なんだか「屋根の上のバイオリン弾き」のようなタイトルだが、京都を舞台とした、ほんのり心温まる、そして最後は涙する小説。
第一回京都文学賞優秀賞を受賞した作品とのこと。
2001年、兄に命じられて、京都で一人で暮らす89歳のおばあちゃん「ゑい」に会いに行った失業中の孫の哲郞34歳。デジタル化の中で、東京での現像の仕事を半年前にリストラされていた。
玄関先で、屋根の上から哲郎にバケツの水を浴びせかけたのがおばあちゃん。それが27年ぶりの再会だった。
その夜、おばあちゃんは倒れて入院することに。
物語は、1930年代の「ゑい」と2001年の「哲郎」の姿が交錯しながら描かれる。
親が亡くなり、天涯孤独の身となって一人で丹波から京へやって来た19歳の「ゑい」。
三条室町の呉服屋に奉公することになり、その呉服屋を飛び出しサイレント映画の活動弁士となったもののトーキー映画の時代となって切り捨てられた長男良一と関わり、やがて結婚する二人。
八百屋を始めた二人だったが、映画への思いがあきらめきれない良一は太秦撮影所に入り浸る。
1941年戦争が始まり、そんな良一にも赤紙が。最後の晩に、良一がゑいに託したのは1巻きのフィルム。それは良一が最後に撮った映画だった。そして良一は戦死。
2001年、おばあちゃんも退院し、哲郎はたまたま冷蔵庫の中から、おじいちゃんのフィルムを見つける。そして哲郎は、フィルムの修復の仕事をしている源田の助けを借りて、おじいちゃんのフィルムの修復に成功する。
その映画に撮されていたものは・・・・
最後は、涙、涙。
機械の発達に翻弄され自暴自棄になりながらも、再生していく、おじいちゃんの良一と孫の哲郎。
おじいちゃんの心を奪った映画が「恋がたき」だったが、人生の最後にやっと愛おしく思うようになったゑい。
文明の流れには抗しきれないが、それでも変わらずに残る古き良きものと新たな再生をほのぼのと感じさせる作品であった。