1. 沖縄県の翁長雄志知事の壮絶な生き方
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沖縄県の翁長雄志知事の壮絶な生き方

 
2018年8月8日、テレビのテロップで、沖縄県の翁長雄志(おながたけし)知事の突然の訃報が報じられた。
5月に自身が膵臓癌であることを公表し、それでも知事としての公務を続け、7月には、辺野古埋め立て承認撤回を表明した。
テレビに映ったその時の姿は、それまでのように毅然とされてはいたものの、ひどく痩せて痛々しいものを感じた。
 
翁長氏は、自民党沖縄県連幹事長を務めるなど、もともとは保守であった。
ただ、幼少より、基地をめぐる県民の対立に疑問を持ち続けていたという。
自民党の那覇市議、沖縄県議を経て、2000年12月から2014年10月まで那覇市長を務める。
転機となったのは、旧日本軍による集団自決の強制を否定した教科書検定問題。2007年9月、保守も革新も一丸となった県民大会が開かれ、翁長氏は反対運動の先頭に立った。
そして、2014年11月、「辺野古基地ノー」の圧倒的な民意に寄り添う決断を下し、約10万票の大差で圧勝し、史上初の「オール沖縄」県政が成立した。
 
2014年12月10日知事就任式の時の言葉。
「戦後、自分が持ってきたわけでもない基地をはさんで保守だ、革新だと県民同士がいがみあってきた。基地問題を解決しないと、沖縄が21世紀に向かってしっかり羽ばたけない。これが私の思いだ」
 
それ以降は、安倍政権に一歩も引かず、あらゆる権限を行使して闘い続けてきた。
そして、それは自身が重篤な病にむしばまれても続けられた。
 
本当に命をかけて民意を貫いた政治家だった。
翁長氏のような人こそ、沖縄の歴史に残る本物の政治家だと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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