2017年8月22日付け京都新聞朝刊「こころに社会を刻む」という特集記事で、第2次世界大戦末期、京都が原爆の投下目標の最優先標的としてリストアップされていたことを取り上げていた。
記事によると、京都が原爆投下目標となった経過は、次のとおりだ。
●1945年4月27日 原爆の「標的委員会」初会合。優先順位①広島②京都③横浜。
標的選定については、①日本に最大限の心理的効果を与えること、②公表時、世界中にこの兵器の重要性を認識させるため、最初の使用は壮大なスペクタルになるようにすること。
そして、「知的水準の高い人がいる京都は兵器の意義をわからせる上で優位だ」と報告された。
●同年5月10・11日 第2回「標的委員会」。原爆投下の第1目標を京都に。以下、広島、横浜、小倉、新潟。
●同年5月28日 第3回「標的委員会」。原爆の標的都市は通常の爆弾で空爆せず、「保全」するよう空軍に要請することが決定される。
●同年5月29日 横浜は標的リストから外れたため、この日、横浜大空襲。
●同年7月16日 米ニューメキシコ州で初の原子爆弾の爆発実験に成功
●同年7月25日 広島・小倉・新潟・長崎を標的とする原爆投下指令
京都は、最初の投下目標から外れ、8月中旬の3発目の原爆投下の対象として想定。
●同年8月2日 米空軍、①広島②小倉③長崎に6日投下を発令
●同年8月6日 広島に原爆投下
●同年8月9日 小倉が視界不良のため、長崎に原爆投下
●同年8月15日 日本が降伏
標的の選考は、地形や建物の分布は爆風の効果を測定しやすいかや、心理的ダメージの大きさが重要項目で、文化財はまったく考慮されていない。
京都の爆心地は、京都市下京区の梅小路機関車区(現在の梅小路公園)に設定されていた。
京都は最後まで標的から解除されなかったのであった。
京都と同じく投下目標だった小倉(現在の北九州市)では、市が平和資料館建設の整備計画を進めている。米軍が原爆を落とそうとした歴史も展示する予定だ。2010年には非核都市宣言も出している。
もし、戦争がもう少しだけ長引いていたら、京都にも原爆が投下された可能性は非常に高い。
その意味で、京都の自治体は、被爆の准当事者として、もっと核兵器禁止の問題や平和の問題に取り組んでいかなければならないと強く思う。
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