前回のブログで書いた、著者望月衣塑子さんにサインをしてもらった本「新聞記者」(角川新書)。
森友・加計学園問題が発覚する中で、ネットニュースなどで話題となっている、管官房長官の定例記者会見の場で堂々と質問する望月さんって、どんな記者なのだろうかと思い、昨年、買って読んだのが「新聞記者」。
2019年9月21日に彼女の生の肉声を聴くことができたので、帰宅後、再度、読み返してみた。
これまで、作家、学者そして新聞記者の講演をいくつも聴いたことがあるが、たいていは文章は面白くても、話はあまり面白くないということが多かった気がする。
でも、前回ブログで書いたとおり、望月さんの話は、とてもわかりやすく、面白かった!
再度、本を読み直して、そのワケが少しわかった。
「新聞記者」には、生い立ちも書かれており、実は、望月さんは、子どもの頃から「女優になりたい」と思い、中学生から高校入学までは芸能事務所に所属されていた。
そんな才能が、彼女の話力につながっているのだろう。
次に、官邸から「嫌われても」「嫌われても」、信念を曲げず、パワフルに行動できるのはなぜか?
これは、講演の最後に会場から出された質問でもあった。
私たちは、一定の信念を持っていても、力の強い者や何らか自分に影響力を持つ者に対して、時に「迎合」「忖度」したり、あるいは「萎縮」したり「屈して」しまったりすることもある。
まして、望月さんが対峙しているのは、強大な国家権力であり、その権力側に立って彼女を批判したり圧力をかけたりする人間も少なくない。
本来、同じ側の人間であるはずの記者までもが、彼女の発言を妨害しようとする。
本には「頑張りたいけど意味あるのかな・・・なぜこれほど叩かれるんだろう・・・こんなことならもう会見に行くのはやめようか・・・弱気な思いが何度も頭をよぎる」と書かれていた。
それでも、なぜ、頑張れるのか?
彼女は言う。
「やはり新聞記者として、権力側が隠そうとしていることが何かを常に探り、それらを明るみに出すことをテーマとしてきたから」と。
そして、支えとなったのは、駆け出しの千葉支局時代にベテラン警部に言われた、「俺が話すかどうかは、どこの社とかじゃない。その記者がどれだけ事件への情熱を持って本気でかんがえているかどうか」という言葉だった。
彼女が大切にしているインド独立の父ガンジーの言葉がある。これは講演の最後にも引用された。
「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」
これに続けて、望月さんの言葉。
「簡単には変えられないけど、私自身が環境や周りに流され変わらないためにも。自分自身が正義と信じられるものを見失わないためにも。たとえ最後の一人になろうとも」
では、私たちができることは何か?
報道の自由ひいては国民の知る権利を守り、真実を伝えるべく頑張っているジャーナリストは望月さんだけでなく、少なからず存在する。
そんな彼らに呼応して、SNSあるいはFAXや電話あるいは集会参加など、様々な形で連帯のメッセージを送ったり声を上げたりすることが大きな力となるはずだ。
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- 「新聞記者」(望月衣塑子 著)を読んで
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