1. 2024年6月

2024年6月アーカイブ

地方住宅供給公社が借主の合意を得ずに、一方的に家賃を増額できるかどうかが争われた訴訟で、最高裁は、2024年6月24日、公社物件であっても借地借家法が適用され、家賃の増減額について争うことができるという初めての判断をしました。

 

争ったのは、神奈川県住宅供給公社の賃貸住宅に住む住民ら8人。公社が行った家賃値上げについて、「適正賃料を超えている」と主張し、過払い分の返還を求めて2020年に提訴しました。

 

借地借家法は、住宅市場の変動などに応じて、貸主と借主双方が、家賃の増額・減額を争うことができると定めています。

一方、公社法施行規則は「近隣の同種住宅の家賃が上回らないよう定める」としており、神奈川県住宅供給公社は、訴訟で、借主の同意なく家賃を変更できると主張していました。

 

1審横浜地裁・2審東京高裁は、公社の家賃は一般の賃貸借とは異なるとして、借地借家法の適用を認めませんでした。

 

これに対し、最高裁は、施行規則は補完的な基準を示したもので、借地借家法の適用を排除する規定ではないと判断しました。

 

これによって、借主側が家賃の減額を請求することもできますし、公社の値上げに対して争えるようにもなりました。

 

 

 

 

 

別にキムタクファンでもなく、あまり面白くないなあ・・・と思いつつ、毎週観てしまったドラマ「Believe~君にかける橋~」。

キムタク演じる主人公狩山は、橋の設計士。建設中の橋が壊れるという事故が起き、その責任を取って有罪判決を受け、刑務所に入るが、脱走して、えん罪を晴らすというのがストーリー。

 

昨夜(6月20日)が最終回だったが、その最終場面に出てきたのが、「碓氷峠めがね橋」。

 

2022年11月8日付けの当ブログで「人間の証明の旅」について書いたが、その時に群馬県にある「碓氷峠めがね橋」も訪れた。

 

正式には、「碓氷峠第三橋梁」と言う。1892年に完成したレンガ造りの橋では日本最大。高さ31m。鉄道難所の碓氷峠に「アプト式」という方式で作られたとのこと。国の重要文化財にも指定されている。

横川から軽井沢まで碓氷線が通っていたが、今は、廃線となっている。

 

狩山が「やっぱり、いいなあ」「素晴らしい」とつぶやいたように、本当に素晴らしい橋だ。人間が造った構造物でも、素晴らしいものには感動を覚える。

 

 

橋の下をくぐると、横に、橋の上に上がることができる道がある。

上部は廃線跡で、ここは「アプトの道」と呼ばれ、横川から熊ノ平変電所までの約6.3キロの廃線跡を歩くことができるらしい。いつか歩いてみたいと思った。

 

橋の上部

 

 

 

ドラマは、この橋の上部で「きっと、あの橋から、あなたはまた出発できる」という亡き妻の声で終わった。

 

 

ちなみに、Tverで配信中。

 

 

岐阜弁の半数超 若者「知らんて」

先日、急用で郷里の岐阜市に帰ることになり、親戚の家で、たまたま、表題の新聞記事ニュースをコメントしている記事を見つけた(2024年6月8日付け岐阜新聞)。

 

それによると、元記事は5月6日付けで、岐阜放送の元アナウンサーが市内の高校3年生55人を対象に、岐阜弁を調査。50語のうち15語しか理解できていないことがわかり、岐阜弁の衰退が著明となったという内容だった。

 

まあ、それだけの人数の調査で「衰退が著明となった」と言えるか疑問だが、どんな方言が理解できなかったのだろうと興味がわいた。

それで元記事を更に読んだところ、次のような言葉があがっていた。

 

ごがわく、づつない、かざ、くろ、けなるい、ざいはらい、ひまごい、よーさ、やっとかめ

 

う~ん、上記の言葉のうち、若者ではない私だって、3つしか意味がわからへんなあ・・・

 

岐阜に住んでいた頃より、京都に住んでいる方が長くなった。久しぶりに岐阜の友人に会うと、「すっかり関西弁やね」と言われたりするが、実は、本来の京都弁や関西弁など話せるわけがなく、関西の人からは「変な関西弁」と言われたりする。なぜなら、単語のイントネーションだけは、生まれついたものが染みついているからだ。

他方、岐阜に住むいとこや友人らと会話をしていると、ああ~これが岐阜弁だったなあ、と変な感心をしている自分がいる。

 

上記のコメント記事には、「方言は相手のルーツを知る最短で最高のコミュニケーションである。なぜか温かみと親しみを与え安心感をもたらす方言は、故郷の代名詞でもあり、性別や垣根を越えてコミュニケーションができる」と書かれていた。

全く同感である。全国あちこちの山に登るが、山頂で、岐阜弁らしきイントネーションの声が聞こえてくると、つい「中部から来られたんですか?」と尋ねたくなってしまい、相手が中部の人だとなぜかすごく嬉しくなってしまうのである。

 

方言って、いいよね。

 

 

 

 

 

 

八幡平の「ドラゴンアイ=竜の目」に涙

ちょうど1年前の2023年6月11日、私は、秋田県と岩手県の県境に位置する八幡平(はちまんたい)にある「ドラゴンアイ」を訪れていた(2023年6月13日付け当ブログ)。

 

「ドラゴンアイ」というのは、八幡平の山頂付近にある鏡沼という小さな沼が、この時期だけ雪解けによって、まるで「竜の目」のように見える現象を言う。

地元では「蛇の目」と呼ばれていたが、台湾の観光客が2015年、ネットで「ドラゴンアイ」と発信したことをきっかけに、徐々に有名になっていったとのこと。

駐車場から20分程歩けば見ることができるので、観光客にはお手軽だ。

 


 

上の写真は、ポスターなどにも使用されている、ほぼ完璧な形。

昨年私が見た時は、雪の一部が破れて溶け始め、やや形が崩れていた。

それでもやはり神秘的な景観で、わざわざ見に行った甲斐はあったと思った。

昨年6月11日はちょうど日曜だったが、さほど観光客も多くなく、駐車場も混雑していなかった。

 

ところがである。

つい先日6月7日の毎日新聞夕刊で、「ドラゴンアイ」を見ようと観光客が押し寄せ、駐車場に入るまで3時間待たされた日もあったと報道されていた。

昨年行っておいて良かった・・・

 

こんなところまでオーバーツーリズムの波が・・・竜も涙しているのだろうか

あちこちの観光地が、京都市内と変わらなくなっている

 

 

私が書き始めた「NHK朝ドラ『虎に翼』をより楽しむために」も既にシリーズ5回目となった。

ネットで他の人のブログなどの検索をしていると、同じ弁護士、あるいは研究者の方などが「虎に翼」を解説されているのを見つけたりする。

それらを読ませてもらうと、私たち法曹の世界の出来事であっても、これまで知らなかった史実がたくさんあり、とても興味深い。

私が(その1)で書いた「権利の濫用」についても、その後、新たにわかったことがあるので、今回は再度、「権利の濫用」判決について紹介する。

 

法学部の学生ならたいてい勉強する著名な「権利の濫用」判決は、大審院昭和10年10月5日付けの「宇奈月温泉事件」判決である(内容については省略)。

だから、2024年4月17日付けの当ブログ(その1)で紹介した、明治34年に大審院が初めて「権利の濫用」を認めたという判決は、ブログを書くために調べていて初めて知った。そしてその時は、ドラマの中での判決は、架空のものだと思い込んでいた。

 

しかし、最近になって、それが、実在の判決だったことを知った。

 

大審院昭和6年7月24日の「物品引渡請求事件」判決である。

 

この事件は、ドラマの中で描かれたように、浮気をしたり暴力を振るったりする夫に対し別訴で離婚を求めていた妻が「衣類を返して欲しい」と訴えたもの。

大審院(今の最高裁判所にあたる)は、離婚成立までは夫に「管理権」があるとして返還を認めなかった原審(第2審)判決を破棄し、夫の財産管理権の濫用であるとして、妻への衣類の返還を命じたのであった。

 

ドラマは実在の事件を取り上げていたのだった。

この昭和6年判決が、4年後の「宇奈月温泉事件」判決につながっていったと思うと、実に興味深い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今週金曜日(6月7日)放映の「虎に翼」は、主人公寅子と再会した裁判官花岡が死んだという衝撃的な結末で終わりました。

花岡は、栄養失調で死亡(餓死)しました。

 

既にネット上で色々と紹介されていますが、実際、1947(昭和22)年に33歳という若さで餓死した裁判官がいました。

佐賀県出身の山口良忠(よしただ)判事でした(1913~1947年)。花岡も佐賀県が出身となっていましたので、山口判事がモデルでしょう。

山口判事は、戦後、東京地裁において、配給食料以外は違法とする食料管理法違反罪などの事件を担当していました。そんな中、山口判事は「経済犯を裁くのに闇はできない」と食事は闇米は食べず、配給だけで賄う生活だった。配給食料の大半も子どもらに与え、1947年8月に栄養失調で倒れた後、同年10月死亡しました。

 

花岡が桂場に向かって言ったセリフ、「人としての正しさと司法としての正しさがここまで乖離していくとは思いませんでした」が彼の裁判官としての信念を語っていたのでした。

山口判事も、「食管法は悪法だ」しかし「自分はどれほど苦しくともヤミの買い出しなんかは絶対にしない」と日記に書いていたそうです。

 

世の中には、国会議員がゴリ押しで成立させた「悪法」もたくさんあります。

そのような「悪法」について、私たち弁護士は、時には憲法違反を主張したり、法の趣旨や解釈などから適用場面を制限したりなどして闘ってきました。

 

働き始めたばかりの主人公寅子が今後このような法律をどのように扱っていくのか、楽しみです。

 

ちなみに、山口判事は、京都帝国大学法学部出身で、モデルの三淵嘉子さんとは大学も異なり、ドラマのような関係ではなかったようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年3月下旬、元依頼者のFさんから法律相談を受けました。

裁判所から債権差押命令が届き、年金が振り込まれていた銀行の預金口座が差し押さえられたとのことでした。Fさんは命令が届き、驚いて、すぐに事務所に来られました。

Fさんは、78歳の一人暮らしの男性で、無職で持病もあり、年金が唯一の生活の糧でした。

 

債権者は、債務者の公的年金自体を差し押さえることはできませんが、それが一度、債務者の銀行口座に振り込まれると、差し押さえることが可能となります。

 

ただ、民事執行法153条に、こういう場合における救済の規定があります。

差押えによって、一般的な生活水準と比較して債務者の生活に著しい支障が生じる場合(例えば、生活が成り立たなくなるような場合など)に、債務者の申立てにより、差押えの範囲を変更(減縮)するかどうかを裁判所が決定する制度です。

 

そこで、私は、Fさんに上記の申立をすることを勧めました。

申立ての方法は、さほど難しいわけではありませんが、債務者の生活状況などを書面にきちんと書き資料も付けて裁判所に提出しなければなりません。

 

Fさん一人に任せるのは心配だったので、翌日、再度、年金受給証明書や非課税証明書など生活状況がわかる資料を持参の上、事務所に来てもらいました。そして、生活状況などについては、私がFさんから聴き取って文書を作成しました。また、併せて、債権者への支払の一時禁止の申立てもすることにしました。

Fさんは、その足で、京都地方裁判所に申立書と資料を提出しに行きました。

 

申立てがあると、裁判所は、申立書などに不備がないかを審査し、不備がなければ、申立人(債務者)に必要な資料の提出を求めます。そして、次に、相手方(債権者)に反論などの提出を求め、その上で、裁判所は判断をします。

 

その後、時々、Fさんに電話をして状況を尋ねましたが、債権者への支払の一時禁止はすぐに決定されましたが、最終の結論は、なかなか出ませんでした。

 

4月下旬のGW前に、やっと裁判所から決定が届いたそうです。

決定主文は、「債権差押命令を取り消す」というもので、これでFさんの差し押さえられた預金は全部引き出せることになります。

 

しかし、すぐに引き出せるわけではなく、決定が債権者に届いてから不服申立がなく1週間経過すると、やっと決定が確定して、預金が引き出せるようになるのです。

 

GW明けに、Fさんの携帯電話に架電すると、つながらなくなっていました。

「電話代が払えなかったんだろうか」「持病が悪化して入院したんだろうか」などと心配しましたが、その後しばらくして、電話もつながるようになり、聞くと、やはり電話代が払えなくなっていたようでした。

 

決定も確定し、預金も引き出すことができたと聞き、とても安心した次第でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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