太平洋戦争末期の1945年、京都帝国大学(現 京都大学)が実験器具などを守るため、近くの吉田山に全長約100mの防空壕を設ける計画を進めていた(2023年9月13日付け京都新聞朝刊)。
初めて聞いた話だった。
同新聞記事には「今回、初めて設計図などの資料が見つかり、『幻の防空壕』の存在が裏付けられた」と書かれているので、これまであまり公にはされてこなかったのだろう。
設計図と契約書が、京大百周年時計台記念館で開催中の企画展「京大生の『戦争』で展示されているとのことだったので、9月24日に行って来た。
ようやく少し涼しくなってきたので、早朝、蹴上から東山トレイル道を登って大文字山山頂に行き、山頂から火床まで下りる。
火床から、吉田山の全景を撮影する。写真中央の緑が吉田山。
銀閣寺登山口に下山して、京大まで歩く。
京大百周年時計台記念館で開催中の企画展は、11月5日まで。
吉田山防空壕については、戦争末期の1945年2月、大学の重要施設を移転するため地下壕を作るよう命じられた当時営繕課長を務めた故西山卯三名誉教授が戦後になって計画を回想した記録(京大広報第234号)が残っていただけだった。
それ以外の記録は長らく見つかっていなかったが、昨年、京大文書館が所蔵資料の中から設計図と契約書を偶然見つけたとのこと。
防空壕の設計図も契約書もガラスケースの中で展示され、残念ながら細かい字は読み取ることができなかった。
契約書の締結は、1945年7月25日で、「10mも掘らぬうちに敗戦を迎えた」そうで、掘った穴は11月に埋め戻された。
吉田山と京大にこんな歴史があったんだ・・・