空飛ぶ弁護士のフライト日誌
空飛ぶ弁護士のフライト日誌
─ DAY36:もしも時間を巻き戻せるなら〜その1
機長:古川美和
皆さんは、もしも時間を巻き戻せて、もう1回その時点から人生を始め
られるとしたら、どの時点を思い浮かべるだろうか。
大学入試のあの問題を解いているとき?就職試験のあの面接?それとも
結婚相手を決めたとき・・・?というのはブラックだけど、私の場合は、
大学4回生の3月、全国大会での「あの」フライトだ。
大会5日目のその日、私は朝からおかしかった。それはたぶん、その前
日に受けた衝撃というか、動揺が影響していたのだと思う。
私たちの全国大会は気象条件に恵まれ、2日目、3日目と周回デー、つ
まり出された三角タスクをぐるっと回ってくる機体が出る日になった。そ
のせいというか、4日目はいよいよ、今まで全国大会であまり出ることの
なかった、1周41kmのロングタスクが出たのだ。それで皆は色めきた
った。無理する機体が何機か出た。
午前中、まだ私の発航順が回ってくる前に、ピストには場外着陸した機
体の情報が入ってきた。どうやら近くの館林飛行場に降りたらしいが、そ
こは飛行場だから、機体には特に問題はない。
半ば安心し、ざわつく妻沼滑空場で、誰かが「低い、低い、低い!!!」
と叫んだ。見ると、ランウェイに向かって北側の利根川の向こう岸土手の
わずか上の方に、ランウェイに必死に戻ろうとするグライダーがあった。
低高度のため、グライダーは異様に大きく見える。しかし、低すぎる!
川を超えられないと判断したグライダーは、土手の上すれすれの高度でU
ターンをし、そのまま土手の後ろに消えていった。不時着だ!!
土手の向こうは、田んぼか畑か、いずれにせよ正規の滑空場でも広い土
地でもないから、グライダー、下手したらパイロットも無事で済まされな
い。
ランウェイは大騒ぎになった。もう競技どころではない。その日の競技
は中止になった。好条件の日だったが、仕方がない。
私は間近で見た不時着に動揺していた。あんなに間近で、つまり大きく、
異常な体勢にあるグライダーを見たのは初めてだった。
でも、それ以上に私が何というか、ダメージを受けたのは、その後の皆
の対応だった。利根川を渡らないと行けないので遠回りはなるが、墜ちた
のはすぐ目の前である。墜ちた大学のクルーだけでなく、他大学の選手・
クルーも含め、機体の回収を手伝いに行こうとしていた。それが、私の目
には、「野次馬」に映った。
実を言えば、グライダーの不時着は、「事故」ではない。航空機は航空
法上、定められた飛行場にしか着陸できないため、飛行場以外に着陸する
と「事故」扱いになる。事故として、航空局に届出もしないといけない。
しかし、グライダー、つまり滑空機は、その対象となる航空機には当た
らない。つまり、飛行場や滑空場以外に着陸した場合、着陸の際に畑を荒
らしたり索や杭を倒したりすれば民事上の損害賠償の話にはなるとしても、
「事故」ではないのだ。
私は当時、グライダーのそういう性質を理解してもらうためには、もち
ろん不時着しないに越したことはないが、不時着してしまった場合でも、
「珍客が来た」という程度に受けとめてもらえるよう、大騒ぎすべきでな
いと考えていた。速やかに回収して、損害があったなら謝罪なり弁償なり
すべきとしても、必要以上の大多数が押し掛けて大騒ぎして、かえってそ
のことで土地の所有者に迷惑を掛けるようなことは、グライダーを愛する
者ならなおのこと、厳に慎むべきなのだ。
それが、グライダーを愛しているはずの全国大会出場者らが、物見高く
大挙して事故現場に必要以上に押し掛けようとしている・・・・そう受け
とめた私は、そのこと自体にやるせない憤りを感じた。
もちろん、今冷静に考えれば、まあそこまでのことでもなく、皆善意で
手伝いに行こうとしていたんだろうな、私も何であそこまで1人で怒って
たんだろう、と思う。
でもそのときの私は、真剣に怒り、近しい人には行かないように制止も
し、でも押さえきれない憤りと絶望(と言うと大げさだけど)で胸の内は
荒れ狂っていた。
その日、大会4日目は、結局3機も不時着機が出てしまい、それまで得
点していた機体も含めてノーコンテスト、競技不成立となった。
そして、その日に大きく気持ちを乱したことが、精神面が弱い私にとっ
て、その日以降の全国大会の結果に(たぶん)決定的な影響を及ぼしたの
だった。
(「その2」につづく)
弁護士 古 川 美 和
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