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空飛ぶ弁護士のフライト日誌─DAY12:春は,りくそう。
機長:古川美和
春ですね!寒さはまだまだ残っていても,空の霞み具合や陽のゆるみに春を感じると, それでなくても旅に出たくなるものですが,私にとっては特に,春といえば遠出の季節。 日本,特に本州では春先が一番グライダーにとって好条件なので,いろんな大会が重な るんですね。3月上旬に日本学生グライダー選手権,いわゆる全国大会があって,続いて 七帝戦(北海道・東北・東京・名古屋・京都・大阪・九州の7つの旧帝国大学の対抗戦), Ka−8コンペ(Ka−8という4,50年前に設計された機種だけで競われる,実にの んびりした競技会),そして締めくくりは宿敵名古屋大学との対抗戦=名阪戦と,全国大 会強化合宿も含めると,2月20日ころから4月15日ころまで,ほとんど丸々2ヶ月間 続くのである。しかも全て,板倉(いたくら・群馬県の渡良瀬川河川敷),妻沼(めぬ ま・埼玉県の利根川河川敷),関宿(せきやど・千葉県の利根川河川敷)等,関東で行わ れるんですね。つまり2ヶ月関東をうろうろするわけ。 機体はといえば,板倉→妻沼なんかは直線距離で20Kmちょっとだから,空輸,つま り空を飛ばして移動しちゃうんだけど,妻沼→関宿,関宿→妻沼,それからもちろん大阪 と関東との間は,バラして(分解して)トラックで運ぶ,いわゆる「陸送(りくそう)」 です。 この陸送が,めちゃくちゃ楽しいんだな。機体を運搬するトラック,略して機トラ(き とら,古墳みたいですが)と,そのすぐ後ろについて機トラに異常がないか確認したり, 機トラの走行を助けたりする伴走車,機材や人を運ぶ機材車数台と,「トラック野郎ご一 行様」という感じでみんなでわーっと行く。高速道路の途中,サービスエリア=SAごとに 止まって機体の係留に異常がないか確認したり,ドライバーを交代したりするんですよね。 ああ,名神・東名高速を何十回往復したことか…。大津・多賀・養老・上条・浜名湖・富 士川・足柄・海老名・関越道に入って佐野…今でも目を閉じると上条のカレーや海老名の ドーナツや雪の足柄(この話はまたの機会に),各SAの名物や風景がまざまざと目に浮か びます。 特に一番最後,名阪戦を終えて帰るときなんて無茶苦茶ハイテンション。2ヶ月間,2 2時消灯6時起床,よくても23時消灯7時起床の集団生活だったわけですよ,SAの雰囲 気だけで「シャバだぜ,おい!」とゾクゾクするような高揚感。それでまた,関東には大 学で所有している3機か4機のグライダーを全部持って行くんですが,機トラには最大2 機のグライダーしか積めないんですよね。そこでどうするか。往復するわけですよ,2回。 人はこれをW陸送=「W陸(ダブリク)」と呼びます。 例えば,ある年のスケジュールをご紹介しましょう。4月14日の金曜日に名阪戦が終 わり,昼ごろに表彰式とか閉会式とか終わる。それから順次ご飯を食べながら急いで機体 をバラしたり機材を積み込んだり,そりゃもう,怒濤のように撤収します。早くて16時, 遅ければ18〜19時くらいに,体は疲れているけど目はギンギンの状態で妻沼を出発。 足柄にはお風呂と仮眠施設があるので,その日のうちに何とか足柄SAまで行っちゃおう と,23時とか24時くらい。それで車の中でぐーぐー寝て(お風呂とか仮眠施設はお金 がかかるので,合宿費でお金を使い果たした哀れな貧乏学生にはそんな余力はありません。 お風呂はともかく仮眠施設で寝るなんていう贅沢者は20人強の部員のうち1人か2人く らいなのです,うっうっ。),翌朝6時前に起きて朝焼けの中を出発,ナビ=ナビゲータ ー(助手席に座っている人。その任務は,道案内と,ドライバーを絶対に寝させないこと であり,巧みな話術が求められる。だがしかし実際は,ナビが寝てしまうこともあり, 「使えないナビ」となじられる。)にガムなどをもらいながら何とか眠気をしのいで大阪 へひたすら走る。 15日土曜日の昼過ぎ,ようやく大阪に着いたー!と思うと,何とその日は新入生への クラブ勧誘の日なんですね(わかっていたけど)。持って帰ってきた機体のうち一番かっ こいい機体1機を急いで中庭に運んで組み立てて,機体展示。「見てってくださいよ〜」 と新入生を誘う航空部員たちの目が心なしか淀んでいるのは気のせいではありません。そ して,そこで部員は二手に分かれて,部の認定ドライバー資格を持たない人を中心とした 部員は機体展示の撤収のため後に残り,ドライバーたちはもう一度出発するんですよね, 妻沼に。 さっき来た道をたどり,夜遅く,再び足柄SAに到着。車中泊して,翌16日の日曜日 朝に足柄を出発,10時ころ妻沼に着いたら残っているグライダーを急いで分解し,機ト ラに積み込みます。もう,なんか朦朧としているんだけど,機体は落としちゃいけないし, 慎重に。で,昼過ぎに妻沼を出発して,関越道とか環八とか走って,東名に入ります。で もこの下道が混んでるんだなー,日曜日の夕方で。渋滞なんかすると泣きたくというか, 眠りたくなるんだなー。そこを何とかクリアして,東名に入ると,今度は足柄までとは言 わず,行けるところまで行っちゃおう,という感じで走ります。だって翌朝は月曜日で, 授業があるから。ううう。 浜名湖とか上条とかで「もう限界」,となり,また車の中で少し寝ます。お風呂入りた いなどと言ってる場合ではありません。そして翌17日月曜日早朝,そうだなー,5時く らいだったかな,起きて走り出すわけですね。ここまで来るとドライバーはみんな「車を 走らせるマシーン」みたいになってます。そして9時過ぎに,大学に生還。まさに「生還 した〜」という感じです。太陽が緑色に見えます。途中で電話して集合をかけたW陸不参 加の部員を中心に(ドライバーはぐったりしているから),持ち帰った機体を積み下ろし て格納庫にしまい,「家に帰るまでが合宿です。お疲れ様でした。したっ!」と最後のミ ーティングをしたら,ようやく長い長い遠征生活の終了。 今から思うと「よくやってたよなあ」と思う春の遠征&陸送ですが,当時は何とかなっ てたんですよね,若いから。みんなで行くのが楽しかったし,途中で他の大学の一行と合 流したり,そのときは機トラの窓からナビがお尻を出し合ったり(法律家になった今にな って考えると,あれは「公然わいせつ」ですね),このままみんなで,どこまでもどこま でも,日本中走って行けそうな気がした。世界へだって,飛び出して行けそうだった。そ のときの微熱みたいなものが今でも体に残っていて,春になると,「遠くへ,もっと遠く へ!」ってうずくんですね。 今年の春は,久しぶりにどこかへ行きたいな。小さな子どもも一緒だから,あのころの ような無茶はできないけれど。 弁護士 古 川 美 和
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