現在の中国東北部に旧満州国が建国されて今年で90年がたつという。
戦前、日本の植民地だった旧満洲・・・
私には「満洲」に対して特別な思いがある。
2021年5月29日付けブログでも書いたように、私の父は、旧満洲で1924(大正13)年に生まれた。父の除籍謄本には、南満洲市が出生地として記載されている。
父は63歳で亡くなったが、生前、満洲での生活のことを多く語ることはなかった。
会ったことのない私の祖父(父の父)は満鉄の社員であったこと、父は学生時代ラグビーをしていたこと、そして数枚の家族写真を見せてくれただけ。
ただ、父が亡くなる前に病床で、旧満洲の地をもう1度訪れてみたかったと言ったことだけが私の記憶に鮮明に残っている。
敗戦後の引き揚げの時の壮絶さや悲惨さなどは、父の死後に書物で読んだり、映像で観たりしたが、父はどのようにして引き揚げてきたのだろう、なぜ父は引き揚げ時のことを語らなかったのだろう。そして、成人になった私はなぜ父に満洲のことをもっと尋ねなかったのだろう、その思いがずっといまだに私の胸につっかえている。
2022年8月12日付け毎日新聞夕刊には、「旧満州国引き揚げ体験者が語る平和」というタイトルで、山田洋次さん(映画監督)、孫崎享さん(元外交官)、澤地久枝さん(作家)という3人の引き揚げ体験者が戦禍と戦後を語り合うという特集が掲載された。
澤地さんは、引き揚げの旅は人生のどん底と言い、父親が満鉄の技師だった山田さんは幼い頃はいい生活だったが、終戦から引き揚げまでは1年半以上かかったという。
また、満洲がふるさととは思えないが、引き揚げた後の日本の土地にも溶け込めない。
そして、最後に3人が平和を築くために必要なこととして語るのは、「憲法9条を持つ日本は停戦の提案をする中心に立てる国」、「命は失われたら取り戻せない。戦争は絶対にしてはいけない。軍隊を持たない、戦争をしないという憲法の本来の意味に立ち返るべき」。
1945年8月15日の終戦時、約155万人の日本人が旧満洲におり、このうち約105万人が「ころ島」(現・中国遼寧省南西部)で引き揚げ船に乗船したが、その様子を描いた絵画「一九四六」(王希奇氏作)の展示会が国内各地を巡回中とのこと。
兵庫県立原田の森ギャラリー(神戸市灘区)で、2022年8月31日~9月4日開催。
是非、見に行きたいと思う。