1. 2024年10月

2024年10月アーカイブ

主には、特定の企業や団体に属さず、個人で仕事を引き受ける人をフリーランスと言います。

ITエンジニアやアニメーター、通訳、カメラマン、デザイナーなどが代表的で、新たな働き方として社会に定着してきました。

「ウーバーイーツ」など料理宅配の配達員も同様です

2020年の国の調査によると、全国で462万人いるそうです。

しかし、立場が弱く、発注事業者から不利な条件を強いられるなど様々なトラブルが起きています。フリーランスは、労働者ではないので、労働基準法などの適用はありません。

 

そこで、2023年5月フリーランス取引適正化法が制定され、2024年11月から施行されます。

 

新法では、発注事業者は、書面やメール等により、業務の内容や報酬の額・支払期日などの法が定める取引条件を明示しなければなりません。これまでは、「多くは口約束で、事前に契約書を作るのはまれ」といったことも。公正取引委員会の実態調査でも、45%が取引条件を明示されなかったことがあると回答しています。

また、従業員を使用している事業者は、発注した物品などを受け取った日から数えて60日以内のできる限り早い日に報酬支払期日を設定し、期日内に報酬を支払わなければなりません。

更に、セクハラやパワハラなどのハラスメント対策の体制を整える義務も課しています。

 

法違反があった場合には、公正取引委員会などが指導や勧告を行い、従わない場合には、命令や社名公表もされ、命令違反には50万円以下の罰金が科せられます。

 

なお、発注事業者の義務の具体的内容については、公正取引委員会や厚生労働省のホームページをご覧ください。

 

 

 

 

 

清津渓(日本三大渓谷)に行って来ました

先週、新潟県十日町市にある清津渓(きよつきょう)に行って来ました。

清津渓は、日本三大渓谷の1つです。他の2つ(富山県の黒部峡谷と三重県の大杉谷)には行ったことがあり、最近、人気の清津峡には是非行ってみたいと思っていました。1941(昭和16)年4月に国の名勝・天然記念物に指定されています。

 

紅葉を期待して出掛けたのですが、まだちょっと早かったです。

 

清津峡の入り口です。

 

 

最初、清津川沿いを少し歩き、トンネルに入ります。

 

 

清津峡は、清津川を挟んで切り立つ巨大な柱状節理の岩壁がV字型の大渓谷をつくっている美しい場所です。

 

1984年までは、おそらく渓谷沿いに登山道があったのでしょう。しかし、同年2月に大規模な雪崩によって川沿いの歩道は通行禁止に。

その後、地元や観光客の要望を受け、歩道の代替施設として作られたのが「歩道トンネル」でした。1996(平成8)年10月に開坑されました。

 

しかし、徐々に観光客が減っていったため、2018年「大地の芸術 越後妻有アートトリエンナーレ」でアート作品としてトンネルが改修されました。改装後は、年間約25万人が訪れる人気の観光地となりました。

全長750mのトンネルを外界から遮断された潜水艦に見立て、外を望む望遠鏡として3つの見晴所と、終点のパノラマステーション等で芸術作品が展開されています。

まさに、自然と芸術のコラボレーションです。

 

光が点灯した薄暗いトンネルの中をどんどん歩いて行きます。5つの異なる色の光のトンネルが各展望所に誘います。この先、どんな光景が待ち構えているだろうかとワクワクしました。

 

まず、第一見晴所に到着します。

 

 

第一見晴所から眺めた景色

 

 

次に進んで行くと、第二見晴所があります。

壁面と床全体に白と黒のストライプが描かれ、外に向かって吸い込まれるようです。

 

 

見晴所の手前に小さなドームがあります。

このドームはトイレだそうで、私は入りませんでしたが、なんと中からは外が見える仕掛けになっているそうです。

 

第二見晴所からの風景。

 

第三見晴所。

トンネルの壁一面に、オレンジ色の照明と組み合わせた丸い鏡が何個も設置されていました。

 

 

 

第三見晴所からの景色。

 

 

見事な柱状節理

 

そして、終点のパノラマステーション。

峡谷の景色を水の鏡で反転させた幻想的なアート空間が広がります。

紅葉や雪景色の時には、どんなにか美しいでしょう。

 

 

 

パノラマステーションからの景色

 

自然と芸術とのコラボは大胆で面白いと思いました。私は、どちらかと言うと、自然の姿のままの渓谷の方が好きです。でも、渓谷沿いに歩道を作ることが困難なのであれば、このような「見せ方」も1つの工夫かなと思いました。

 

 

 

現在、NHK地上波で放映中の「宙(そら)わたる教室」。まだ2話までしか放映されていないが、面白い。

 

窪田正孝演じる、エリート科学者だったが、なぜか定時制高校に赴任してきた理科教師・藤竹叶と、年齢も職業なども異なり様々な事情や環境の下で学ぶ生徒たちとの交流を描く。

科学実験を通して生徒達と関わりを深め、人生に希望を持たせてくれるドラマ。

藤竹先生の、感情を抑えて、淡々と話す様がいい。生徒も皆個性的。

 

私は、子どもの頃から、物理が苦手だった。だから文系に進んだ。

こんな先生だったら、きっと物理も好きになっていたかもしれないし、今よりは興味を持てたかもしれない。

でも、いくつになっても学ぶことはできる。そんなことを思い起こさせてくれる。

 

原作は、伊与原新という作家の同名の小説。作家自身が、地球惑星物理学を専門として東大大学院で理学博士号を取得している。

今後のテレビの展開も楽しみだし、並行して、小説も読んでみよう。

 

 

石破首相の最速解散により、来週の日曜日2024年10月27日が衆議院選挙投票日となりました。

この衆院選と同じ時に行われるのが、最高裁判所裁判官の国民審査です。

これは、憲法79条に定められている、憲法上の制度です。主権者である国民が、最高裁の裁判官が「憲法の番人」としてふさわしいか否かを審判する大切な審査です。

 

ところが、この国民審査は、長い間、海外に住む日本人は行うことができませんでした。18歳以上の在外邦人は100万人を超えるそうです。

2024年10月21日付け朝日新聞「天声人語」に紹介されていました。

セットで行われる衆院選については、2000年から、海外で暮らす有権者も投票できるようになりました。ところが、国民審査は対象外でした。在外邦人が裁判を起こすと、被告である国は、国民審査は、民主主義を育んでいくうえで、「不可欠の制度とは言えない」と主張しました。

憲法上の制度であるにもかかわらず・・です。

 

最高裁は、国の主張を退け、2022年5月25日、違憲判決を下しました。それで、今回初めて、海外の日本人も国民審査を行うことができるようになりました。

 

ところがです。

朝日新聞によると、投票の済んだ用紙を日本まで持ち帰る必要があるという理由で、ほとんどの在外公館は先週末で衆院選と国民審査の投票を打ち切ったそうです。各地での平均投票期間は4.29日。

短すぎます。開票方法は色々方策がありそうなのに・・・ここにも、おそまつな政治がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

児童手当の拡充~2024年10月から

児童を養育する子育て世代にとって、児童手当の支給は、家計にとって少なからぬ支援となっていると思われます。

この児童手当が、10月から、以下のとおり大幅に拡充されます(支給は12月から)。

 

①所得制限を撤廃

 これまで主たる生計者が一定額以上の年収の場合には受給に制限がありましたが、今後は所得にかかわらず全額支給されます。

②支給期間を延長

 これまでは中学生以下が支給対象でしたが、今後は高校生年代(18歳の誕生日以後の最初の3月31日まで)も支給対象となります。

③第3子以降の支給額の増額

 第3子以降は、年齢にかかわらず3万円に増額されます。

④支払回数を増加

 これまでの4ヶ月分ずつ年3回から、2ヶ月分ずつ偶数月年6回の支給に変更されます。

 

ただ、注意しなければならないのは、お住まいの自治体に申請が必要な人もいます。

①これまで所得制限の対象で支給がなかった人

②高校生年代の子のみを養育している人

③大学生年代の子どもを含めた3人以上の子どもがいる人

申請は2025年3月31日までに行う必要があります。

詳しくは「こども家庭庁 児童手当」及びお住まいの市区町村のホームページなどをご覧ください。

 

 

 

 

 

本書の著者であるノンフィクション作家佐々涼子さんが2024年9月1日、脳腫瘍のため56歳で亡くなった(同月4日付け当ブログ)。

これまで佐々さんの作品は「エンジェルフライト 国際霊柩送還士」「エンドオブライフ」「夜明けを待つ」の3作を読んだ。前2作は、「死」と向き合う中で、その対局にある「生」、「生きる意味」や「生き方」が描かれていた。

 

本作は、それとは少し趣きが異なり、震災からの奇跡的な復興を成し遂げた人間の力のすごさが描かれている。

 

紙というものは、どこでどのように作られているのだろうか?佐々さんと同様、これまで考えたこともなかった。

 

本書は、2011年3月11日、未曾有の大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県の日本製紙石巻工場が、絶望的状況から、わずか半年で奇跡的な復活を遂げた記録である。

石巻工場では、日本の出版社の紙の約4割が通称「8マシン」という製造機によって作られていた。本の供給にはなくてはならない工場だった。それが津波によって、閉鎖も噂されるほどの被害を受けた。

しかし、工場長は、半年での復興を宣言した。

 

工場長が半年での復興を宣言した時、廃墟と化した工場を目の前にした従業員らは、誰もが「言わせておけ」「絶対に無理」と思った。しかし、工場長は、会社の命運は自分たちの肩にかかっていると考え、「半年」という期限を切ることによって社運を従業員らに託した。

その日から、従業員達の闘いが始まった。

水も電気もない中で投光器とヘッドライトをつけての瓦礫の撤去、人界戦術でスコップや時にはスプーンで泥を掻き出す、近隣住宅に流れついたパルプの回収、来る日も来る日も瓦礫の撤去作業は続く。

悲惨な状況の描写には胸が苦しくなるものの、私にとっては想像を超える。

8月には、遂にボイラーが復活。

「いったんたすきを預けられた課は、どんなにくたくたでも、困難でも、次の走者にたすきを渡さなければならない」・・・工場の各課の従業員は、駅伝でたすきをつなぐ思いで、「半年後」のゴールをめざした。そして震災から半年後の9月14日、とうとう「8マシン」が稼働した!

 

私は「紙の本」が大好きだ。

「紙の本」は、時には、それに触れることによって記憶に残る思い出を作ってくれる。

もし石巻工場が復活していなかったら、今よりももっと急速に「紙の本」が電子書籍に置き換わり、街の本屋は次々に閉店していっていたかもしれない。

 

被災していない私たちにとっては、共有はもとより想像すらできそうもない苛酷な状況下で、復活を果たしてくれた、表に名前など出ないが紙造りを誇りとした従業員の人達にただただ感謝しかない。

 

 

 

 

 

 

昨日(2024年10月8日)夕方、京都弁護士会では、会員弁護士・事務員さん・市民の皆さん、そしてえん罪被害者の方らと一緒に、雨の中、再審法改正を求めるパレードを行いました。

裁判所前から検察庁前まで歩きました。

 

ちょうど、逮捕から58年という長きにわたり無実を訴え続けてきた「袴田事件」の袴田巖さんの再審無罪が確定するという嬉しい報道があったばかりで、シュプレヒコールにも力が入りました。

 

岡田会長と木村副会長

 

パレード出発前(弁護士会館前)

 

再審については、刑事訴訟法第4編で定められていますが、70年以上もの間、改正の必要性が指摘されながら1度も改正されていません。

罪を犯していない人が処罰を受けるというえん罪事件は後を絶たず、再審手続によって救済されるまでには、袴田さんのように気の遠くなるような年月がかかります。

そこで、日本弁護士連合会は、えん罪被害者の一刻も早い救済のために、再審法(刑事訴訟脳)の一部改正を求める取り組みをしています。

 

改正の主な要点は、

1、再審のためのすべての証拠を開示する(警察や検察は証拠隠しをしない)

2、再審開始決定に対する検察の不服申立を禁止する

3、再審における手続を整備する

 

今後も、再審法改正実現を目指して、ご協力をお願いします。

 

 

 

 

最近、発声のトレーニングとして、ほぼ毎朝、新聞1面下段のコラム記事を音読している。

2024年10月6日京都新聞朝刊「凡語」の記事は、三条木屋町にある、幕末文久元(1861)年創業の花屋さん「花政」の5代目店主藤田修作さんの初の個展に関連した内容だった。

 

もう10年以上前になるが、一時期、フラワーアレンジメントを習っていたことがあり、以来、草花にはとても興味がある。

藤田さんの「花は、足し算やのうて引き算」という言葉にひかれた。

個展開催は、10月8日まで。開催場所のギャラリーは、荒神橋西詰めだから、歩いて行かれるほど近い。行ってみたい!と思った。

 

時折前を通る建物だが、この建物がギャラリーということは知らなかった。

 

 

 

 

1階には、過去の生け込みを写真や映像で紹介されていた。

 

 

 

 

 

2階には、陶器や籐のかごなどにさりげなく生けた山野草などが飾られていた。

 

 

 

 

 

決して派手でない、さりげなく飾られている花たち。

 

心和むひとときだった。

家政婦兼介護ヘルパーとして要介護者の家庭で住み込みで働いていた女性(当時68歳)が急死したのは、過重労働が原因として、東京高裁は、2024年9月19日、労災と認めました。

一審の東京地裁は遺族の請求を棄却しており、原告遺族の逆転勝利となりました。

 

実は、労働基準法には、「この法律は、同居の親族のみを使用する事業及び家事使用人については、適用しない」という条文があります(116条2項)。

この「家事使用人」というのは、住み込みの「女中」で家族も同然だから「労働者」ではない、という、なんとも時代錯誤な条文がまだ残っています。

 

本事案では、女性は、東京都内で訪問介護事業と家政婦の紹介あっせんを営む会社に登録。そこから派遣されて、2015年5月に要介護5の高齢女性宅に1週間泊まり込んで家事や介護に従事していましたが、勤務を終えた日に急性心筋梗塞で倒れ、翌日亡くなりました。

 

東京高裁は、家事と介護で、働く場所も労働時間や賃金も明確に分かれておらず、派遣元会社が女性に家事を指示していた実態もあったと認定。女性は、労基法の定める「家事使用人」にはあたらないと判断。女性が介護と家事で1日平均15時間の労働を1週間続け、週の労働時間が105時間に達したことを踏まえ、「短期間の過重業務」にあたるとして労災と認めました。

 

東京高裁は、労働実態を直視した判決でしたが、女性は2015年に亡くなっており、労災認定までに約10年もの年月が経過しています。あまりにも長すぎます。

 

国は、早急に、労基法116条2項の法改正を検討すべきです。

 

 

 

 

 

 

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