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長時間労働の放置について安全配慮義務違反による慰謝料請求を認めた判決
教員超勤事件高裁判決〜その3
5 控訴審判決の意義
控訴審では、かかる判断が維持されるのか覆されるのかが問われた。
大阪高裁は、超過勤務手当の請求については1審同様否定したが、安全配
慮義務違反に基づく慰謝料請求については、超過勤務が月96時間の原告、
92時間の原告の2人を追加して、合計3人の原告について慰謝料請求を認
める判決を言い渡した(この3人は超過勤務時間の上位3人である)。いわ
ば一歩から三歩へ前進したのである。
常態化した超過勤務について認識予見できたのに必要な措置を講じなかっ
たという点では他の6人の原告も同様なのに、なぜ全員の請求を認めないの
か、高裁判決は全く言及していない。
高裁判決は1審の月100時間超から月90時間超に救済の基準を下げた
かにも見えるが、月91時間で請求棄却された原告もいるから、そういうわ
けでもなさそうである。高裁判決によっても死ぬほど働かないと慰謝料は認
められないことにかわりはない。また給特法の要件を充たさない違法な超過
勤務を強いられたとの主張を斥けた点にも課題が残る。
そうした様々な問題はありつつも、健康被害が具体的に現実化していない
下でも超過勤務を放置すれば安全配慮義務違反による責任を負うという判断
を高裁でも再び勝ち取ったこと、しかも原判決で安全配慮義務違反が認めら
れた1人の原告も含めて義務違反は一切なかったという被告の主張を斥けて、
救済の範囲を1人から3人に前進させたことには大きな意義があると思う。
6 判決が示していること
1審2審を通じて判決が言っているのは、要するに長時間労働を放置する
こと自体が違法ということである。このことは何も教員に限った話ではなく、
官民問わずあらゆる労働者に当てはまることだ。
これまで、安全配慮義務違反は、過労死や過労自殺をはじめとする労災事
案においては認められてきたが、それはいわば「命の代償としての法理」で
あって、「命の予防の法理」としては必ずしも機能していなかった。
本判決は安全配慮義務の射程範囲を拡大し、全ての労働者にとっての「命
の予防の法理」として機能させることに展望を開いたものである。「カロー
シ」という用語が国際的に通用する日本の労働実態を変え、過労死過労自殺
をなくしていくための大きな武器にできる判決といえよう。
この裁判は、形式上は超過勤務手当や損害賠償を求める形をとった。しか
し、原告らが本当に求めていたのは、子どもたちとゆっくり触れあう時間を
保障してほしいということだった。その意味でこの裁判が問うていたのは教
員の権利問題であるのみならず、優れて教育問題であったということができ
る。
実は高裁で慰謝料請求が認容された原告の勤務校に、来年、私の長女が入
学する。我が子が入学するまでに学校現場の状況を変えたいという思いで始
めた裁判である。
今後、闘いの舞台は最高裁に移るが、教員が生き生きと仕事ができ、全て
の子どもたちが伸び伸びと成長していけるような教育環境を保障できるよう
に三歩から四歩、五歩と前進を続けたい。
(マスコミ9条の会のご了解を得て同会HPより転載させていただきました)
弁護士 福 山 和 人
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