかりませんが・・・)。
電車は動くようになりましたが、今日も、京都でも余震を少し感じます。
早く落ち着いてほしいと願います。
今朝午前8時頃、近畿地方で地震がありました。
かなりの揺れを感じました。
大阪府北部が震源で、最大震度6弱とのこと。
京都市中京区は震度5弱だったそうです。
何人かの方々から、「大丈夫でしたか?」とメールをいただきましたが、自宅も事務所も棚から本が落ちることもなく、大丈夫でした。
ご心配、有り難うございました。
でも、京都府南部に住む依頼者の方からは、棚から本が落ち、食器や置物も落ちて、テレビが飛び出しそうになったというメールをいただきました。
ガスもまだ使用禁止とのことでした。
京都府内では、南の方がひどそうです。
大阪府内では17万戸が停電し、また、電車がストップするなど交通網は乱れています。
このような地震は、神戸の震災以来ではないでしょうか。
最近、千葉や群馬にあいついで地震が発生し、関東のことが心配になっていましたが、地震はいつどこで起きても不思議ではないことを改めて痛感しました。
本日2018年6月5日付け京都新聞朝刊1面に、戦後まもなくから京都の地域医療に尽力し「わらじ医者」と親しまれた早川一光(はやかわ・かずてる)さんが、6月2日に亡くなられたという報が掲載されていた。
94歳。
生前の早川先生とは直接面識はなかったが、半世紀にわたって堀川病院において地域医療に携わり、また1987年から約30年にもわたりKBS京都のラジオ番組のパーソナリティも務められた医師として、京都では有名な人であった。
闘病生活に入られてからは、京都新聞の「こんなはずじゃなかった」という連載の中で、今度は「患者」の立場から医療制度への問題提起や「老い」との向き合い方を、時には笑いを交えて語っておられ、いつも愛読していた(2017年3月10日の当ブログ)。
京都新聞の記事によると、早川さんは、5月31日の連載の最終回を見届け、その2日後にモットーである「畳の上で大往生」を全うされたとのこと。
最終回のタイトルは、「生きている限り虹を追いかけたい」。
「患者さんの臓器だけ診るのではなく、環境、暮らしのなかから診るという医療。物事を総合的に捉える必要性を、僕はどうしても言うていきたい。」
「自分たちのための教育、医療、福祉を、どうすれば自分たちでつくり手に入れられるか。これって難しいなあ。」
「ちょうど虹みたいなもんや。虹に向かって走ると、忽然と姿を消す。でもな、この見えにくくなったものを追いかけたいと思っている。」
「それでも、少しでも近づきたくて。」
「これが、今の僕です。」
ずっと目標を持って進んでいく・・・それが「生きる」っていうこと。