「日本百名山」の著者で有名な随筆家・登山家の深田久弥は、1971(昭和46)年3月26日、山梨県の茅ヶ岳(かやがたけ、1704m)の山頂近くで脳卒中のため亡くなった(享年68歳)。
今年で没後50年になる。
茅ヶ岳の登山口には、直筆の碑「百の頂に百の喜びあり」がある。
しかし、深田は茅ヶ岳の山頂に達する前に亡くなったようで、最後に頂を踏んだ山は茅ヶ岳ではない。
深田が最初に登った山、そして最後に頂を踏んだ山はあまり知られていない。
私も、茅ヶ岳で亡くなったことは知っていて登ったことがあるが、それらの山のことはつい最近初めて知ったので、登りに行って来た。
1、最初の山~富士写ヶ岳(942m)~
富士写ヶ岳(ふじしゃがたけ)は、深田の出身地である石川県にある。
深田が小学校6年(11歳)の時に初めてこの山に登り、以来、登山を愛好するようになったという、きっかけの山だ。
5月のGW前後には、登山道にはシャクナゲが満開に咲く。
ブナ林も素晴らしい。
しかし、いくつかある、どの登山道も急登で、しかも土が粘土質で滑りやすい。
富士写ヶ岳山頂
山頂にある深田久弥のレリーフがついた山頂方位盤
雪を冠した白山が美しく見える
この山の近くに深田が産まれた場所があり、また深田久弥の「山の文化館」がある。
富士写ヶ岳に登った後、「山の文化館」に立ち寄り、深田の最後の頂が「蛇峠山(じゃとうげやま)」であることを知った。
「蛇峠山」は長野県の山「阿智セブンサミット」の1つ。
2、最後の頂の山~蛇峠山(1667m)~
蛇峠山の標高は1667mと高いが、治部坂高原(約1180m)に駐車場があり、標高差は500m位なので、簡単に登ることができる。
武田信玄が狼煙を上げた山でもあるという。
山頂手前には、NTTdocomoのアンテナや雨量レーダーなどがいくつか立っている。
深田は、1971年正月にこの雪山に登り、南アルプスまで見える晴れた素晴らしい展望を楽しんだという。
私が登った日は、晴天予報であったにもかかわらず、山頂に着いた頃には風雨の中。
1時間程で雨は止んだものの、アルプスまでの展望は実現しなかった。
それでも、1週間のうちに、深田久弥の最初の山と最後の山に登ることができ、大いに満足した。