2011年2月アーカイブ
毎朝、わんこの散歩をしている小山にイノシシが出没しだした。去年の夏の終わり頃からだ。
今日の新聞を見ていたら、16日「検察長官会同」が、東京・霞ヶ関の法務省で始まったという記事が目にとまった。この間の検察官の不祥事(証拠改ざん・犯人隠避等)にふれて、「調書至上主義があるなら、改めなければいけない。改革には不満が出るかもしれないが、良薬は口に苦い。しっかり受け止めて欲しい」と、訓示したとあった。
「調書至上主義」とはなんぞや、というと、ばくっというと、(刑事)裁判で、証人や本人の話を直に聞いたことよりも、捜査段階の「調書」を重視し、それを元に裁判を進めるということだ。
この前も、検事が「調書の方がわかりやすいですから」と、本人がいるにもかかわらず、捜査段階の供述調書(検面調書)の採用にこだわっていた。これをあっさり証拠採用する裁判官も裁判官だが・・・
「検面調書」とはなんぞや。書いて字のごとく、「検面」とは、検察官が面と向かって取り調べたということで、「調書」とは、(検察官が)被疑者(主に逮捕とか勾留されている人)を自らが取り調べて聞き出したことを、(検察官が)自ら作文して作り上げて書いたもののことだ。本当は聞き出していないことも含まれているかもしれない。言っているニュアンスが異なっているかもしれない。が、そんなことはお構いなしに、検察官の描くストーリーに合うように調書は作成される。
検察官が聞き出しているのに、検面調書は、1人称で、まるで被疑者本人が自分で書いたかのような体裁になっている。どういう質問にどう答えたのかというような経過は全く現れない。部分的にそのようにわざと作ることもあるが、たいがいが、「独白」調である。
だからこそ、どういう取調状況であったのかを、「最初から最後まで」録音や録画をして、記録にとどめておくこと(可視化)が求められている。この、取調の「最初から最後まで」というところが重要である。検察が進めてきている最後の段階だけの録画は全く意味がない。それどころか、害悪でさえある。
もし、検察庁が、本気で「調書至上主義」を何とかしたいと思っていたとしたら、取調の最後に調書を読んで署名・押印するところだけの録画を進めようとすることとは矛盾する。
だって、それは、調書を今後も裁判での重要な証拠とする(証拠としたい)、ということの表れですからね。
「自白は証拠の女王である」 問題は、ここから脱却するかどうかなんだけど。
子どもの頃は、毎朝のように田んぼや道路の端には霜柱ができていた。
京都に出てきてから、あんまり出会わなかった(ような気がする)。
今朝、いつものようにさくら(我が家の愛犬、黒ラブ)の散歩に近くの小山に行くと、霜柱ができていた。久しぶりにあのざくざく感を味わった。童心に戻った感じがする。
まぁ、散歩コースでは、時々霜柱はできていたので、ほんとはそんな久しぶりではないんだけど、懐かしい感じが久しぶりに思えた。
今朝の気温を見てみると、午前6時頃の京都市内が-2度となっていた。結構寒かったんだ。
それでも、花粉は飛び出している。マスクが手放せない嫌な季節になってきた。
わんこの散歩でよく行く小山(丘?)も、ならがれや食い虫にやられ茶色くなった松が目立っていた。結構立派な木も枯れてしまっていた。
新燃岳の規制区域に観光客らが侵入するケースが後を絶たないとの報道がされている。
問題となっている場所が市道なので、何か問題があると、市側に管理責任も生じかねない。しかし、危険だからと侵入防止の標示等をして危険回避を呼びかけているのに、そこで何らかの被害(土石流に巻き込まれたり、噴石の直撃を食らうなど)があった場合にまで、侵入を食い止めなかったとして、何らかの責任が国や地方自治体に生じるのだろうか。
火山活動によるようなケースは、見た限り見つけられなかったが、台風などの異常気象時の道路設置管理の瑕疵が問題となったケースは、少数ながらあるようだ。
一般的な基準としては、「当該道路の構造、場所的環境、利用状況等の具体的、個別的状況に応じ、通常予測可能な危険に対する安全措置が講じられていない場合」には、瑕疵が認められることになるといえる。ただ、この基準では、なんかいろいろ検討して危ないなぁと一般的に思えるのに何も対処しなかったら責任あるよ、といっているくらいで、具体的なケースに当てはめてすぐに答えが出てくるというようなものでもなさそうだ。
危険を承知で、危険な場所にあえて近づき、危険が現実化したら、常識的には、「自業自得」、他人の責任を問題にはできないですよ、ということにはなりそうである。
最近、スキー場でも、禁止区域に侵入して「要救助」という状態になった場合、自費でしか救助しません、と表示されているゲレンデもある。さもありなん、というところだが、この発想を山登りなどの場面に安易に持ち込んで欲しくはない。
いずれにせよ、万が一のことが生じた場合、救助に向かった人が巻き込まれるなど、二次被害も生じる危険があるのだから、危険区域への侵入は控えた方がいい。自己責任、という話だけでは済まないこともありうるのですから。