8月30日の「おわら風の盆」前夜祭は福島地区。JR越中八尾駅周辺の地域であった。
午後8時すぎ、男性の踊り手を先頭に「町流し」が始まった。観光客が道の両脇にひしめきあい、先頭からは、胡弓などの音色すらよく聞こえなかったが、本当に静かに踊りながら進んでくる。これが「おわら風の盆」なんや。でも観光客の喧噪だけがやけにうるさい。
踊りながら200メートル位進むと、踊り手らは止まり、今度は、大きな輪になって、豊年踊りが始まった。
ところが、これがいただけなかった。
輪になって、地区の踊り手だけで豊年踊りを披露してくれるものと期待していたところ、輪になって以降は、すぐに観光客もその輪の中で一緒に踊ることができるようになった。おそらく地区の踊り手よりもたくさんの客が踊り始めたものだから、もうそこからは「哀愁」も「妖艶」もすべてがふっとんでしまった。
興冷めして、宿に戻る送迎バスの時間もあったので、早々に立ち去った。
内田康夫は小説「風の盆幻想」の中で、次のように書いている。
「この盛況は必ずしも喜ばしいものであるとばかりいえない。小説やドラマでは、夜更けて静謐な気配の漂う町の中、すすり泣くような胡弓と、哀切きわまる唄に誘われるように踊る『おわら』が、しずしずと練り回る町流しの情景を描いていて、それこそが『おわら』本来の魅力なのだが、いまやまったくかけ離れたものになってしまった」「狭い道路を埋め尽くす人波と、ムンムンする熱気の中、時折通過する『おわら』の群舞を、大群衆が取り囲むように見物しながら、押しあいへしあいして歩く、といった有り様で、情緒もムードもあったものではない」
かくいう私もその大群衆の1人であった。「哀愁」や「妖艶」は、今や映像の中でしか、得られないのだろうか・・・・
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