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「人権救済制度 修正・凍結相次ぐ 強制力の是非が焦点」
−10月17日付朝日朝刊−
人権が侵害された場合、迅速に、かつ、実効性のある救済策が必要であることは誰もが
認めるところです。
2002年3月、人権擁護法案が国会に提出されましたが、対象をもっぱら民間による
人権侵害に限定する、救済する機関を法務省の外局に設置する、メディアによる人権侵害
も対象とする、という内容だったことから、日本弁護士連合会やマスコミから強い批判を
受け、成立しませんでした。
上記記事は、この問題の経緯を紹介し、法務省で法案修正の作業が行われ、日弁連も
「あるべき人権救済制度」の検討を独自に始めたことを伝えています。しかし、この記事
の見出しには重大な問題があります。
この記事は、見出しに「強制力の是非が焦点」と報じていますが、人権救済制度の焦点
は、「強制力の有無」にあるのではないと思います。本当の焦点は、国や地方自治体或い
は、これと同じくらい強大な社会的な力を持つ団体による人権侵害に対して、どのような
迅速で実行ある救済策を作るかということです。公の権力から国民が人権を侵害された場
合こそ、速やかに、かつ、実効性のある解決が求められています。
ですから、もっぱら私人どうしの問題を解決するのではなく、対象とする人権侵害を公
の権力かそれに準じる団体等に焦点をあてることがまず重要です。
そして、公の権力に対する人権侵害を調査するためには、救済機関は、国や地方自治体
から独立した機関でなくてはなりません。そして、調査権限についても、国などの公の機
関に対しては強制力が必要でしょう。刑務所や入国管理局における人権侵害の指摘がある
中で法務省の外局として救済機関を設置するようでは、その目的は十分達することができ
ないのです。
さらに、私人(国民)どうしの差別などの人権問題については、司法手続による解決が
迅速になされるべきで、この分野での救済機関の役割は、一般的な啓蒙にとどまるべきで
あるように思います。この分野にまで、救済機関に強制力を付与することは、かえって調
査される国民の言論、表現の自由を制約することにつながりかねないと思います。
弁護士 高 山 利 夫

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