この1年のコロナ禍の下、マスク姿が世相を表す象徴となっている。
私は、遠方に住む友人の誕生日には毎年バースデーカードを送っているが、今年は猫がマスクをしている絵が描かれているカードを見つけたので選んだ。マスク姿は今年だけになるようにと願って・・・・
南八ヶ岳の赤岳鉱泉・行者小屋では、「カモシー」が描かれているTシャツが販売されているが、昨年のTシャツは、その「カモシー」はマスクを着けていた。ちなみに、そのTシャツはすぐに完売となったとのこと。
ところで、2021年4月18日付け京都新聞朝刊の「天眼」の欄で、歌人でJT生命誌研究館館長の永田和宏さんが「季語」について書かれていた。
それによると、俳句の世界では、マスクは冬の季語。
眼はうごき眉はしづかにマスクの上 山口誓子
この1句では、当然、オーバーを着たり、マフラーをした相手を思い浮かべる。
永田さんは、「いまマスクはいかにも宙ぶらりんの存在として、俳人はなんとなくマスクを詠むことをためらっているようにも映る」と書かれていた。
それにたいし、「季語」がない短歌は、「マスク」は、ウイルスという目に見えない感染をもっとも端的に見せてくれるものとして、投稿欄に溢れていたという。
疑えばすべて罹患者バスの中 マスクがマスクを監視している
牛島政行
街中で会う人会う人みなマスク どこの店でも売ってないのに
伊藤次郎
そうか、短歌には「季語」がないのか・・・・子どもの頃に習ったはずだったのに、すっかり忘れていた。
確かに、「季語」を考えなくてよいなら、その分、自由だよね。
永田さんも「俳句でリアルな時代状況が詠えない理由の1つは、案外、このあたりにあるかもしれない」と結んでおられた。
納得
いずれにしても、マスクという時代状況が今年で終わることを願う。