1972年政府見解を下敷きにした問題の高村試案は、次のように述べます。
政府の憲法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる
したがって、従来の政府見解における憲法9条の解釈の基本的な論理の枠内で……論理的な帰結を導く必要がある
(1972年政府見解)の基本的な論理は今後も維持されなければならない
冒頭のこの部分は、政府の憲法解釈のあり方(私自身は、これまでの政府の憲法解釈は誤っていると考えていますが、それをここでの主題にしていません)としては、法解釈論としても、立憲主義の観点からしても、当然のことです。
問題は次です。
1972年政府見解は、自衛の措置も、平和主義の基本原則から、3要件によって制限される、と論理展開しました。
これに対し高村試案は、安全保障環境が変化したから、3要件よりも緩やかな自衛の措置(わが国に対する武力攻撃が発生しなくてもよい)が許されると論理展開しました。
これは論理の枠を越えて、必要性だけから結論を変更する手法です。
論理的整合性を求めるのであれば、憲法の基本原則である平和主義が論拠となって3要件を満たす自衛措置しか認められない、という論理に対し、憲法の基本原則である平和主義の考え方からいっても3要件より緩やかな自衛の措置まで認められると論理展開しなければなりません。
つまり、1972年政府見解の論拠とされる平和主義の考え方に立ち戻って、論理を立てなければ整合性はないのです。
ここに、論理的整合性があるとする、権力者の嘘があります。
弁護士 小笠原 伸児