元裁判官で、この春からは滋賀県で弁護士をされている井戸謙一さん。
原発(石川県志賀原発2号機)差止め判決を書いた唯一の裁判官。京都地裁にもしばらく在籍されていたので、身近に感じる。
原発には「素人」の裁判官が、国の政策を否定する判決をなぜ書いたのか?その思いを聞いてみたいと思っていた。
本日付け朝日新聞朝刊にインタビュー記事が掲載された。
「貞観地震(869年)、長い歴史から見れば、わずか千年前に起こったことは、また起こりうる『具体的危険』だと思います。原発という危険なものを扱う以上、当然、備えるべきです。」
「甘い想定で、『安全だ、安全だ』と声高に言っても、その主張に乗るわけにはいきません。」
「一般論で言えば自分で決断ができないときに、肩書のある人たちの見解に沿ったほうが無難かな、という心理が働く可能性があります。」
「いくら世論と乖離していても、少数者の言い分にすぎなくても、主張に合理性があると思ったら認めなければいけません。」
「結論として原告の主張が認められるとすれば、国策に反していても原告勝訴とする。それが裁判官の仕事です」
立派な肩書きの人の意見に賛同していたほうが、あとで間違いがわかっても、あまり非難を受けない・・・・・そんな心理状態の中で、「安全性」の立証はあくまで被告側が尽くすべしとして、原発差止めを認めたことは、やはり相当の信念と勇気が必要だっただろう。
「原発訴訟もそうですが、訴えをどこにも聞き届けてもらえず、司法に一縷の望みをかける例が多い。それを正面から受け止めて、救済すべきものはきちんと救済する。そこに本来、裁判官のやりがいはあります。司法は、市民の最後の砦であるべきです。」
あ~、涙が出てくる。現役の裁判官は、この井戸さんの言葉を重く受け止めてほしい。
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