1. 2024年8月

2024年8月アーカイブ

先週の朝ドラ「虎に翼」は、交際相手の星航一からプロポーズされた寅子(ともこ)が、結婚してどちらの姓にするか悩み、最終的に、航一は事実婚を提案するというストーリーであった。

 

ドラマは約70年前を描いているが、いまだに夫婦別姓選択制度のない日本において、これは、まさに今、現実に突きつけられている問題にほかならない。

法相の諮問機関である法制審議会は、既に1996年に夫婦別姓選択制度を導入した民法改正要綱案を政府に答申しているが、その後約30年経った今も、「家族の一体性」などを掲げる一部自民党国会議員の根強い反対により、法案が国会にも上程されず、夫婦別姓選択制度は実現していない。

 

現行民法(750条)は、夫婦は、夫か妻のどちらかの姓を名乗るとしている。

一見平等であるかのように見えるが、法律婚をするなら、どちらか一方が必ず姓を変更しなければならず、現実には、95%の夫婦が夫の姓を選択し、妻は姓を失っている。仮に、夫が妻の姓を選択したとしても、やはり夫は自分のそれまでの姓を失うのである。

ドラマで、寅子が「私が折れれば」と言ったことに対し、航一は「それでは君の僕への愛情を利用した搾取になってしまう」と答えたことはとても的を得た名セリフであり、こんな男性いるんかなあと思ってしまった。

 

史実においては、寅子のモデルの和田嘉子さんは、三淵乾太郎さんと法律上再婚し「三淵」姓を選択したものの、やはりそこには葛藤があったもののと推察される。ちなみに、嘉子さんの一人息子(ドラマでは娘だが)は、和田姓のままであった。

 

折しも、2024年6月経団連は政府に対し、選択的夫婦別姓制度の導入を初めて提言した。

朝ドラの1947年の民法改正案を巡る審議会の場面で、夫婦が妻の姓を名乗れる改正案に反対した教授に対し、寅子は「息子さんが結婚して妻の氏を名乗ることにされたら、息子さんへの愛情は消えるのですか?」と追及したように、夫婦別姓を選択したとしても、そのことで親と子の家族の愛情に変わることなどあるはずもない。

 

この機に是非とも、夫婦別姓選択制を実現したいものである。

 

 

 

 

京都・五山の送り火(8月16日)

8月16日は、京都・五山に送り火が灯される。

大学時代から京都に住んでいるものの、8月16日は、実家に帰省していたり、登山に行っていたりして、必ずしも毎年見るわけではない。

京都にいても自宅でテレビで観る、なんてこともある。

 

夜8時に、左京区の大文字山の「大」の字に点火され、5分間隔で、東から西に向かって、左京区松ヶ崎の万籠山と大黒天山に「妙」「法」、北区西賀茂の船山に「船形」、北区の大北山に「左大文字」、右京区の嵯峨野鳥居本の曼荼羅山に「鳥居形」が次々と点火されていく。

 

高いビルの屋上から五山全部の送り火を見たこともあるが、私は、一山だけでも間近で見る方が好きだ。

 

今年は、大文字山の「大」を間近で見ようと、まず御所に行った。

御所の東側の場所で確かによく見える場所があり、見物客がたくさんいたが、府立病院の建物や明かりが目に入ってしまう。大きさもイマイチ。

そこで、やはり鴨川の橋か川原はどうだろうと急いで移動する。

川原や橋にも見物客が一杯。御所よりは間近に見えるが、やはり場所によっては建物が邪魔をする。

それほど長く点火されているわけでもなく、それなりに楽しんだので帰宅した。

 

帰宅する際、見物客の「あの大という字はどういう意味?」という会話が聞こえてきた。

そう言えば、五山の送り火の「字」の意味などは考えたことがなかった。

後から調べたところ、「大」の字については諸説あるところ、中国の「五大」(宇宙を構成する5つの要素を意味し、地・水・火・風・空)に由来するという説や、弘法大師が大の字型に護摩壇を組んでいたという説などがあるよう。

 

五山の送り火が終わっても、京都の暑い夏はまだまだ続きそう・・・・

 

 

 

 

 

 

 

熟年離婚が過去最高に

2022年に離婚した夫婦のうち、同居期間が20年以上だった「熟年離婚」の割合が23.5%に上り、統計のある1947年以降で過去最高になりました(2024年8月13日付け朝日新聞朝刊)。

 

これは、厚生労働省の2022年人口動態統計によります。

離婚全体の数は、17万9099組で、減少傾向にあります。

しかし、同居期間20年以上の夫婦の離婚は9万8991組で、この20年以上、4万組前後で高止まりしています。

 

その背景には、平均寿命が延び、子どもが独立すると夫婦二人で過ごす時間が長くなり、性格の不一致などから一緒にいることに耐えられなくなり離婚を選択するケースが多いようです。

退職金など財産分与のことを考え、夫が定年となる2~3年前から妻は準備に動き出すこともあります。

 

長く同居しているからと安心して、定年後、家事もせず、自分中心の生活をしていると、突然、配偶者から離婚届を突きつけられることもありますよ!

 

 

 

 

山仲間の浅野弁護士が、笠ヶ岳登頂で日本百名山を完登するということで、2024年8月4日から7日笠ヶ岳登山に同行した。私は2005年以来の2度目の笠ヶ岳登山となる。

京都からは4人(うち長野弁護士はテント泊で笠ヶ岳で合流)、神奈川からは浅野さんの同期の中野弁護士が合流した。

 

浅野さんは、亡夫が2007年11月に宮之浦岳で、私が2013年8月に飯豊山で、それぞれ日本百名山を完登した時も同行し祝ってくれた。その浅野さんがとうとう百名山を完登する。

 

笠ヶ岳(2897.6m)は北アルプスの南側の西端に位置し、山全体が岐阜県にある山だ。

「笠」の名のつくとおり、均整のとれた綺麗な三角形の山である。

北アルプスの縦走路から離れているので、登山者も少なく、静かな山である。

 

健脚の長野さんは、8月4日わさび平小屋に泊まった後、翌5日、ほぼ直登の笠新道を登るという。

私たち4人は、同日、鏡平山荘まで登って泊まった後、翌5日、弓折岳経由で登ることにした。

 

鏡平山荘近くの鏡池は、正面にそびえる槍・穂高連峰が映るビューポイントである。

 

 

鏡池に至るまでには夕立に降られたが、鏡池に着いた頃には雨もやみ、雲も少しずつ取れて、槍や穂高連峰がその姿をあらわしてくれた。まさに絶景!

 

8月5日、いよいよ笠ヶ岳に向かう。途中、高山植物がたくさん咲いており、北アルプスの山々を遠望しながら歩く。

途中から夕立が降ってくる。笠ヶ岳に近づいているはずだが、ガスでその姿が見えない。

笠ヶ岳山荘に到着する頃には、雨はやんだものの、山頂にはまだガスがかかっている。今日中に登れるか・・・

 

山荘前で休んでいると、ガスが晴れてきたので、登ることに。

山荘からは笠ヶ岳山頂までは、15~20分くらいで登ることができる。

 

そして、ついに、百名山完登!  おめでとう!万歳!

 

笠ヶ岳山頂は広く、360度の展望がある。まだ周囲の山々には雲がかかったりしているが、まずまずの眺望である。山頂で約1時間楽しむ。

 

 

 

 

翌6日は、快晴で、下山中に振り返ると、美しい笠ヶ岳の姿を遠望できた。

 

 

下山は笠新道を下る。久しぶりの長距離の山行だったので、1~2日間は足の筋肉痛がひどかった。

 

 

 

 

古代から好まれていた「かき氷」

7月末に郷里の岐阜に帰った時、いとこ達がかき氷を食べに連れて行ってくれた。

今夏の初かき氷。

かき氷は幼い頃から食べてきたが、成人してからは一人で食べに行くことはない。若い人らと一緒だとそういう店に入れるって感じ。

 

連れて行ってくれた店は、元私の実家があった所のすぐ近く、岐阜市岩田東の「鍋&Dining cotocoto」。

最近のかき氷は量も多くオシャレ。生フルーツがふんだんに盛られている物もある。値段もそこそこするが、この店は比較的リーズナブル。

 

 

 

 

 

ところで、今、NHK大河ドラマ「光る君へ」では平安時代が描かれているが、当時の高貴な人達もかき氷をたべていたとのこと(2024年8月6日付け赤旗)。

一条天皇の后である定子に仕えた清少納言の「枕草子」の中に次の一節があり、これが日本で一番古い、かき氷の記録らしい。

「あてなるもの(上品なもの)」

 

 削り氷に

 あまづら(注:甘葛煎=あまづらせん、という古代の甘味料)いれて

 あたらしき金椀(かなまり)に

 いれたる

 

氷は氷池(ひいけ)で冬の間につくられ、氷室(ひむろ)と呼ばれる天然の冷蔵庫で保管されていたとのこと。

そして、当時は、刀で削られていたので、「削り氷」と呼ばれていたらしい。

 

そういえば、私が幼稚園の頃は、夏になると氷屋さんが車で大きな四角い氷を売りに来て、それを買っていたという記憶が残っている。

 

かき氷は、古代から夏のスイーツとして好まれていたんだね。

先週放映の朝ドラ「虎に翼」では、主人公寅子(ともこ)が新潟地裁で、朝鮮人がスマートボール場を放火したという刑事事件を担当するという場面がありました。

今回の朝ドラは、朝鮮人差別の問題についても正面から取り上げています。

寅子の大学時代の友人の朝鮮人ヒャンちゃん(崔香淑=チェ・ヒャンスク)が、兄が思想犯の疑いで連行され帰国せざるを得ず司法試験をあきらめ、その後結婚して日本人として生活せざるを得ない姿が描かれています。

そして、新潟に移った寅子が担当した事件が、上記の朝鮮人の刑事事件でした。ドラマの中では、寅子がヒャンちゃんの協力も得て、検察官提出の証拠の1つである被告人の手紙の訳が誤訳であることがわかりました。

 

この裁判も実際にモデルとなった事件があることがわかりました。

昭和33年7月25日長野地裁飯田支部で、倉田卓次裁判官(当時)が言い渡した無罪判決です。

被告人は朝鮮人。スマートボール遊戯場を経営しており、100万円以上の負債があり、火災保険金目当てに放火したとして起訴されました。

法律雑誌である判例タイムズ82号P84~に詳細が掲載されています。

 

判決文を読むと、被告人には本件犯行をなすに至る動機も可能性もあるものの他の可能性への合理的な疑いを排除するだけの証拠が見いだせないと判示した無罪判決で、詳細に事実認定がされています。

 

ドラマの中の、手紙の誤訳の部分ですが、実際の判決でも、それに似た指摘がなされています。

それは、翻訳では左から右に読むべき朝鮮文を右から左にへ訳していることが明らかになったため検察官はその証拠を撤回したと書かれていました。

 

勉強になります。

 

 

 

 

 

大学1年生の時からだから、京都に住んで、もうン十年になる。

本書の書き出しに「京都は、一筋縄ではいかない」とあるが、自分がいかに京都のことを知らないか、この本を読んであらためて思い知った。

 

本書は以下の5章から成る。どこから読んでも十分楽しめる。

第1章  不思議地図[京都の謎を歩く]

第2章  新名所案内[ガイドブックに載らないもうひとつの京都]

第3章  魔界案内[京都ミステリースポットをめぐる]

第4章  珍名・奇名[ユニーク地名のルーツをさぐる]

第5章  歴史地図[都誕生の陰に”地の利”あり]

 

例えば、

第1章では、五山の送り火の中で、大文字山の「大」の字だけが国土地理院の「地理院地図」に載っているという意外な事実などが紹介されている。

また路面電車が初めて走ったのも、初めて小学校が誕生したのも、そして初めて駅伝がスタートしたのも京都だった。

 

第2章では、東福寺(東山区)には全国唯一の室町時代のトイレがあること、泉涌寺(東山区)には楊貴妃観音像があること、清水寺(東山区)には蝦夷の首長の慰霊碑があること、「蚕の社」(かいこのやしろ。右京区)には三本足の鳥居があること、竜安寺(右京区)の石庭の15の石の謎等々、どれも訪れたことがある寺なのに知らないことばかり。

観光名所としてではなく、かような「隠れ名所」を見に行きたくなる。

 

第3章は「ミステリースポット」。

京都は雅で華やかなイメージがあるが、他方で、魑魅魍魎が跋扈したというようなおどろおどろしい場所も少なくない。平安時代、民衆の亡骸が捨てられた場所は、鳥辺野(とりべの)、化野(あだしの)、漣台野(れんだいの)。三条大橋がかかる三条河原は、1594年には大盗賊の石川五右衛門が釜ゆでの刑に処せられ、1600年には関ヶ原の戦いで敗れた石田三成の首もここにさらされた。堀川一条にある「一条戻橋」(いちじょうもどりばし)は死んだ人が生き返るという謂れがある。

 

第4章の珍名・奇名も面白い。

京都の地名には、「鞍馬口」や「丹波口」「荒神口」など「口」がつく地名が多いが、これらの「口」には、関所がおかれ、幕府が通行税などを徴収していた場所だったとのこと。

また、奇妙な名前の通りや町名もある。例えば、「天使突抜」(てんしつきぬけ)という名前の通りや町がある。下京区の西洞院通りと油小路通りの間の南北の通りが「天使突抜通り」で、その両側の町が「天使突抜町」である。以前の依頼者の住所が天使突抜町だったので、私はその時初めてこの町名を知った。「天使」は、ずっとエンジェルのことかしらと思っていたが、本書では、「天使」とは「天から降った神」のことで五條天神宮の祭神を指すとのこと。豊臣秀吉が京都の大改革を強引に推し進め、五條天神の境内の中に1本の通りが貫通することになったことから、「天使突抜」と名付けられた。

 

第5章「歴史地図」では、かつて京都南部には、琵琶湖に次ぐ巨大な池(巨椋池:おぐらいけ)があったが埋め立てられたこと、京都には戦国時代には50もの城があったことなど、京都の歴史から解説されている。

 

いつも見ている景色も、歴史を知って見ると、なぜか変わってみえてくる。

実に面白い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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