空飛ぶ弁護士のフライト日誌 京都法律事務所
  1. >
空飛ぶ弁護士のフライト日誌

空飛ぶ弁護士のフライト日誌ログ─DAY20:日々是BOX 

                                 機長:古川美和  先週末、高松で後輩の結婚式があった。私が4回生のときの1回生だった男の子(後輩 はみんな「子」というキブンになってしまう)が結婚したのである。久し振りに見る後輩 たちは,数年間の社会人経験を経て「それなり」の顔つきをしていたけれど,その奥に, ちっとも変わらない油まみれ,泥まみれの幼い顔が見える。集まれば一瞬にして,あのこ ろの空気がかえってくる。空の仲間ってやっぱりいいなあと思う。  さて,新郎の同期が作成したスライドショーを見ていたら,懐かしいクラブBOXの写 真があった。そのとたん,私の耳には,あの明道館の夜明けのラッパの音が聞こえてきた。  明道館(めいどうかん)。某O大学の部室,クラブBOXが集う前時代の建物。壁全面 に,「産学共同体制粉砕!」といったペンキ文字が大書されている。正面向かって右側入 口付近の壁にすべてが─コンクリートの壁も床も鏡もかつては白かった便器も─灰色のト イレがあり,トイレのすぐ左手奥のドアが「航空部/自動車部」の部室である。グライダ ーやレーシングカーの絵が陣取り合戦のように貼り付けられた汚いドアを開けると,マン ガがぎっしり並べられた戸棚が部屋の真ん中に仕切り板のように置かれており,右半分が 自動車部,左半分が航空部になっている。  自動車部(通称「シャブ」)に比してわれらが航空部部室の優れた点は,何と言っても 「畳の床がある!」。もともとは壁も床も天井もむき出しのコンクリートに囲まれた箱状 の部屋なのだが,過去の偉大な先輩方が,部屋の真ん中と玄関に当たる入口部分を除いて, どこから集めてきたのか空のビールケースを床に敷き詰めた。その上に,これまたどこか らともなく運び込まれた畳を敷き詰め,真ん中の空いた四角い部分にコタツ机を置けば, あらあら,掘り炬燵のある素敵な居間のできあがり!  玄関側の端には,もちろんテレビも置いてあり,ファミコン,スーパーファミコン,当 時で言えばセガサターン・プレイステーションなどのゲーム機及びゲームソフトが多数完 備されている。湯沸かしポットもありますので,お茶も飲めます。畳があれば,当然のこ とながら布団も欲しい。  こうして,虫やブラックホール(みかんの皮やカップラーメンの蓋,割り箸,吸い殻, 様々な動物の死骸などあらゆるものを吸い込む畳の穴),何かに(恐らくダニ)刺された 跡やかゆみや,雑多なものの複合臭などなど・・・さえ気にしなければ,快適な住環境が できあがる。  こうなれば,当然予想されるのはBOXの「住人」の出現である。滋賀県から2時間か けて通学している先輩などは,夜ドアを開けると大抵「いた」。夜明けの3時,4時とい った時間でも,BOXから誰もいなくなるといったことはあまりなかった。  かく言う私も,ご多分にもれず幾夜もBOXのお世話になった。女の子は危ないから帰 りなさい,と言われることも(最初のうちは)あったが,当時の私にはそんなの関係ね え!である。BOXが,大好きだった。  壁にはグライダーのカレンダー,天井からぶらさがっている模型グライダー,黒板には 下級生向けの学科の跡で翼型の断面図が残り,数々の大会の賞状やトロフィー,積み上げ られたアルバムには代々の航空部員たちの汗と涙と夢が眠っている。  なかば前衛芸術と化した「なんでも帳(通称「でもちょう」)という雑記帳には,部長 の似顔絵や部内の勢力図,ときにはポエム,ぱらぱらマンガやグラビアアイドルの切り抜 きが。  4人集まると,「打ちますか」と始まる麻雀の音。「チー!」「啼きますか,啼かれま すか」「そう来ましたか,・・そう来られたらこう来なしゃあないわなあ」延々続く意味 のない会話。  「ピコーン!キュルルル・・」傍らで始まる「マリオカート」の対戦。寝ころんで「ス ピリッツ」を読む先輩。隣の部屋からは「ダートがどうした」「サス(ペンション)がこ うした」と言う会話。夜も更けて,だいぶ静かになった明道館に響き渡る軽音ジャズサー クルの一員と思しきサックスやピアノの音・・  夜8時には商店街がほとんど真っ暗になるような,一番近いコンビニまで車で8分かか るような,田舎の町から出てきた私にとって,この光景は衝撃だった。そこには確かに, 自由の空気が,新しい世界の臭いがあった。  両親は,私が夜中に電話をかけても帰っておらず,「BOXにいたの」と話すことに心 配して,田舎から何度か偵察に来た。案内した明道館は,23時過ぎにもかかわらず多数 の学生が出入りし,バンドの練習をしていた。この「眠らない」大学の様子に心底驚いて いる両親の姿を見て,「ああ,遠くに来たんだな。両親の世界と,私の世界は隔たってし まったんだな。」と,寂しいような,放たれたような感慨を,しみじみ感じたことを覚え ている。    今から思えば,無責任で気楽な学生時代。でもそれなりに,小さな世界なりに,切実な 苦悩があり,喜びがあり,広がりがあった。私にとってクラブBOXは,あのころの開放 感,万能感を呼び起こしてくれる象徴的な存在なのである。                            弁護士 古 川 美 和 







<トップページへ>