今朝(2022年9月9日)の京都新聞朝刊1面と13面にこんな記事が載っていた。
「高級時計人気 ”バブル越え”」
なんでも、京都市内の百貨店で高級腕時計の人気が過熱し、バブル期を越える売り上げが続く店舗もあり、300万~500万円の製品がよく売れているとのこと。
このような高級時計を買い求める人は、時計は時間を確認するためではなく、ファッションやアクセサリーの一部なんだろう。
「経済格差の象徴そのものや」と思った。
私が腕時計を使わなくなったのは、いつ頃からだろう。
結構、時間には正確な性格なのだが、次第に腕に時計を装着している時の感覚が嫌いになり、電池が切れたことを機に、時間は携帯電話で確認するようになった。
事務所や自宅では壁の時計や置き時計で時間を確認できるし、法廷にも時計はある。
たまに携帯電話を携帯し忘れて、しまった!と思うことはあるが・・・
そう言えば、以前、利用者の少ない駅などで、時計を撤去する作業をJR東日本が進めているという新聞記事を読んだことがあった(2022年5月29日付け毎日新聞朝刊)。
管内全体の約3割にあたる約500駅を対象とし、10年程度で撤去する計画という。経費節減が理由。年間3億円程度の節約効果があるらしい。
しかし、「消えた時計」は地域に波紋を広げており、市議会が再設置を求めて決議したりJRに見直しを要請しているところもある。
時間を確認するため、携帯電話やスマホをいちいち取り出し確認するのは面倒。荷物が多ければなおさらだ。それらを持っていない子どもたちや老人もいる。
電車の発着は時間が命。
駅の時計だけは撤去しないでほしい。