1. 2023年6月

2023年6月アーカイブ

声筋トレーニング

コロナ禍の時期には、弁護士という仕事をしていても、「声を出す」ことが少なくなったという自覚があった。同時期に夫が亡くなったから尚更だった。

 

それで、カルチャーのボイストレーニングも受講した。

CMや小説の抜粋などを皆の前で読む。

意識的に声を出したし、読み方も教えてもらい面白かったが、講師からは個別にあまり注意されなかったので、なんとなく物足りず、現在は続けていない。

 

今も、仕事の上では、証人尋問の時以外は、さほど意識的にはっきりと大きな声で話したりすることは少ない。コロナのことが気になるので、友人らとの会話も必然的に小さな声になる。

 

それで、最近では、一人で意識的に「声をはっきり出す」という声筋トレーニングをしている。

 

1つは、2008年に憲法ミュージカルに出演した時、ボイストレーニングとして覚えた、北原白秋の「五十音」という童謡詩だ。

「アメンボ赤いな、アイウエオ。浮藻(うきも)に小エビも泳いでる」・・・

これがワ行まで続く。

これを、一人で山を歩くときなんかに、周囲に誰もいないと、大声で歌う。

 

2つ目は、事務所では複数の新聞を購読しているので、朝、事務所で朝刊各紙にざっと目を通した後、朝日新聞であれば「天声人語」、京都新聞であれば「凡語」など一面の下段のコラムを声を出して読んでいる。

これが結構いい。

声を出すことはもとより、朝刊各紙が、毎日、本当に幅広いテーマについてウィットが効いた短文でまとめ書いていることにとても感心する。勉強にもなる。

 

2023年6月21日付け読売新聞夕刊の「よみうり寸評」には、「声帯が弱ると体の力が3割落ち、よろめいても足を踏ん張れなくなるらしい。張りのある声を保つ工夫は、健康寿命を延ばす源なのだろう」と書かれてあった。

 

こうして私は、朝から声筋トレと脳トレに励んでいる。

 

 

 

ドラゴンアイ

「ドラゴンアイ」をご存知だろうか。

 

それは、岩手県と秋田県の県境の八幡平(はちまんたい)にある。

八幡平は、観光名所ではあるが、冬期は豪雪地帯となる。

その八幡平にある鏡沼が雪に埋まり、沼の雪解けの時期の5月下旬から6月初旬の時期にだけに現れる「ドラゴンの瞳」のような光景がドラゴンアイである。

地元の人は、古くから「蛇の目」と呼んでいたらしいが、4-5年前に台湾人観光客がまるで「ドラゴンアイだ」と言ってSNSで広まり、それ以来、「ドラゴンアイ」としてブームになっている。

 

八幡平は、日本百名山の1つなので、私もこれまで2回訪れたことがあった。

観光地でもあり、標がなければどこが山頂かわからないような山で、駐車場からわずか約100mほどの標高を登れば山頂に到着する。道もきちんと整備され、登山者だけでなく多くの観光客も訪れている。

 

 

過去に八幡平には訪れたことがあるものの、当時は「ドラゴンアイ」という名もなく、時期的にも見たことはなかった。

1~2年前に「ドラゴンアイ」のことを知って是非見たい!と思うようになり、6月11日3度目の八幡平行きとなった。

 

ネットには、とても素晴らしい形の「ドラゴンアイ」の写真がアップされているが、今年は、ことのほか気温が高く、6月10日頃はもう溶けているのでは?ということが唯一そして最大の気がかりだった。

 

6月11日は、台風3号の影響で、東日本南部から西日本にかけては雨。この日、東北地方も梅雨入りした。

でも、八幡平は、曇りで、視界もはっきりしている。

ドラゴンアイも6月8日に開眼(=中央部分の雪が溶けて、ドラゴンの目玉ができること)し、幸運にも見頃の時期となった。

 

 

ただ、奥に亀裂が入っており、完全に綺麗な形にはなっていないとのことだった。

それでも、神秘的なこと、この上ない。いつまで見ていても、あきない。

 

これが、ネットにアップされている完全な形のドラゴンアイ。

 

 

またいつか、こんな形のドラゴンアイを見る機会が来るだろうか・・・

 

そんなことを思いながら、その後は、雪解け後にたくさんの花が咲き始めている登山道を歩き、東北の旅を満喫した。

 

 

訪問販売などで義務付けられている契約書の交付を、書面(紙)ではなく、電子データで行うことを認める改正特定商取引法が、2023年6月1日から施行されました。

 

特定商取引法とは、旧訪問販売法を改正、改称して、2001年から施行されています。

消費者が悪徳商法(訪問販売や電話勧誘、マルチ商法など)等の被害に遭わないよう、一定の規制によって、消費者の保護を図る法律です。

 

今回の改正は、これまで、訪問販売などの一定の取引を行う場合、契約書については、消費者に対し書面を交付することが事業者に義務付けられていました。これは書面という紙によって行われなければなりませんでした。これが電子データで行うことが認められるようになったのです。

 

しかし、事業者が契約書の電子交付を行うにはルールがあります。

 

消費者の事前の承諾が必要です(法4条2項、5条3項)。

 

電子メールやSNSで送ってもらうのか、専用サイトからダウンロードするのかなど、事業者が提供する方法から消費者が選択します。

 

事業者は、クーリングオフやパソコン等の操作ができることなどの重要事項について説明する必要があります。

 

また、事業者は、消費者がパソコン等で自ら必要な操作ができるかどうかを確認しなければなりません。

 

その上で、消費者から書面による承諾を得る必要があり、承諾を得ると、事業者は消費者に対し、その承諾を得たことを称する書面(原則は紙で)を交付しなければなりません。

 

なお、消費者は1度電子交付を承諾した場合でもあっても、その承諾を撤回することもできます。

 

今回の改正は、電子データを駆使できる消費者には便利かもしれません。

しかし、電子メールなどでは家族など第三者の目につきにくく、クーリングオフの期間が過ぎてしまうリスクも懸念されます。

慎重に判断しましょう。

 

(労災)「胃潰瘍で死亡」労災認定

富山市の電気設備工事会社に勤める男性(当時62歳)が出血性胃潰瘍を発症して死亡したのは長時間労働などが原因だとして、富山労働基準監督署は、2023年5月、労働災害と認定しました(2023年6月4日付け朝日新聞朝刊)。

 

国の労災認定基準では、長時間労働や業務による心理的負担などとの因果関係が医学的に確立したものとされているのは、脳・心臓疾患あるいは精神障害に限られています。

これら以外の病気には認定基準がありません。従って、消化器系の病気で労災が認められるケースは極めてマレです。

 

本件では、富山市の男性Aさんは、電気設備工事会社の技術者でしたが、2020年8月の定年退職後も再雇用されていました。血圧が高く、糖尿病の持病もありました。

放送局の建設現場の責任者となり、残業が増え、深夜帰宅・早朝出勤が増えました。

2021年12月に死亡する直近1ヶ月間の時間外労働時間は、過労死ラインを大きく越える約122時間だったそうです。

国が定年後の再雇用などを推し進める中で起こった労災でした。

 

脳・心臓疾患や精神障害以外でも、業務の過重性が認められれば、労災認定される可能性はあります。これまでも、喘息・てんかん・十二指腸潰瘍などの事案で労災認定がされています。

 

また、国は、高齢者の再雇用のみを推し進めるのではなく、高齢労働者が安全で働くことができるような環境対策が求められています。

前回のブログを書いていると、どうしても上岡龍太郎さんの父親小林為太郞弁護士の本「いごっそう弁護士為さん」をもう1度読みたいと思うようになった。それで、知人の弁護士に尋ねたところ、幸いなことに、A弁護士が持っていた。

 

その本には、為さん自身の筆による遺稿と共に、何人かの人によって為さんの人柄を記す文章が寄せられていた。

その中に上岡龍太郎さんの文章もあった。これが、とてもウィットにとんだ文で、思わず大笑いしてしまった。為さんの人柄はもとより、父と息子のなんとも言えない優しい関係が感じられる文である。少し長いが一部を紹介する。

 

「儂(わし)が弁護士で、お前が漫才師か。同じ”シ”がつく、口が商売の仕事やな」

昭和35年。私が漫才をやるとなった時、親父は言った。

「世間は、弁護士の方がレベルが高いように見るかもしれんが、それは違う。儂ら弁護士なんか見てみィ、毎日、辛い・悲しい・苦しい・だました・盗んだ・殺された、こんな事ばっかり言うとるんや。それに比べてお前らは、楽しい・面白い・明るい・愉快な・笑い、それをテーマにしゃべっとる。同じ”言葉”が商売でも、エライ違いや。漫才師の方がズッと上や。それに、国家試験なんてゆうけど、儂らのは、ホンの一部の者がこしらえた問題に答えるだけの、あれは謂わば官僚試験や。その点お前らは、国民の多数に審判をあおぎ、支持されんことには食うて行けん。これがホンマの国家試験や、なッ。どこから見ても、弁護士より漫才師の方が、レベルが高いッ!」

・・(略)・・

その時の私には、ナグサメにしか聞こえなかった、そこで私が「しかし、親父が弁護士で息子が漫才師やから、この調子でいくと、孫は詐欺師やで」というと、「ハッハッハッ、そりゃいいな」と、豪快に笑いとばしていた親父。

・・(略)・・

豪快で繊細で大胆で気が小さくて、正義感が強くて、制服と権力が嫌いで・・(略)・・金儲けが下手で照れ屋で、単細胞で直情径行、思慮深くって優柔不断、そんな親父の独特の気風は、今もこの世に残っている。

私の体の中に、ハッキリと残っている。

・・(略)・・

 

上岡さんは、京都人だったが、やはり土佐人の気骨が受け継がれていたんやなあ、と思った。

合掌

2023年5月19日にタレント上岡龍太郎さんが81歳で亡くなったという報道があった。

人気全盛の58歳で芸能界を引退した後は、姿を観ることはなかったが、漫画トリオの一員の頃からテレビで観ており、引退前は探偵ナイトスクープの司会者だった。歯切れのいい物言いの人だったと記憶している。

 

そして上岡さんと言うと、思い出すのが父親の小林為太郞弁護士である。

小林為太郞弁護士は「為さん」と呼ばれていた。

京都の弁護士だったが、私は直接の面識はない。

しかし、為さんのことは、京都における市民・労働者・学生・農民・在日朝鮮人などに対する弾圧や人権抑圧に関わる事件を一手に引き受け、民主的法律家の中心的役割を果たした弁護士として語り継がれてきた。

私が所属する自由法曹団京都支部は、今年60周年を迎えるが、為さんが支部結成の呼びかけ人となったそうである。

為さんが1985年に亡くなった後、有志で「いごっそう弁護士為さん」という、為さんの人生や人柄そして活動などを紹介する本が出版された。当時、私も1冊いただいたが、今、手元には見当たらないのが残念だ。「いごっそう」というのは、気骨がある、がんこ者という土佐の言葉で、高知出身の為さんらしいタイトルである。

 

上岡さんも、きっと為さんのそんな血筋を引き継いでいたのではないかと思う。

 

 

 

 

2023年4月20日付け当ブログで紹介した、最高裁団藤重光元判事の直筆ノート。これが公開されていると知って、龍谷大学での特別展「団藤重光の世界」に行って来ました(公開は6月4日まで)。

 

 

 

団藤氏は刑事法の大家で、東大法学部教授などを経て、1974~83年に最高裁判事を務めました。

先のブログでも書きましたが、団藤氏が属していた最高裁第1小法廷には、「大阪空港公害訴訟」が係属していました。1・2審とも夜間飛行差し止めが認められ、最高裁の判断が注目されていました。

第1小法廷も高裁判決を支持することを決定していたにもかかわらず、国側の意を受けた最高裁の村上朝一元長官からの1本の電話により、大法廷に回付されてしまい、最高裁大法廷は、1981年12月差し止めを却下しました。

 

団藤氏は、最高裁判事時代に自分が主任として関わった事件について36冊のノートを残しており、その生のノートも公開されていました(残念ながら、写真撮影は禁止でした)。

その1冊の中に、この大阪空港公害訴訟の詳細も記され、「この種の介入は怪しからぬことだ」と憤りをあらわにされていました。

 

会場では、先日、NHKでこの団藤ノートのことを取り上げ放映された「司法は誰のためにあるのか」の映像も観ることができました。小法廷に係属して結審した事件が大法廷に回付されたことなど、それまでも、また、その後もないと語られていました。

また、団藤氏は、売春防止法制定にも関わられたようで、売春婦については、売春せざるを得ない様々な事情があり、罰すべきは業者だという意見を言われていたことも知りました。

 

団藤氏のことは、単なる「刑事法の大家」としてしか知りませんでしたが、人間味のある人だったことがわかりました。

また、いろいろな手段を使って司法に介入しようとする国のやり方は、大阪空港訴訟だけにとどまりません。裁判官の独立そして三権分立を侵すもので、怒りを禁じ得ません。

 

 

 

 

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