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福山弁護士の「飲み法題」


  

     「愛国心」教育は世界の常識?非常識?

教育基本法改正法案

 今、教育基本法の改正法案が国会で議論されています。最大の論点は「愛国心」教育を 法律で決めるかどうかです。与党案も民主党案も、「愛国心」を前文で書くか本文で書く か、国を愛する「態度」と表現するか、「心」と表現するか等の若干の違いはありますが、 「愛国心」を教育基本法で定めるべきという点では共通しています。 外国では愛国心を法律で定めるのは当たり前か?  教育基本法の改正を主張する人たちは、海外では「愛国心」教育は当たり前で、それが できないのはおかしいと主張しています。   しかし、実は、「愛国心」教育を法律で定めている国は、世界的に極めて少数派です。 小泉首相の大好きなアメリカにはそもそも国レベルの教育基本法は存在しませんし、各州 には州の教育法がありますが、それは教育行政の仕組み等についての実務的な法律で、愛 国心についての規定は存在しません。また、イギリスやドイツにも教育基本法自体が存在 しません。  フランスやロシア、韓国等、教育基本法の存在する国でも、そこでは人格の発達や教育 の機会均等などの教育の普遍的理念を定めているのが一般的です。愛国心の育成といった 国家主義的な教育目標を掲げる国は、中国などごく一部の国を除いてほとんど存在しませ ん。このことは、国の中央教育審議会で配布された「各国における『教育基本法』に相当 する法律について」と題する資料からも明らかです。その意味で、「愛国心」を教育基本 法で定めるのが世界的に当たり前などとは到底言えないわけです。

愛国心教育は野暮

 「愛国心」が何を意味するかは実は余り明確ではありません。時の政府と無関係の「愛 郷心」だという人もいれば、政治体制としての国家に対する「忠誠心」だという人もいま す。いずれにしても、「愛する」という内心の感情を法律で決めるのは、思想良心の自由 (憲法19条)に反するのではないでしょうか。また、人の内心それ自体は誰にも分から ないわけですから(場合によっては本人にも)、必然的に「愛」は行動や態度で判断する しかありません。政府の説明によると、思想は内心にとどまる限りは、絶対的に保障され るが、ひとたび外部に表現されると一定の制約に服すると言われています。そうすると愛 国心を法律で定めることは、愛してもいないのに愛しているかのように振る舞わなければ ならないことになり、結局、内心を法律で決められるのと余り違わないことになってしま います。  また愛すればこそ苦言を呈するということもあるわけで、そうなると「愛」を行動で推 し量ることも簡単ではありません。そもそも「愛」は他人からとやかく言われて生まれる ものではありません。それをどうこう言うのは野暮というものでしょう。 弁護士 福 山 和 人  



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