1. 2023年4月

2023年4月アーカイブ

ヤマシャクヤクの密かな群生地へ

2023年4月22日(土)、気温はぐっと低下したが、快晴の日。

山仲間のA弁護士に、ヤマシャクヤクの密かな群生地に連れて行ってもらうことになった。

滋賀県の霊仙山はヤマシャクヤクの咲く山として有名だが、その近くに知る人ぞ知る群生地があるらしい。

今年は、全国至る所で、花が通常より早く満開となっているので、満開のヤマシャクヤクを期待して出掛けた。

彦根で、A弁護士の山仲間のFさんと合流する。

 

ヤマシャクヤクは、2010年5月に霊仙山に見に行った時以来。

野の花や山に咲く花は、比較的小さくて可憐な花が多いが、ヤマシャクヤクは、1輪1輪が独立しており、花も大きく、とても凜とした姿だ。

 

沢沿いの空地に車を停め、沢沿いの道路を進む。

途中、ピンクのテープが貼ってある場所があり、沢を渡り、そこから登山を開始する。

A弁護士からは、「今日は標高差300mくらいだから」と聞いていたので、登山用のストックを持参しなかった。

しかし、先頭を進むA弁護士が登っていく所には道らしき道はなく、なんとか踏み跡らしきものがあるだけ。

しかも、まもなく行く手の斜面は急勾配となり、重心を確認しながらゆっくりと歩を進め、両手を使ってよじ登るものの、すぐに登山用のストックを持参しなかったことを後悔した。そこで、落ちていた枝2本をストック代わりに使って登ることにした。

 

まもなくヤマシャクヤクとご対面。群生しているものの、予想に反し、蕾状態。

 

 

どの花も白い蕾が硬く閉じられている。

A弁護士は「もっと陽当たりの良い場所だったら、咲いてるかも」と言って、どんどん登って行く。

 

尾根近くまで登ると、所々に開花しているものが!

満開ではなかったが十分楽しむことができる。

 

 

 

 

昨年もここに登ったというA弁護士作成の標を撮影する。

 

 

 

 

 

比婆山の山頂近くの、霊仙山を真正面に望むことができる絶景の展望の場所で、昼食。

 

 

素敵なヤマシャクヤクとの出会いの1日だった。

 

 

 

2023年4月20日付け朝刊各紙は、団藤重光元最高裁判事(1913~2012)の遺稿の直筆ノートに、夜間飛行差し止めを巡って争われた「大阪空港公害訴訟」で国側の介入を示唆する記述があったと報道した。

 

これは、団藤氏の資料を保管・分析する龍谷大学が同年4月19日発表したもの。

 

団藤重光氏と言えば、刑事法の大家であり、私が司法試験を受験していた頃、団藤氏の刑法の教科書は受験生であれば誰もが必ず読むバイブルのような本であった。

また大阪空港公害訴訟も司法試験受験生が必ず勉強する判決の1つであった。

 

団藤氏は、東大法学部教授などを経て1974~83年に最高裁判事を務めた。

「大阪空港公害訴訟」は、大阪(伊丹)空港の飛行機の騒音に苦しむ住民らが国を相手取り、1969年に夜間差し止めや損害賠償を求めた裁判である。1審の大阪地裁に続き、1975年に2審大阪高裁でも夜間飛行差し止めが認められたが、最高裁は1981年12月一転して差し止め請求を却下した。同訴訟は、最高裁が初めて審理した本格的公害訴訟だった。

 

同訴訟は、当初、団藤氏が所属していた最高裁第1小法廷に係属し、1978年5月に結審。同小法廷は、2審判決を支持することを決定していた。

ところが、判決を控えた1978年7月18日、国側が大法廷に回付を求める上申書を提出。

団藤氏のノートには、第1小法廷の岸上康夫裁判長(当時)から聞いた話として、翌19日「(最高裁の)村上(朝一)元長官(1973~76年の最高裁長官)から(当時の)長官室に電話があり・・・法務省側の意を受けた村上氏が大法廷回付の要望をされた由」と記されていた。

団藤氏は「この種の介入は怪(け)しからぬことだ」とノートに憤りを記した。

結局、審理は1978年8月大法廷に移り、1981年12月、結論は覆り、差し止め請求は却下された。

 

憲法は「すべての裁判官は良心に従い独立して職権を行い、憲法と法律にのみ拘束される」と定めている(76条3項)。

しかし、元長官とは言え外部から介入し、それが圧力となったことは、まさしく司法の独立を侵害したものにほかならない。

 

結局、その後に続く厚木基地公害訴訟や横田基地公害訴訟など、差し止め請求を認めない流れを最高裁は作ったのであった。

 

団藤ノートは多数残されており、司法の歴史を検証する上で、間違いなく重要な資料になるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世に雑草という草はない

4月からNHKの朝ドラ「らんまん」が始まった。

植物学者牧野富太郎がモデルのドラマである。

ストーリーとしては、まだそれほど面白いと思わないが、実在の人物なので、その人柄や人生はドラマ以上に興味がわく。

 

とりわけ、牧野富太郎の言葉として、新聞などで紹介されているのが、

「世に雑草という草はない」

私はこの言葉に強く感銘を受けた。

 

昭和初め頃、作家山本周五郎が記者だった当時、「雑草」と言った山本に対し、牧野は「どんな草だって、ちゃんと名前がついている」「きみが雑兵と呼ばれたら、いい気がするか」とたしなめたという。

 

この牧野の言葉については、これまで牧野の著作からは未確認だったようである。

しかし、「牧野記念庭園」(東京都練馬区)の学芸員が3年以上探した結果、昨春、牧野の著作を発見したとのこと(2023年4月18日付け毎日新聞朝刊)。

 

また、牧野は、生涯で1500種類以上の植物の発見や命名に関わったという。

 

山に登ると、たくさんの野の花や木に出会う。

だが、私は、何度その名前を聞いても、すぐに忘れてしまう。

また、私も、これまでは、庭の草などを「雑草」と呼んでひとくくりにしていた。

 

これからは、もう少し意識的に草花の名前を覚えるよう心がけようと思う。

それは、すべてについて、1つ1つの個性を大切にすることにつながるような気がする。

 

 

 

(最新法令:その他)相続土地国家帰属法

近年、故郷の不動産を相続したが、「住むつもりはない」「管理が大変」などという声が聞かれます。そのため、土地が管理されないまま放置され、そのうち所有者がわからなくなったりして問題となっています。

そのような人を対象に制定されたのが「相続土地国庫帰属法」です。土地を国に引き取ってもらうことが可能となりました。

2023年4月27日から施行されます。

 

法律の対象となる土地は、どんな土地でも良いというわけではありません。

申請できるのは、相続または遺贈によって土地を取得した人です。

 

そして、以下のような場合、申請できません(却下事由)。

例えば、建物がある、抵当に入っているなど担保権や使用収益権が設定されているなどです。

また、申請しても、承認されない場合もあります(不承認事由)。

いくつかの要件が、法務省のホームページで公開されています。

 

申請は、その土地を管轄する法務局で行います。審査手数料が必要で、土地1筆につき、14,000円です。

 

また、法務大臣に承認されて引き取りが認められも、通知を受けた日から30日以内に負担金を納付しないといけません。負担金は、土地の種目に応じて、10年分の標準的な管理費用を考慮されて算出されます。

 

詳細については、法務省のホームページをご覧ください。

 

 

 

Soy camarera.

平日のランチは、事務所近くの店で食べたり、パンや弁当を買って来て事務所で食べたりする。

ランチに行く店の1つに、堺町丸太町下る所在の「Cafe奏」(カフェかなで)がある。

町家風の建物の店で、ランチも数種類から選べ、どれも美味しい。

ただ、裁判所の西側にあり、事務所からはやや遠いので、最近は訪れる回数が減っている。

 

昨日は久しぶりに、「奏」にランチを食べに行った。

店主は女性で、もうすっかり仲良し。

店主と話していると、「最近は観光客が多くて忙しい」「今日1時からスペイン人の団体の予約が入っている」と言われた。

初めてだし断られるかな?と思いつつ、「ネコの手」にでもなればと「手伝おうか?」と尋ねると、思いがけず「是非!」との返事。

仕事の予定が入っている午後1時45分まで急遽手伝うことになった。

 

エプロンを借りて厨房に入り、とりあえず客が食べた皿などを軽く洗って食洗機に入れる作業をしたり、食材に触れる自信はないので専ら片付けを手伝う。

 

午後1時前に16人ものスペイン人観光客が来店。にわかに忙しくなる。

「いらっしゃいませ」の代わりに、40年前に少し習ったことがあるスペイン語で「!Hola!」(オラ!)と挨拶。

camarera(=ウエイトレス)として、配膳したり、コップの水をつぎ足しに行ったり、など。

スペイン人から日本語で「ありがとう」と言われたら、スペイン語で「De  nada.」(=どういたしまして)、「Gracias」(=ありがとう)と返したり・・・でも、言葉が出て来ず、それだけしか話せなかった・・・(涙)

あとは簡単な英語で。

 

なんか楽しいひとときだった。

 

 

 

 

 

月別アーカイブ

弁護士紹介TOP