ユニチカ宇治工場で働く労働者が二硫化炭素中毒に罹患したことの企業責任を求める訴訟に1987年3月から1997年5月まで携わった。
「ユニチカ宇治工場CS2中毒患者を守る会」に患者やその家族、ユニチカや地域で働く労働者、医師、弁護士などが結集し、更に、同じくCS2中毒被害を受けた熊本や韓国の労働者とも連絡を取りながら、闘いを進めた。
約10年という長い年月を要した裁判だったが、最終的に、会社は、裁判所の和解勧告に応じ、相当金額の和解金が支払われるなど勝利的和解が実現した。
とても思い出深い裁判の1つである。
あれからもう15年以上が経過した。
私たち弁護団もそうだが、当時、若かったメンバーは皆、平等に(?)高齢化し、重篤な障害を抱えながら毎回裁判に出廷された原告の皆さんや家族、「守る会」で支援してきた労働者の方々の中には亡くなられた方も少なくない。
2月24日、宇治の「花やしき」で何年かぶりに懇親会が開かれた。
亡くなられた原告家族の皆さんも交え、思い出話に花が咲いた。
その中で、ある原告家族の1人が「裁判が終わった後、おとうさん(=原告)を10年介護したけれど、裁判をたたかった結果、十分な介護をしてあげれたので、本当に良かった思います」と語った。
まじめに働いてきたことによってCS2中毒になり障害を抱えた夫、その夫を支えて10年以上も共に裁判をし、更に裁判後も亡くなるまで介護を続けた家族の苦労は並大抵ではなかっただろう。
それは金にはかえられないはず。
でも、訴訟によって会社に一矢報いたことが、原告や家族らのその後の人生を悔いなきものにしたんだなあと、家族の方の言葉をあらためてかみしめた。
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