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ぼやかなしゃあない日野町事件
1 はじめに
2006年3月27日、大津地方裁判所は、阪原弘さんの再審請求を棄却しました。
日野町事件とは、1984年12月に滋賀県蒲生郡日野町(当時)で発生した強盗殺人
事件です。酒屋の女主人が、12月28日の晩から姿を消し、翌年1月18日に死体とな
って発見さました。
3年あまり、犯人の決め手もなく、迷宮入り寸前か、という段になって、突如阪原さん
が警察に呼び出され、警察官による暴行・脅迫を受けるなど、無理やり自白させられたの
です。警察が、そのとき、阪原さんを犯人であると決めつけた有力な証拠は、微物鑑定
(阪原さんの服についていたゴミが犯行現場のものと似ているというもの)ですが、最終
的に1審判決では、証拠価値をほとんど否定されたような代物です。
もともと、阪原さんは、被害者の経営する酒屋に「壺入り」客として何度も出入りして
いたのですから、店の中のゴミが阪原さんの服についていたとしても何ら不思議はないも
のです。普通に考えれば、最初から、証拠としての価値など極めて低かったのです。
2 1審判決、控訴審判決
1審判決は、自白には事実認定に利用できるほどの信用性を認めることはできないとし
ながらも、情況証拠によって有罪とし、殺害の時期も場所もはっきりさせないまま、阪原
さんを犯人と決めつけました。それに対し、控訴審判決は、1審とは反対に、情況証拠だ
けでは有罪と認定できないとしたのですが、自白の根幹部分は信用できるとして、控訴を
棄却しました。
その後、最高裁で上告が棄却され、無期懲役刑が確定してしまったのです。無実の阪原
さんは、現在、尾道刑務支所で服役中です。60キロあった体重が、今や40キロを割っ
ています。
ところで、有罪との判決を言い渡すには、合理的な疑いの残らない程度の証明が必要で
す。1審では、自白はあまり信用できない(だから情況証拠で認定します)、控訴審では、
情況証拠だけでは有罪とはできない(でも自白は信用できる)、と判断しているわけです
から、有罪とした結論は同じでも、有罪とした根拠は異なっているのです。1人の人を、
犯人として、有罪の判決を言い渡すのですから、合理的な疑いが残っていることは許され
ません。2つの裁判所の有罪とした根拠について、それぞれ打ち消しあっているのですか
ら、合理的な疑いが残ると判断すべきであったのです。
3 再審請求での棄却決定の特徴
今回の棄却決定は、有罪とした判決の整理として、理由の異なる1審判決(確定判決)
と控訴審判決を、どういう理屈に基づくのか、そもそもそんなことが可能であるのかの検
討もなく、独自の観点から勝手に「総合」し、有罪とした理由は、任意性・信用性がある
自白と、4点の間接事実、さらにアリバイ主張の虚偽性であるとしました。
ところで、再審請求審の判断は、無罪推定の原則、疑わしきは被告人の利益にという刑
事司法の大原則を前提に、「確定判決等が判断の基礎とした証拠に新証拠を加えて総合評
価」しなければならないものです。確定判決の裁判所の心証を引き継いではいけないので
す。
ところが、本件決定は、建前としては、「総合評価」をすると述べていますが、個々の
論点では全くそのような形跡が見られません。もともと、有罪と判断した1審判決や控訴
審判決の証拠構造の検討は行っていないに等しく、いかに脆弱な証拠の上に成り立ってい
る判決であるのか(1審と控訴審の判断が食い違っていることだけを取り出しても、間違
っても強固な証拠に基づくものとはいえません)ということを全く検討していないのです。
判決が言い渡されれば、突如証明力が強固になるようなものではありません。三権の一角
をになう裁判所ですが、憲法は、1人(合議の場合3人)の裁判官に、そのような神のよ
うな絶大な権限を与えてはいません。人は、間違うことがあるから、再審が認められてい
るのです。脆弱な証拠は、たとえ有罪と結論づけても脆弱なままです。
もともと、阪原さんの自白には「秘密の暴露」は一切存在していませんでした。「秘密
の暴露」は、自白の信用性を強める唯一の事情です。犯人しか知らないような事柄(秘
密)を、捜査官が知らないのに供述(暴露)し、その通りに調べてみると言ったとおりの
事実が出てきた、という場合、自白の信用性は高まります。凶器はどこそこに捨てたとい
う供述に基づき、そこを捜索したらその通り凶器が発見されたというなら、その人がそこ
に捨てた可能性は相当程度高いでしょう。ところが、そのような事情は何一つありません。
すべて、捜査官が事前に知っていたことについてしか自白していないのです。そうすると、
自白の信用性判断にはより慎重な態度で臨まなくてはならないのです。これは、刑事司法
では、鉄則です。少なくとも、司法研修所ではそのように教わりました。
ところが、大津地裁は、「確かに、請求人の自白には、いわゆる秘密の暴露はまったく
含まれていない」と認めています。ところが、何の理由も述べることなく「そうであるか
らといって、直ちに自白の信用性が否定されるものではない。」とわずか5行で切り捨て
ています(しかも、そのうち3行は弁護人の主張の要約なので、実際は2行のみ)。慎重
に判断する契機ともなっていないのです。(WBCでミスジャッジを繰りかえした某審判員
よりひどい。たしかに、ボールに黄色いポールの塗料はついている、でも私には、ホーム
ランには見えなかった・・・近くの審判には離塁は早いとは見えなかった、でも私には、
早く見えた・・・ だって、そう見えないとアメリカに不利ですから・・・)
この点、弁護人は、自白と客観的な証拠とが矛盾する点を、殺害方法、殺害場所、死体
の状況、被害品の傷、指紋の付着状況など、1審、控訴審が根拠としたおおよそすべての
分野の証拠について指摘しました。
ところが、大津地裁は、個々の論点ごとに分断して新証拠に触れ、「確かに」と前置き
をして弁護人の主張を一定部分では認めるのですが、「しかし」「そうでない可能性もあ
る」「記憶がなくても不自然ではない」と推測や憶測のみで、弁護人の主張を排斥してい
るのです。
「たしかに」「しかし」「したがって」、どこかの司法試験予備校の答案のパターンを
見ているようです。司法試験受験生や法科大学院生であれば、パターンのみ真似たいい加
減な答案を書いても、その受験生が不合格になるだけですから、実害はありません。とこ
ろが、これを裁判官が行ったらどうなるでしょう。罪もない人の一生を台無しにしてしま
うかもしれないのです。
「たしかに」客観的な証拠とは矛盾しますね、「しかし」、間違ってたって3年も経っ
てからの自白だから仕方がないじゃん、きっと記憶違いだよ、うん、裁判所としては忘れ
てしまってたんだって考えることにしよう、そうすりゃ辻褄が合う「したがって」あなた
有罪。これが大津地裁の決定です。
でも、3年経ってても、有罪とするのに利用できる供述には、記憶違いがあるとは考え
ないんですよね。とても都合のいい記憶です。
今の大津地裁の刑事部の裁判官は、説明がつかない場面に陥ると「3年以上経過」して
るから記憶違いがあることもあるから不正確かもしれない、知的能力が高くないからきち
んと記憶してないこともありうる、大事なところではないから鮮明な記憶が残らなくても
不思議ではない、等々と何の証拠に基づくこともないまま、自白の信用性には影響しない
と言い切りました。証拠の評価ではなく、まさに、言い切っただけです。
さらに、客観的事実と整合しないと明らかに認めた場合でも、「自白の核心部分ではな
い」から、間違いがあっても根幹部分の信用性には影響しないとしたのです。裁判所のい
う「自白の核心部分」とは、結局「殺害した」ことのみと言ってもいいくらいで、殺害方
法でさえ、核心部分ではないようです。
以下に少しだけ、決定の判断を見てみます。
(1) 重要な殺害方法に関する争点−自白による殺害方法の破綻、死体の損傷との矛盾
普通であれば、殺害方法は重要な要素であり、核心部分であると考えます。その最も重要
なものの中で、確定判決では、犯人は手で頸部(首)を絞めたとしているのですが、その
殺害方法が誤っているのではないかということを問題として指摘しました。
その争点について、決定は「新旧証拠を総合すれば、このような方法で絞め付けても被
害者の頸部を固定できず、大した抵抗を受けずに被害者の意識を失わせることは難しいこ
と、被害者の死体には舌骨右大角部の骨折があり、右顔面にも損傷があるが、自白による
殺害態様ではこれらの骨折、損傷が生じた理由が説明し難いことが認められる。自白のう
ち、この部分については、客観的事実との矛盾がある。」として、矛盾を認めているので
す。まさに、中心的な争点で弁護人の主張を認めたのです。
「しかし」、裁判所は、裁判所が選任した鑑定人でさえ「なかなか無理があるんで」と
証言したような、極めて可能性の低い特殊な扼頸(手で首を絞める)態様を想定して、被
害者の死体の損傷とも整合すると強弁しました。それでも説明しきれない傷跡が残るので
すが、そこは、当然無視して知らんぷりです。(いいの、いいの、だって核心部分じゃな
いですから。)
決定は、扼頸態様は「自白と異なっているけれども」、犯人は首を絞めることに必死だ
ろうから直接首を絞めた方ではない左手の動きについて「鮮明な記憶が残らなくても不自
然ではない」としました。裁判所が、左手によって付けられたのではないかと思われる傷
跡については、説明できなくてもかまわないと言い切ったのです。本当は、右手でついた
とする傷も、かなり無理をした体勢をとらないと付きませんし、そのような体勢では、気
道が閉塞する程度まで首が絞まらないのですが・・・
とにかく、決定は、辻褄が合わない部分になると、自白が「3年以上経過した後にされ
たものであること」、「知的能力が必ずしも高いものではなく」「記憶力の低さが認めら
れること」から、「客観的事実と合致しない点があっても」「これらは記憶違いに基づく
ものと説明することが可能であって、これが自白の信用性に大きな影響を及ぼすものとは
評価できない」としたのです。殺害方法というもっとも重要な自白の根幹部分が記憶の問
題にすりかえられ、あいまいにされ、どうやって殺害したかよくわからなくともよいとな
ったわけです。(細かなところは・・・実は細かくはないんだけど・・・事実と違ってい
たって、「殺した」って言ったことあるよね、だから「殺した」ってことだけは信用する
よ、と言っているに等しいのです。)
そして、弁護人が示した個々の論点を7つ示し、いずれについても、まともな証拠を示
すことなく、「可能と考えられる」「不自然ではない」「可能性もある」「断定すべき根
拠はない」などと、すべて退けました。
『疑わしきは被告人の利益に』という大原則の立場からは、有罪とするには、単なる可
能性ではだめなのです。裁判所の示したのとは「逆」の可能性は何ら排除できていないの
です。
(2) 被害金庫の保管場所、使用状況と動機等
決定は、「確かに、旧証拠によれば、本件金庫は、普段は被害者方北側10畳間の押入
に保管されていたものと思われ、また、本件金庫は売上金や釣り銭の保管などの日常の業
務には使用されていなかった(これとは別の手提金庫がその用途に使われていた)ことが
認められる」として、弁護人の主張を認めました。
しかし、驚くべきことに「被害者が本件当日これをたまたま持ち出していた可能性を否
定できない。」と証拠に基づかない憶測で判断しました。
「たまたま」の「可能性」を持ち出されたのでは、反論は不可能です。何でもありです。
なんとしてでも有罪を維持しなければ、という固い決意でもなければ、証拠にも現れない
「たまたま」の可能性など、持ち出せるものではありません。
(3) 紐問題
決定は、死体の手首の紐の結束方法について「確かに、被害者の死体の手首は、精肉店
で通常行われているものとも請求人が再現したものとも若干異なる方法で結束されていた
と認められる。」として、死体の手首の紐は弁護人が苦心の末解明した方法で結束されて
いたことを認めました。
そのため、確定判決が、死体の紐の結束方法と(肉屋で勤務経験のある)阪原さんを結
び付ける状況証拠(間接事実)にあげていたのですが、本決定では情況証拠とはできない
として除外しました。これは弁護人の主張そのものです。そこまでは正しく判断していま
す。
ところが、自白の信用性の判断になると、ここでも「3年以上も経過」「記憶の不鮮明
さや減退」を理由に、結束方法の差異は必ずしも重大な矛盾とはいえない、とするのです。
そもそも、自白による結束方法と実際に手首に巻かれていた方法の違いは、「若干異な
る」という程度で説明できるようなものではありません。かなり異なってます。しかも、
自白では、自然に身についた方法でくくったと述べており、捜査段階でそのとおりに再現
もして見せているのです。体が覚えていることですから記憶の減退など問題とならないは
ずなのです。
(4) 金庫の傷問題
決定は、被害金庫の傷の問題でも弁護人の主張を認め、「確かに、新旧証拠を総合すれ
ば、本件金庫の上蓋中央部に存在する凹損は、自白による本件金庫の破壊方法ではこれを
形成することが困難であり、これはホイルレンチ以外のものによって形成されたことが高
いことが認められる」としました。
しかし、決定は、その傷は、金庫を落としたり、投棄したときに生じた「可能性も否定
できず」他の工具の使用を「忘れている可能性も否定できない。」とし、「3年以上も経
過」し、「何らかの理由で上記の凹損が生じた理由を忘れていても不自然ではない」とし
ました。弁護団は何度も山に行っており、山の中には、金庫の角が平らにへっこむような
堅くて平べったい物はあるようには思えませんでしたので、山の中で、金庫を落としてつ
くような傷には見えないのですが、現場にも行っていない裁判官には、何かが見えたので
しょうか。これまた、証拠に基づかずに、憶測で弁護人の主張を排斥したのです。
明け方まだ星が出ている時間に、山の中まで、金庫とホイルレンチを持って行ってそこ
でこじ開けたという自白ですが、(現場引き当てでは、けものみちを通って、ブッシュを
かき分けて山に入ってます)山の中には、いろんな道具が置かれているのでしょうか。ど
の道具を使ったかにつて、悩んでいるような自白はありませんし、ホイルレンチ以外の道
具は、一切自白には出てきません。
などなど、外にもいろいろあります。でも、この辺でやめておきます。ほんまかいな、
という憶測判断が羅列されているだけです。こんな決定を平気で出す裁判官がいるのかと
思うと悲しくなってきます。これでは、あまりに阪原さんが不憫です。
それにとどまらず、国民にとって脅威です。国民が公正であると信じている裁判官が、
こんないい加減な判断をして、有罪との結論を出しているのだとすると、ほかにもいい加
減な判決はいくらでも出るんだろうな、冤罪で泣き寝入りさせられている人はいっぱいい
るんだろうな、と思ってしまいます。
実際、東住吉の保険金目的放火殺人事件しかり、布川事件しかり、名張毒葡萄酒事件し
かり、東北の筋弛緩剤による殺人事件しかり・・・ 冤罪は後を絶ちません。どれもこれ
も、自白(しかも都合のいいところのみ)を偏重し、客観的証拠を極めて軽視し、勝手な
憶測に基づく裁判所独自の理解で有罪としてしまった冤罪事件です。(少なくとも、私に
は、無実であるとしか考えられません。)
4 最後まで無実の阪原さんの救出をめざして
阪原さんは上申書で「今度こそまことの判断をお願いします。」と裁判所に訴えてきま
した。しかし、認定された事実からは、どこをどう繋いだらこんな結果になるのか、疑問
しか残らない決定となってしまいました。
決定を下した裁判官には、証拠の前に真摯であるべきという姿勢のかけらも感じられま
せん。あまりにもいい加減な決定内容を見て、怒りがこみ上げてきました。
最初から有罪と決めつけてかからなければ、あり得ない結論です。
無実の阪原さんを救出する闘いはまだ続きます。弁護団は、今回の決定に対し、3月30
日に即時抗告をしました。3日間という抗告期間で、決定の3倍に当たるページ数の抗告
申立書を作成しました。
大阪高裁において、この誤った決定を取り消させ、再審開始を勝ち取るべく奮闘しなけ
ればなりません。今後とも、広く国民の皆さんのご支援をお願い致します。
弁護士 岡 根 竜 介
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