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借地借家法改悪〜正当事由の危機
弁護士 黒 澤 誠 司
借地借家法について、現在正当事由をなくす方向での議論が水面下で急速になされてい
ます。借地借家は、生活の基盤となるものであり、「住まいは人権」であるとの考え方か
らすれば到底許されるべきではありません。借地借家法が改悪されれば住まいの面でも、
より一層二極化が進行することになります。そこで今回は、借地借家法の歴史を振り返り
、現在の改悪の動きについて触れたいと思います。
1.借家法の制定
・1896(明治29)年 民法制定
しかし、借地借家人の権利が非常に弱いということが問題に。
・1909(明治42)年 建物保護法
明治42年(日露戦争後)に建物保護法ができた(対抗要件について規定)。
・1921(大正10)年(第一次大戦後)旧借地法・旧借家法が制定。
第一次大戦後の1921(大正10)年 旧借家法が制定され、社会政策として弱
者たる賃借人を保護するとの法制度が成立した。この借家法は借地法に比べて、賃貸
借契約解約の際の正当理由が必要とされていないなど、借主保護が不徹底であった
(借地法の添え物的なもの)が、借家権に対する対抗力の付与や借家人からの造作買い
取り請求権などが定められた。
その後の、社会の変化に伴って農村部から人々が都会に流入し、借家人は増加して
家賃は上昇する一方だった。そのため、都市部においては折からの米騒動、労働争議、
小作争議に相呼応する形で借地借家争議が噴出することとなった。
2.借家法の改正〜正当事由制の成立
・1939(昭和14)年 地代家賃統制令公布
1938(昭和13)年には、満州事変から支那事変へと戦時体制が進展するに伴
い、都市への急激な人口の集中により、住宅需要が急増したにもかかわらず、物資統
制の結果、深刻な住宅難が生じた。戦時経済を遂行する上で家賃の高騰を抑制する必
要があった。同年国家総動員法が成立し、翌年に地代家賃統制令が公布されて家賃や
地代を上げることができなくなった。家主側がこれに不満だったことは言うまでもな
い。
これに対して、家主側では、家賃の脱法的な値上げを行うために、借家契約の更新
を拒否して一旦借家契約を終了させ、同じ賃借人と新規契約を結び直すことにより、
礼金などの名目で実質的な家賃の一部前払いを受けるなどの違法行為が横行するよう
になった。
*地代家賃統制令はその後、昭和25年の改正において、昭和25年7月10日以
前に建築に着手した住宅及びその敷地のみが統制令の適用があるものとされた。19
86(昭和61)年暮れに地代家賃統制令は廃止されるに至った。
・1941(昭和16)年(第二次大戦中)借家法を改正し、借家契約の更新拒絶には、
正当事由が必要とされるようになった。
脱法的な値上げを防止するために借家法を改正し、借家契約更新拒絶には、「正当
事由」があることを必要とすることとなった。
この法改正により、いかに期間を定めて借家契約を締結したとしても、正当事由が
ない限り更新を拒絶することはできず、一旦貸した借家の明け渡しを求めることはで
きないこととなった。
問題はどのような場合に「正当事由」が認められるかであり、時代の変遷とともに
正当事由の解釈は変わっていった。。
3.正当事由の解釈の変遷
(1)戦前(制定当初)
当時は地代家賃統制令の脱法行為を封じ、借家契約終了による実質的家賃の増額を
めざす家主の恣意的な行為を抑える目的であり、直接的に借家人保護を目的としたも
のではなかった。家主が自ら使用する必要性がある場合には、借家人の事情にかかわ
らず、当然に正当事由がある。
【大判昭和18年2月12日】
自己の営業を拡張するために、飲食店を営む借家人のある家屋を買い受けた新家主
の解約申し入れにつき、「建物の賃貸人が自ら使用する必要ありて解約の申し入れを
なす場合において、借家法第1条の2にいわゆる正当の事由ありとなすには、必ずし
も賃貸人の利益が賃借人の利益より大なることを要するものにあらず」と判示してい
る。
(2)昭和20年代
戦災の焼失による著しい住宅難の時代になると家主の家賃統制の脱法行為を防止す
るという目的を達成するだけで、借家人が住居を奪われることを認めると重大な社会
問題を生じさせるおそれがあった。そこで、家主と借家人の双方の諸事情を比較考慮
して正当事由の判断がされるようになった。つまり、家主の自己使用の必要性は、そ
れだけで独立して解約申し入れ・更新拒絶を正当化するものとは考えられなくなった。
【最判昭和29年1月22日】
「借家法第1条の2にいわゆる正当の事由とは、賃貸借当事者双方の利害関係その
他諸般の事情を考慮し、社会通念に照らし妥当と認むべき理由を言うのであって、所
論のように賃貸人が自ら使用することを必要とするとの一事を以て、直ちに右正当の
事由に該当するものと解することはできない。」と判示している。
(3)昭和30年代
立ち退き料に関する裁判が増え、賃借人保護が強調されるようになった。
(4)昭和40年代
立ち退き料の提供が正当事由を肯定する上で当然のこととされるようになった。
(5)昭和60年代
立ち退き料等の名目の金銭を支払えば解約の「正当事由」として斟酌されるようにな
ったが経済の高度成長とともに立ち退き料は高額化していった。バブル期は高額な立ち
退き料を支払っても再開発で十分に利益が得られたから問題にされなかった。
【東京地判昭和61年5月28日】
老朽ビルの取り壊し新築に際して3億4000万円の立ち退き料を認めた。既払い
家賃の数十倍、数百倍に相当するような立ち退き料が算定される状況。
(6)バブル崩壊〜正当事由見直しの動き
バブル崩壊の前後から「正当事由」がない限り解約を拒否できないという制限を見直
そうという議論が高まってきた。
ex 1980年7月 住宅宅地審議会から借地・借家法の全面見直しの答申。
根拠:借地・借家人の権利を必要以上に保護している面を是正し、土地の賃借権の
流動化を図るべき。一度貸したら戻ってこない不安がある。また、自己使用
や立て替えなどの必要が生じた場合に、多額の立ち退き料を要求される。住
宅供給に躊躇するような例がある。良質な持ち家ストックの円滑な流動化や
良質な賃貸不動産への投資意欲を阻害している。
4.借地借家法における正当事由の削除の動き
(1)1991(平成3)年 借地借家法が制定。
旧借家法、旧借地法、建物保護法が廃止され、借地借家法に統一された。また、定期
借地権制度が成立することとなった。
←法務省の「借地法・借家法改正要綱試案」では、正当事由について、「居住の用に
供することを目的としない建物賃貸借については、正当事由がなくとも、解約申し入れ
等をすることができ、賃貸借が終了したとき、借家人が家主に対し、明け渡しの補償を
要求することができる」との案が出されたが、反対意見が強く、結局正当事由について
は、これまでの裁判例の取り扱いを条文化するにとどまり、実質的な変更はなされなか
った(借地借家法28条)。
*期限付建物賃貸借の新設:賃貸人の不在期間の建物賃貸借(38条)、取り壊し予定
の建物の賃貸借(39条)が設けられた。
平成8年、経済審議会行動計画委員会の報告書で、正当事由が借家の供給不足等のゆ
がみをもたらしている。潜在的な需要者たる借家人のためにも定期借家権制度の創設が
必要。
(2)1999(平成11)年、借地借家法の一部改正を含む「良質な賃貸住宅等の供給
の促進に関する特別措置法」が成立。
・定期借地制度に対応する形で定期借家制度が導入された。
【推進派の主張】
@正当事由によって借家契約の解約が制限され、かつ、継続賃料が市場賃料より抑制
されることの相乗効果として、借家市場の供給抑制に伴う膨大な社会的損失が発生し
ている。
A定期借家権の導入により、広く豊富な借家を安価に流通させることになり、住宅の
受給緩和を通じて住宅弱者そのものが救済される。
5.正当事由最大の危機
(1)2006年6月20日 経団連 「2006年度日本経団連規制改革要望」
・正当事由制度の見直し
建物賃貸借契約における正当事由制度を廃止すべきである。仮に正当事由制度を存続
させる場合においても、立ち退き料の上限を設定すべきである。
理由:更新拒絶に関して裁判所が高額な立ち退き料を認定していることから建物の建
て替えの障害となり、都市の防災上好ましくない。不動産の流通かが進んでいる中で迅
速な明け渡しが可能となる。正当事由制度は、住宅不足が懸念されている時代に制定さ
れたのであり、借家が過剰となっている現在においては社会的使命を終えた。立ち退き
料が高額なことから立ち退き料目的の不正業者の介在を助長している。
←正当事由は経済的弱者である賃借人の居住する権利を守る重要な役割を果たしてい
る。立ち退きが横行することになる。立ち退き料の上限についても家賃の3ヶ月分とい
う提案であり、引っ越し費用にも満たない金額が示されている。低額の立ち退き料さえ
払えば、借家契約を解消できることになり、借家人の生活権、居住権は全く保護されな
くなる。
(2)定期借家制度の見直し
@普通賃貸借契約を当事者の合意で定期借家制度を適用する。
←合意があれば定期借家への切り替えを認めよというものであるが、当事者の合意と
いっても、賃貸人と借家人の間には歴然とした力の差があるので、真に自由な合意が保
障されることはない。そもそも定期借家に切り替えるメリットはない。
A定期借家契約に際し、書面による説明義務を廃止する。
←十分な説明のないまま定期借家の契約を締結すれば借家人に不測の損害を与える。
説明に要する手間はわずかである。
B200平方メートル以下の居住用建物の定期借家契約でも中途解約権を見直す。
←現在でも中途解約権が確保されているのは床面積200平方メートル未満の小規模
居住用であり、解約事由も転勤、療養、親族の介護などやむを得ない事由に限定されて
いる。これも認めないということになると、転勤、療養等のやむを得ない事由により転
居した場合でも期間満了までの賃料を払わされることになる。その間、他に賃借するこ
とができるのであるから、賃料の二重取りを認めることになる。