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裁判員制度を考えるF
6月23日、約17年半無実を訴えながら、無期懲役の有罪判決が確
定し、服役していた栃木の足利事件について、東京高裁は、裁判のやり
直し(再審)を開始する決定をしました。
この決定に先立って、検察庁は、6月4日、無実を訴えていた菅家利
和さんを千葉刑務所から釈放していました。弁護側が申し立てていたD
NA鑑定を行った結果、犯人のものとされるDNAの型と菅家さんのD
NAの型が一致しないことが明らかになっていたからです。
再審公判では、検察側も無罪の意見を述べる予定であることが報道さ
れていますので、無罪判決が出ることになります。
しかし、えん罪の悲劇はどうしてこんなに繰り返されるのでしょうか。
80年代にあいついだ死刑再審の無罪判決、一昨年の鹿児島、富山の
えん罪事件、今年に入ってからも痴漢事件での最高裁の逆転無罪事件、
そして、足利事件。
これらに共通しているのは、自白の獲得を中心とする捜査のあり方、
自白の強要、そして、その自白を安易に信用する裁判所(官)のあり方
です。
5月に裁判員制度がスタートし、8月ないし9月頃から、一般国民が
刑事事件の審理に参加し、職業裁判官とともに、有罪・無罪と刑の重さ
を決める新しい刑事裁判がはじまります。
この新しい制度がえん罪を生むことがないよう定着し、よりよい改善
がなされる必要があります。
職業裁判官が克服することができなかった有罪慣れ、安易な自白の信
用による事実認定が、様々な社会経験を存する一般の国民が参加するこ
とによって是正されることが求められています。
そのためには、参加する裁判員が無罪の推定、疑わしきは被告人の利
益に、といった刑事裁判の鉄則に従って、その常識、経験、感覚を発揮
することが切に求められています。
そして、裁判員がそれぞれ持っている常識などに照らし合わせて、検
察官が合理的な疑いを入れない程度に、まず間違いないと言える程度に
有罪を証明したかどうかをチェックする、という役割が発揮されること
が大事だと思います。
弁護士 高 山 利 夫

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