最近の毎日新聞には、なかなかすぐれた記事が掲載されている。
今朝の朝刊の和歌山支局の記者が書いた「だまされた国民の責任も問う 原発を拒否した町が教えること」もその1つ。
和歌山県日高町と旧日置川町(現白浜町)での、町を二分した原発誘致拒否。兄弟、親戚で賛否が分かれ、結婚式や葬式に出ないなど人間関係がずたずたになった。
しかし、京大の研究者小出裕章助教や今中哲二助教らの支えもあり、今ここに原発はない。
記者は、小出さんの「だまされた国民の責任もある」という言葉から、かつて敗戦直後の1946年に、だまされた国民にも戦争責任があると断じた映画監督伊丹万作のエッセイを紹介する。
「『だまされていた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいない」(ちくま学芸文庫「伊丹万作エッセイ集」所収)
「安全神話」を吹聴した国や電力会社のが厳しく批判されるのは当然だが、だまされた国民の責任からも目を背けてはならない。
原発差し止め判決を下した井戸謙一元裁判官は、福島原発事故後、各所でその思いを語っておられるが、他方、日本全国の原発差止め訴訟で、差し止めを求める住民側に敗訴判決を下した裁判官たちは、今いったいどういう思いでいるのだろうか。
退官して現役の裁判官でない人も少なくないに違いないが、誰からも、その声が聞こえない。「だまされていた国民」の一人、それも原発を止めることができたかもしれない国民として、是非、その胸の内を語ってほしいものだ。
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