1. 立命館の「わだつみ像」
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立命館の「わだつみ像」

2023年1月23日付け京都新聞朝刊1面と23面に、大学紛争で破壊された初代の「わだつみ像」を、保管している学校法人立命館が常設展示の方向で公開をきめたという記事が掲載されていた。

 

「わだつみ像」は、1953年12月8日に立命館大学広小路キャンパスに建立された後、1969年5月20日大学紛争の最中に全共闘の一部学生によって破壊された。

 

「わだつみ像」とは何か?

1949年、全国の大学・専門学校出身の戦没学生の遺稿「きけわだつみのこえ」が刊行された。当時は30万部のベストセラーになったという。その印税を資金に、1950年9月に製作されたのが「わだつみ像」である。当初は東京大学に建立するはずであったが、紆余曲折を経て、立命館大学広小路キャンパスに建立されることになり、1953年12月8日除幕式が挙行され、学生の代表によって「不戦の誓い」が宣言された。

しかし、その像は、1969年5月に暴力学生によって破壊された。

 

1度は破壊された「わだつみ像」は、1976年5月20日再建立された。

当時、私は、京都大学の学生で、既に学生運動は下火になっていたが、学内にはまだヘルメットをかぶった学生がウロウロしている状態だった。

それまで「わだつみ像」の歴史など全く知らなかった私だったが、何かのきっかけでこの像と再建立のことを知り、いたく感銘を受けて、一人で、立命館衣笠キャンパスまで出掛けて行ったという記憶だけが残っている。

京都新聞を読んで、約50年も前の、そんなことを思い出した。

 

京都新聞の記事によると、初代の像は、頭部に穴が開き、腹部にはペンキで「死」の文字が落書きされ、また右肘や左大腿部の亀裂、左腕部の破損など当時の状態のままで倉庫で保管されてきたとのこと。

 

「新しい戦前」などと言われる現在、この初代のわだつみ像が公開される意義は、一層大きいと思う。

 

 

 

 

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