1. 2014年9月

2014年9月アーカイブ

法廷ものを題材にするドラマも結構ある。 司法関係者が主人公になる場合、どうしても主人公の役割に光が当てられて、その他の役割はなんか悪役っぽく描かれることもこれはやむを得ない。

 ただ、それはいいとして、基本的な視点を疑ってしまうようなシーンが目に付くと、ちょっと待ってよ、という感じになる。 フェースブックなどで、このドラマを批判していた同業者の人もいて、同じように感じてたんだ、確かにそうだな、と思うこともいっぱいあった。
 最終2話は、いわゆる「えん罪」を1つのテーマにしていた。 それ(えん罪)を罰してしまったかもしれない、という元検事がえん罪を作り出してしまったことを悔やみ、検察官をやめる、というか、司法の世界から足を洗った、という設定である。
 えん罪というものは、普通、間違った逮捕から始まり、(国際的には異常に長期の)勾留期間での取調をへて、典型的には、真犯人と見誤り起訴してしまう、それを裁判所も見抜けないまま、有罪判決が出てしまう、という構造となる。
 有罪判決が確定するまでは、「無罪推定」といって、目の前の被疑者・被告人が無罪かもしれない(少なくともその可能性がある)ということを前提としてそれぞれの手続等は進められなければならないはずである。
 ところが、HEROの1シーン これから取調を始めます、という時期の検察官と検察事務官とのやりとりの中で 目の前の被疑者をとらえて 「こいつは被疑者」 と扱われていた。 えん罪を作り出したことを悔やんで、司法界から足を洗ったという人を取り扱っている同じ話の中で、間違った逮捕かもしれない(少なくともその可能性のある)、という段階ですでに「こいつ」扱いである。
 個人的には、感覚的に、有罪が確定しても「こいつ」とはいいたくないが、それはともかく、このドラマの中では、えん罪者と被疑者が完全に切り離されている、としか考えられない。 被疑者の中には、一定数はやってもいない人(えん罪)が含まれている。 たまたま後にえん罪が明らかになった人でも、以前は皆「被疑者」だったのである。
 ドラマの中では、えん罪を作り出した「反省」は全くないというしかない。
 ドラマだから、面白おかしく描ければそれでいいのかもしれない。 しかし、「被疑者」=「有罪」という思い込み(逮捕されたら一件落着、というような報道を含めて)をこれ以上助長させないことを願う。 ましてやそれを「正義」とはいってほしくない。 
 思い悩んで、司法界を去ることを余儀なくされるほど重大な問題なのだから。

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