先日、京都弁護士会主催で映画の試写会があった。
映画終了後、トークイベントがあり、その中で、司会者から映画の感想を聞かれた登壇者の1人が、会場に若者も多かったせいだったのだろうか、「エモい」という言葉を使って評された。
私は、「エモい」という言葉の意味を知らなかったので、その場は「何?それ」と思いながら聞き流した。
翌日パソコンで「エモい」という言葉の意味を調べてみた。
どうやら「エモい」という言葉は若い世代を中心に浸透している俗語で、単に嬉しい・悲しい・という気持ちだけではなく、感傷的・哀愁的・郷愁的などしみじみする状態を含み、形容しがたい様々な心情を表現する便利な言葉として使用されているらしい。
そんなことがあって、現在放映中のNHK朝ドラ「舞い上がれ」(第105話)の1場面を思い出した。
短歌の歌人である貴司君の古本屋「デラシネ」を久しぶりに訪ねてきた、中学生になった陽菜ちゃんがこう言う。
「言葉ってさ、こんなにいっぱい要らんくない?中学入って分かってんけど、みんなに合わせて『ヤバイと可愛いとキモい』だけ言うとったら、やっていけんねん」
それに対する貴司君の言葉が心に響いた。
「言葉がいっぱいあんのはな、自分の気持ちにぴったり来る言葉を見つけるためやで。」
日本語という言葉には、それぞれ似ているようで、様々なニュアンスを帯びたものがたくさん溢れている。
その言葉の中から「自分の気持ちにぴったり来る言葉」を見つけ出して使って初めて、語り手の思いや感情、思考などが伝わると思う。
簡単ではないだろうが、そこに日本語表現の素晴らしさがあるような気がしてならない。