いわゆる限定容認論、厳格な縛り論は、限定にも厳格な縛りにもなっていない、新三要件の有無は政府の総合的判断によるというわけだから、集団的自衛権を行使するかどうかについて、権力者にフリーハンドを与えるものだと書きました。
この点に関連して、もう一つ、個別的自衛権の行使に関しても、新三要件が権力者の権限行使を緩める効果があることに気づきました。
従来の個別的自衛権の行使第1要件は、
外国の武力攻撃によって、国民の幸福追求権が根底から覆されるという、急迫、不正の事態への対処であること
でしたね。外国からの武力攻撃の発生という明確な要件が、権力者への縛りになっていました。
ところが、閣議決定以降の、自衛隊法改正論議に関し、現に外国からの武力攻撃を受けていなくても、わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があるときは、個別的自衛権の行使も許されるという議論が始まりました。
その背景には、アメリカの先制的自衛権論(やられる前にやっつけてしまっても自衛だ)がありますが、それだけではありません。
権力者は、わが国が攻撃を受けていなくても、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があれば、ぎりぎりの自衛措置の範囲内として武力行使が許されると強弁してきました。
その論理の延長として、個別的自衛権の行使要件も、たががはずれた、たがをはずしたのです。
弁護士 小笠原 伸児