1. 岡根弁護士のぼやき論壇

岡根弁護士のぼやき論壇

まる紐と平紐

山用の靴だけではないような気もするが、このところ、靴紐のタイプとして「丸紐」が多くなってきているような気がする。 値段だけ見ると、これまで一般的だったと思う平紐とそんなに変わらない。 なので、コストだけで、丸紐が増えてきたということでもないような気もするが、たいがい、経費の問題とか手間暇の問題が絡んでいるので、この場合は本当はどうなのか気になるところだ。

仮にコストの問題ではないとしても、この傾向で気になるのは、平紐と比べて、丸紐はほどけやすい、ということが余り認識されていないように思われる点だ。 山靴で、紐がほどけるということは、一歩間違えると 気がついたら谷底へ、ということも生じかねないという危険が伴う。 大袈裟と思われるかもしれないが、山の事故なんて、ほんのちょっとの油断から起きることの方が多いといってもいい。 アイゼンでスパッツを引っかけてバランスを崩した、とか、ザイルを踏んでしまってよろけた、とかで、運が悪ければ何百メートルも滑落する。 
なので、私としては、できるだけ平紐を選ぶ。 やむなく丸紐しかない場合は、フックに掛けるところは、上から下に輪っかができるように通す。 最後のむすびは、蝶々結びのところを二重に捻るようにする。 そうすると、少しはほどけにくくなる。 マラソンの時などにもちょっとのことで解けにくくなるから便利。
ところで、飛行機や鉄道でも、儲けようと思うと儲けに繋がらない安全対策に掛ける費用から削ってしまうのが企業論理。 安全神話にしがみつく原発なんて典型的(原発の場合対策のしようがないが)。 身近なところからでも、安全を考える傾向からは、やっぱり、電気は自然エネルギーに切り替えた方がいい。 

境界争い

建物を建てる場合、境界線から50センチメートル以上離さないといけないというルールがあります(民法234条)。 ですので、原則どおりだと、家と家の間には1メートルの空間ができるはずです。 ただ、それとは違う慣習があればそれによるのですが(236条)、どんな慣習があるのかは地域により異なることもあって正直はっきりしないことがむしろ普通でしょう。 
 京都の町並みで、そんな原則どおりに家が建っているところは返って少ないかもしれません。 
 それは兎も角、家を建て替えようとしたところ、突然境界争いが表面化することがよくあります。 実は、役所の図面でも、はっきりしていないところがかなりあります。 建築が終わってしまうと、越境していても回復することは非常に困難となってしまいます。
では、これをどうすれば解決できるのでしょうか。

 土地の境界(公法上の境界で、筆界(ひっかい)ともいいます)について争いがある場合、これまでは「境界確定訴訟」によって定めるしかなかったのですが、2005年には筆界特定制度が創設されました。 
 これは、境界紛争の当事者から申請があった場合に、各地の法務局長が専門家を筆界調査委員に任命して、法務局に新設する「筆界特定登記官」が筆界調査委員の意見を参考にしながら境界を特定するというものです。

 ただ、この「筆界特定」によって境界を特定しても、実は、新たな筆界の形成、確定までの効力はありません。 ですので、やはり従来の境界確定訴訟も必要となります。 
 実際に境界について争いが生じる場合、境界石などの目印になるものがない場合が多く、ひさしなども空間的に重なっているケースもあって、もともとどうなっていたのかよくわからないことも多々あります。 測量図や登記所の公図、古地図、土地の利用状況、昔の事情を知る近所の人の話など、いろんな資料に基づいて決めるしかありません。 ただ、一般の訴訟と違い、裁判所は争いになっている当事者の主張を無視して独自の判断で境界の位置を決めることもできます。 境界争いはまさに隣の人との争いになるので、できれば避けたいところですが、紛争を今後に残さないためにもある時期はっきりさせるようにした方がいいのかもしれません。 放っておくと、時効取得とか主張されかねませんので、権利は自分で守る必要があります。

日常的な出来事は、ブログ「歩け。あるけ。」ものぞいてみてください。

財産分与と退職金

離婚の際、離婚自体は合意できる場合でも、子どもの問題と財産関係の処理については、問題となることが多くあります。 

今回は、財産をどうするのか、の中から、財産分与を取り上げてみました。 この財産分与(民法768条)は、離婚の時から2年経つと請求できなくなります。
既に支払われた「退職金」が残っているのであれば、もちろん分与の対象財産となります。退職金は、給与の後払いという性質もあるといわれていますので、給与の中から貯蓄した預金などと同じように扱われます。
ただ、支払われた「退職金」を既に使ってしまって残っていない、という場合には、対象となる財産自体がないわけですから、分与の対象とはなりません。 多くの場合、やっぱり無い人からは取れないんですね。
では、支払われるとしても2年以上先という将来の見込みの場合であればどうでしょうか。
裁判所での扱いとしては、近い将来退職金を受領できる蓋然性が高い場合には分与の対象とされる可能性が高くなります。
 ただし「近い将来」は何年先をいうのかは明確ではありません。 非常に曖昧ですね。
裁判例では、5年先、8年先という場合にも対象としたケースがあります。
今のような不安定雇用状況の下でも同じようになるのかどうかは、不透明ですが、退職金しか対象となる財産がない、というような場合には、比較的長期でも認められるようです。
ただ、対象となるといっても、現時点ではないのですから、どう計算するのかについては、いろんな方法があり、これといって定まっているわけではありません。 ケースバイケースで対応するしかないというのが実際のところでしょうか。 

自転車(に・も)注意!

このところ、自転車の絡む交通事故が多発しているようです。 自転車事故についての、「過失相殺」について、まとめたような書籍も出ています。

ところで、自転車は、日本だとどうしても「歩行者」に近いものというイメージが強くあるように思われます。 そのため、自転車は歩道を走るべきだと考えている人も多いといわれています。
しかし、これは日本に限定されているような発想なんだそうで、ヨーロッパなどでは、自転車は、「車両」なんだから、歩道は走ってはいけない、車道を走るべきだ、という指導がなされています。
交差点に進入してくる自転車を車道を走行している車からどれくらい認識できるのか、という調査がなされたことがあります(左折の際の巻き込み事故中心)。 その結果、車道を走行してきた自転車は7割程度の車両が認識する(見落としにくい)のに対し、歩道を走行していた自転車が交差点に進入する場合4割程度しか認識できない(見落としやすい)のだそうです。 
車に乗っている感覚からすると、なるほど、と思うような割合です。 
ある団体では、日本でも、自転車は車道を走るようにした方がいいという提言も出されているようです。
道交法上、自転車も立派な「車両」です。 左側通行が大原則。 夜間「無灯火」は御法度です。
歩道上では、対歩行者との関係で「徐行義務」もおっています。 自転車で人をはねて、数千万の賠償義務を負わされた過去の例もあります。 注意して走行するとともに自転車でも任意保険に入っていた方が万一の時には助かります。 自動車保険のオプションにも入っているのもあるようですので、検討されることをおすすめします(保険会社の回し者ではありませんが)。

財産分与と税金

財産分与。 離婚の時には大体問題になり、争いの種になったりします。 慰謝料とともに、離婚給付の一つです。

財産分与は、マジックワードのようなところもあって、基本は結婚中に築いた財産の清算ですが、今後の扶養や慰謝料的な意味合いも含めることもあります(最判昭和46年)。 気分的に「慰謝料」と言われると抵抗があることが多いので、「財産分与」の中に含めてしまおうというものです。 「解決金」というような言い方をするのも同じような発想でしょう。
ところで、この財産分与、金銭で支払われるような場合には、給付する者に課税は生じません。 ところが、家などの資産でもって行うと譲渡所得の「資産の譲渡」に当たってしまいます。 
これについて、実質的に夫婦共有財産だから、分かれるんだったら、それを分けるだけなのに、なんで「資産の譲渡」に当たるんだ、と言う強い反対の意見もあります。 私も、これはおかしいと思っています。 ですが、裁判上は、確定していると言われており、当分変わりそうにありません。
仕方がないので、この対策を考えないといけません。
婚姻期間が20年以上であれば、夫婦間の土地建物の分与には、贈与税の配偶者控除の特例を受けられる道があります(相続税法21条の6)。 この控除を受けるためには、離婚をする前に贈与をしましょう。 控除されるのは2000万円まで。
20年に満たない場合、相続税法の配偶者特別控除は受けられません。
さてどうしたものか。
この場合には、給付する側が、居住していた建物(土地も含む)を譲渡する場合には、居住用財産の特別控除が受けられる可能性を追及してみましょう(租税特別措置法)。 注意がいるのは、この場合、譲渡を受ける相手が、配偶者や身内のような関係にある場合には、適用されないことです。
そこで、まず離婚を成立させ、当事者間は赤の他人になった後に(事実婚関係があるとまずいので、完全に別れる必要があります)贈与をすれば、この適用の可能性があります。 控除は3000万円まで。
離婚届を出す前にするか、後にするか、これは結構影響が大きいので、慎重に対処する必要があります。 
もともと、実質的共有財産を分ける財産分与に課税をすることが根本的におかしいとは思いますが、一般人から税金を取ることには目の色を変えるお役所相手では通じないようです。

与島

連休、瀬戸大橋を通る機会があり、瀬戸大橋を渡る途中に、与島PAに立ち寄ってみた。 

橋ができるまで、与島は、瀬戸内海に浮かぶ静かな島だったはずだが、巨大な橋桁が島全体を覆い隠すかのようにそびえ、多数の車両や、電車が走っている。
与島PAの外周に、歩道が設けられている。 いったいどこまで行くのかと歩いてみる。 途中、このまま行ってて果たしてPAに戻れるのかと不安になるが、遊歩道? は続いている。 巨大な橋桁と道路が頭の上の方にある。 なんか不思議な光景に思える。 遊歩道のトンネルをくぐって、階段になっている道が続いている。 ここまで来たら、引き返す方が長くなるような気もしてきた。 で、更に進むことにする。
そうすると、どんどん橋桁の下の方に行き、民家に通じる道路におりてしまった。 丁度そのとき、頭上をJR列車が走っていった。 橋桁の下は、結構な騒音と、何となく振動も感じる。 
JRは、人が寝静まっている深夜(というか早朝)にも走っている(と以前ニュースで聞いた)。 この騒音は、安眠を妨害するだろう。 それまでの静かな町は、あっという間に橋桁に日光や風を遮られる、騒音だらけの町にされてしまった。 住んでいる人にしたら堪ったもんではないだろう。 
下におりなければ、こんな実情を感じることさえなかった。 単なる観光客の1人として、騒音と排気ガスを残していくだけだ。 通過する人は島に降りる訳ではないので(あくまで自動車道路の一部であるPA止まり)、町には外貨も落ちない。 
島に暮らす人にとっては、かけがえのないものを奪われ、公害のみをもたらされた、そんな印象を受けた。
たしかに島の道から一応PAに入っていく道はあるようだったが、それがどれほど生活の利益(や島の経済的利益)になるのだろうか。 舟を使わず、車で四国や本州に移れることは、便利と言えば便利だけど・・・ 奪われたものの方が遙かに大きいように感じた。

成年後見人と横領(最高裁判決)

先日(10月9日)出た最高裁判決。

成年後見人が、被後見人である養子の財産を横領した事件で、親族関係のある場合の特則を適用しないとした。

刑法244条には「配偶者、直系血族又は同居の親族との間で(中略、窃盗罪等)を犯した者は、その刑を免除する」と定められている。 その他の親族との間での一定の財産犯は「親告罪」とされている。
なんだ、これは? と思われる方も多いかもしれませんが、ようは、「法は家庭に入らず」。 家の中でのもめ事はその家の中で解決してね、そこまで国家が入り込みませんよ、ということだ。 家制度の名残なのかもしれない。
横領罪についても244条が準用されているので(刑法255条)、親族間で、横領罪となる行為をしても、「免除」つまり罰を受けなくてもいい、となる。 なので、普通は、起訴もされない。
しかし、後見人は、家庭裁判所により選任されており(任意後見は少し違うが)、その取り扱う事務には「公的性格」があるので、後見人は、被後見人のためにその財産を 「誠実に管理すべき法律上の義務」を負っている。 
つまり、後見人という地位にある以上、単純に「家庭の問題」にはとどまらないですよ、ということである。
そこで、最高裁の判決では、「成年後見人が業務上占有する成年被後見人所有の財物を横領した場合、成年後見人と成年被後見人との間に刑法244条1項所定の親族関係があっても、同条項を準用して刑法上の処罰を免除することができないことはもとより、その量刑に当たりこの関係を汲むべき事情として考慮するのも相当でないというべきである」 と判示した。
養子の後見人となった養親が、その養子の財産を使い込んだ場合、実刑となっても仕方がないとの判断だ。
成年後見人として、他人の財産を誠実に管理すべき立場にあれば、そこは、親族間であっても他人と同じ、ということになる。 
成年後見人の地位を濫用して、財産を自分の物みたいにして使い込むと、処罰されても仕方ない。ただ、財産の使い方によっては「横領」とは当たらない、としないとややこしい事態にもなりかねない。
その当たりは、常識的な判断にまかされると思われるが、いずれにしても、後見人になった場合は、襟を正さないといけない。

前科

前科があると、「あーまたやったのか」という発想になりがちです。 そんな前科という事実によって、犯人かどうかを決めてもいいものでしょうか。

先週、最高裁で、前科による事実認定に関するひとつの判決が出されました。 似たような犯罪を前にもしたことがあるから有罪だ、という原判決に対して、前科によって犯人だと判断するためには、単に似たような前科があるだけではだめで、余程特別な特徴を持っていなければ、犯人性を判断する証拠としては使ってはいけません、というものです。
なぜか。 
前科を事実認定(特に犯人との同一性)に使わないといけない、という事態は、要するに証拠が足りない場面です。 事件現場に犯人が残した証拠だけでは、誰が犯人であるのかは決められないという時に、「またやったのか」という先入観を抱きやすい証拠(前科)で持って事実認定をすると、どうしても思い込みが優先してしまい、誤判が生じる危険があります。 
そこで、最高裁の判決では、「前科に係る犯罪事実が顕著な特徴を有し、かつ、それが起訴に係る犯罪事実と相当程度類似するこから、それ自体で両者の犯人が同一であることを合理的に推認させるようなものであって、初めて証拠として採用できる」としました。
この事件では、盗みに入ったが、満足するものがなかったので、腹いせに放火した、という事案でした。 それについて、動機としては窃盗犯にはあり得ることであるし、放火の方法も別段特殊ではない、ということから、前科犯罪事実と似たような犯罪ではあるけれども、それだけで、今回も犯人だという決定的な証拠とは出来ません、と判断しました。
怪しい、というだけでは、犯人には出来ません、という至極もっともな認定です。 
これが、例えば、特別な発火装置を用いた犯行だ、なんてことであれば、有罪となり得るのでしょう。
「前科」は、とても危険な証拠です。 模擬裁判の時にも、30年くらい前の前科が出されたとたん、それまで「無罪」としていた裁判員が多数「有罪」に変わりました。 扱いには本当に慎重な態度が必要になります。 そのあたりに警鐘を鳴らす判決だったんだと思われます。

接見室

逮捕されたり、勾留されたりした場合、留置施設等に閉じ込められてしまう。 それでも、普通は誰でも会うこと(接見)ができる。 ところが、とにかく孤独にして自白をとりたいという捜査官は、すぐに「接見禁止」を求め、裁判官がこれまたすぐに認めてしまう。 困ったものだ。 身体拘束中に外の世界との連絡が取れないことがどれだけ人を圧迫するのか、全然わかっていない。

そんなときでも、弁護人は会うことができる。  それも、一般の接見と異なり、立会人はない。
そんなとき、「職員からこづかれてけがをした」と訴えられたらどうするか。 けがは時間とともに治ってしまう。 そうかといって、留置所内で「証拠保全」なんてそう簡単にはできない。 
そんなときは、ためらわず写真を撮って、私的に「証拠」を「保全」する必要がある。
ところが、とりわけ、拘置所は、写真撮影を禁止、といって圧力をかけてくるケースが目立ってきた。 福岡で軟禁された弁護人のケースもあるが、東京では、写真撮影をしたというだけで弁護士会に対し「懲戒請求」をしてきた。 岐阜でも問題になっている。
国家機関(拘置所)が、懲戒請求なんかしていいのか、という問題はさておき(これはこれで大問題)、写真撮影がなぜ問題なのか。 
拘置所側は、個人(被疑者ら)のプライバシーなども理由の一つにしていたが、こんなのは当然同意の上でやってるんだから問題にならない。 根強くいうのが、施設管理権、写真撮影により逃亡の恐れが生じるらしい。 正直「何を馬鹿なことを!」という気がするが、理屈の上ではそれくらいしかないのだろう。 ただ、そんな理由で制約の根拠となるとは思われない。 弁護活動として必要がある場合には、拘置所からなんといわれても譲れない。 そういう場面には遭遇したくはないが・・・

再審開始決定、、、異議・・・

東京高裁で、再審開始決定が出た。

東電OL殺人事件で、第三者の関与が疑われる、確定した裁判でこの証拠が出されていたら有罪とはできなかった可能性が高い、ということで、高裁は再審を開始するのが相当であると判断した。
もともと、第1審が無罪の事件である。 その時点で、「合理的な疑い」が有ったわけだ。 もし、それでも控訴審で逆転「有罪」とするのであれば、本来なら、あらゆる「無罪仮説(無罪の可能性)」が成り立ち得ないことを具体的に示さなければならないはずであった(今年2月13日に出た最高裁判決がその旨を判示した)。 本当なら、原審で無罪となり、再審なんて問題にしなくてもいいはずの事件だった。 それをいい加減な推論だけで(科学的な鑑定を無視して)逆転有罪としたのが、元々の判決で、それを最高裁が追認してしまっていたのだ。
その重要な「証拠」は、原審段階から検察の手元にあった。  それを隠してきた。 国家機関が、圧倒的な権力の元でかき集めた証拠の内、有罪となりそうな証拠だけ出し、無罪方向に働く証拠は「隠す」。 それで「有罪」となったからといって本当に治安の維持になるのか。 「無実」の人を苦しめ、真犯人をほくそ笑ますだけではないのか。  国家が集めた証拠は、少なくとも弁護人には明らかにすべきだ。 99.9%有罪の裏にはこんな事情も隠されている。 えん罪がなくならないはずだ。
ところが、またまた検察は、異議申立。 恥の上塗りはやめた方が国益にかなうと思うが・・・

当たり年 

天文話題から。

今年、5月21日は金環日食が見られた。 ただ、運悪く、九州出張中だったので、雨のため、見ることができなかった。 京都にいてたら見ることができたのに・・・  まぁ、うちの家の辺りからは「金環食」にはなりきらなかったようだけど。 

せっかく買った日食観察用眼鏡が無駄になるところだった。 が、今日(6月6日)、金星が太陽の前を通過する現象を見るのに役だった。  といっても、ホント小さなほくろみたいな感じで、分かってなければ、多分見落とすくらいの大きさにしか見えない。 それでも、よく見れば、小さな黒い点 ・ が左から右に移動していった(6時間かけて動くのだから普通動いているようには見えない)。 
次回は105年後だとか。 だいたい100年に2回生じる珍しい現象のようだ。 また、6月4日には部分月食が見られた。 
こんなに立て続けに、めずらしい天文ショーが見られる時期はそうそうない。 
さらに、8月14日午前2時40分頃から3時28分頃にかけて、金星の前を月が通過するという現象が見られる。  要するに、金星が 三日月の陰に隠れるように見える。  現象としては、金星が三日月の明るい方に隠され、暗い方から現れる。  
今度は、見るのに日食用の眼鏡は要らない。 普段は、いったいどれが金星なのか分からないが、このときばかりは、分かるはず。
後は、雲が出ていませんように!

信じられない・・・

名古屋高裁刑事2部が、名張毒葡萄酒えん罪事件で、再審開始を拒絶した。

奥西さんは今86歳。健康状態も芳しくなく、今は病舎での生活を余儀なくされ、1日スプーン1杯のお粥と栄養ドリンクと点滴で何とか凌いでおられる状態と聞く。 
有罪の根拠となった王冠の歯形は、とんでもないねつ造であったことが明らかになっている。その上、今回、殺害に用いられた農薬が、奥西さんの用いたとされるものと成分を異にしていたことが明らかになっている。
もともと、原審での第1審は、「無罪」だったのである。 
いったい裁判官は、何を見て有罪だと思っているのだろうか。 これほどまでに(高裁裁判官は)〇〇〇〇しているとは、全くもって信じがたい。
 人の人生をいったい何だと思っているのか。

「手続き」か「手続」か

今回は、大の苦手とする国語の話題を。

新聞などに出てくる言葉の使い方と、いわゆる公用文に出てくる言葉とでは、書き方が違うようです。どう違うのか、なぜ違うのか、さっぱり分かりませんが、違うのだそうです。
さて、表題の言い方ですが、どっちが正しいでしょうか。
公用文としての正解は、「手続」です。 ものの解説書によると、「手続き」と「き」を送るのは、「公用文における漢字使用等について」(こういうものがあるそうです)という具体的方針に反するので、「手続」と書くのが適切なのだそうです。
こんなのどっちでもいいじゃないか、と思いますが、公用文は、それを許すほど柔軟性がありません。そんなことで、送り仮名を付けてはいけない、という用語が結構あります。
たとえば、「明け渡し」ではなく、「明渡し」 なぜか分かりませんが、「し」は入ります。
「打ち合わせ」ではなく、「打合せ」 これも「せ」は入ります。
「追い越し」ではなく、「追越し」
「取り調べ」ではなく、「取調べ」
「貸し付け」ではなく、「貸付け」  等々
  ( ところで、この「等」も「など」とは読んではいけません。「など」と読ませたい時にはひらがなを使わないといけない、のだそうです。「nado」と入力すれば、「等」と変換するんですけど・・・ )  
普通に変換すると、さすがのATOKでも、公用語の使い方の変換はしません。 
なので、邪魔くさくても単語登録しなければなりません。
意味が通るんだから、どっちでもいいやん、と思う私のような人物には、公用語を扱うのは不適格のようです。 何とも邪魔くさい話でした。

拘置所で弁護士軟禁

福岡でのことですが、拘置所で、弁護士が軟禁(監禁)されるという事件が起きています。

勾留されている人から、拘置所職員に暴力をふるわれて怪我をしたので接見に来て欲しい、という要請を受け、弁護人が駆けつけたところ、顔に傷が残っていたので、証拠を残すために弁護人はその傷を携帯電話の写真で撮影しました。 ところが、それを、のぞき窓から見ていた職員が見つけ、その画像を消すように迫ったのです。
 断った弁護人を、拘置所のある部屋に連れて行って、中から南京錠で鍵をしました。画像を消すまで帰さないという姿勢を明らかにしたのです。 時間も遅くなって、おそらく次の予定にも差し支えがあったのでしょう。 最後は、画像を消去してようやく帰ることができたようです。 もしそのとき最後まで消去を拒んだらどうなっていたのでしょう。
弁護人としては、身柄を拘束されている人の利益のための行動が求められています。 拘置所職員から暴行を受けたとの訴えがあれば、その証拠を残す努力をすることは、当然の行動ですし、写真撮影は当たり前です。 
そもそも、弁護人との接見をのぞき窓から監視すること自体問題です。
拘置所側は、暴れたのを取り押さえた正当な行動だと開き直っているようです。反対に、施設内での写真撮影は認められない、と言い張っています。 
写真撮影については、京都でも問題になったことがあります。 私たちとしては、そんなことを禁じられるいわれはない、と主張しています。 上記のような事案で、証拠を残せない、ということになれば、問題だと思いませんか。 
拘置所として、正当なことをやっているのであれば、そんな写真が出てきたって問題がないはずです。 それを、南京錠をかけてまで監禁をして画像消去を求めるというのは、どう考えても正当なことではないでしょう。

再審申立(えん罪日野町事件)

昨日(2012年3月30日)、大津地裁に再審申立をした。 今度こそ、正しい判決を、という願いを込めて、申立書を提出してきた。 
この事件は、ちょうどこのホームページを立ち上げた最初に取り上げた大津地裁「決定」に対するいわゆる異議を申し立てていた事件(即時抗告審)と同じ事件で、昨年(3月18日)阪原さんが亡くなり、それを理由に大阪高裁が事件を終了させてしまったことから、今回再度の申立となった。 今回は、遺族による申立ではあるが、実質的には継続していると考えている。※
ところで、再審請求をするには、「無罪(中略)を言い渡」すべき「明らかな証拠」を「新たに発見した」ことが必要とされる(刑訴法435条6号)。
しかし、今回の申立は、前回の申立について、裁判所は何の判断もしないまま終了させてしまっているので、これまで「新証拠」として提出してきていた証拠は、全て「新証拠」になる。この意味でも、前回の請求が実質的に継続していることとなろう。(大津地裁のあまりにお粗末な決定は確定していない)。
改めて、申立書を読み返すと、随分と弁護団の到達点が進化してきたことを実感する。それは、布川事件や足利事件等の成果が盛り込まれていることもある。いろんな研究者の方の英知も取り入れられている。これまでは何となく曖昧にしたままにしてきていた論点についても、克服できていると思う。しかし、そうは言っても、客観的な証拠とことごとく食い違っていても「自白の根幹部分は信用できる」となんらの根拠もなく決めつけられてきたこれまでの流れも無視できない。
それでも、犯罪者の汚名を着せられたまま、無念の内に亡くなった阪原さんに、1日も早い無罪の報告ができるよう、今度こそ裁判所に正しい判断をさせなければならない。
引き続き、ご支援をお願い致します。
※ この事件は、滋賀県日野町で起こった、1984年12月28日夜8時頃を最後に消息が分からなくなってしまった酒屋の店主が殺害された強盗殺人事件。事件発生から3年後に阪原さんが犯人に間違われ、誤った裁判の結果無期懲役が確定してしまっていた。 阪原さんは、昨年、病気のため亡くなった。

京都マラソン 試走?

今週末、3月11日、京都マラソンが開催される。

この前、京都家庭裁判所からの帰り、鴨川沿いを試走 ではなく、歩いてきた。 工事期間3月10日まで、という看板が立てられている。 何の工事だろうと考えたら、鴨川河川敷が京都マラソンのコース(の一部)になっており、そのための主にでこぼこを直す工事のようだ。 名目は、「河川公園改修工事」のようなものだったと思う。
コースとして設定されている時間は、9:30~14:00?だった。 駅伝などと違い、先頭と最終ランナーとの通過予想時間が5時間近くあるため、その間交通規制がなされることになる。今出川や丸太町通りをそんな長い間通行止めにしたら、京都市内の道路は車が動かないだろう。なので、少しでも緩和するべく、河川敷(今出川などは橋の下を通るので通行止めにしなくてすむ)をコースにしたのだろう。
そんなことで、市民マラソンとしては、結構な起伏のあるコースになってしまっている。
ところで、この市民マラソンに向けて、京都市は、マイカー自粛を呼びかけている。自粛を呼びかけるだけならいいが、なんと、アンケートとして署名をして、何台協力するかなどを書かせる、それのみならず、市長選挙前の現職市長の政策を支持しますか、等を答えさせる項目もあった。
大阪の憲法を知らない(理解lできない)市長と比べるとまだしもという気もするけど、やってることは似たり寄ったりだ。 財政危機とかいっていながら、こんなこと(選挙活動)に税金をつぎ込むことはあかんでしょ。

最高裁もたまには・・・

このところ、最高裁の判決を見るにつけ、ゲンナリすることが多かった。 久しぶりに、よかった、とホッとする判決が出された。

千葉の裁判員裁判で1審「無罪」となっていたのを、とんでもない高裁裁判官によって控訴審逆転有罪(差し戻しじゃなくいきなり実刑)となっていた事件がある。
先日、最高裁で弁論が開かれる、という報道を目にしたような気になっていたので、そろそろ判決かな、と思っていたら、今週2月13日に判決が出された。
逆転無罪。  
こんな高裁判決がまかり通れば、刑事裁判に市民が参加した意味がなくなる、と思っていたので、この判決には正直ホッとした。
判決の大事なところは、「刑訴法382条の事実誤認とは、第1審判決の事実認定が論理則、経験則に照らして不合理であることと解するのが相当である。したがって、控訴審が第1審判決に事実誤認があるというためには、第1審判決の事実認定が論理則、経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要であるというべきである。」としたところ。
高裁の裁判官(全員ということではありませんが)のように裁判所の中だけで通じる理屈で市民が関与した判決をひっくり返すことはできませんよということだ(ろう)。
ところで、この判決を下した高裁裁判官(裁判長)、ここでも前指摘したあの小倉正三である。
この裁判官なら、あの判決もさもありなん、という感じだった。
日野町事件で、大誤判をしていても気づきもしない、ろくに証拠も見ていないことは明らか、何でもかんでも自白を重んじる(客観的な証拠を軽視する)最低の裁判官だ。こんな人間がまかり通る世界が裁判官の世界なんだ。まともな裁判官は、本当に生きづらいだろうな。

ニュースを見ていたら、「アダルトサイト詐欺6億円」という表題を見つけた。

これまでから、高額な請求を伝える画面が消えない、支払うほかないのだろうか、等の相談を聞くことがあった。
基本は、「無視してください」。 と答えていたが、どうもその手口が巧妙になってきているようだ。
パソコンなどでインターネットを使っていても、どういうシステムで自分がそれを使っているのかが分かっていないので、変な画面が出てきても、その原因が分からない。私にはさっぱり分からない。多くの人は同じようなのだろうと思う。
そのへんを悪用して、ウィルス(不正プログラム)を使ったワンクリック詐欺等を行っているようだ。
ウィルスなので、結構やっかい。 ウィルスに感染してそのパソコンにある個人情報などが犯人側に流れてしまい、その情報を利用してしつこく(しかも脅迫混じりに)請求されるケースもあるようで、怖くなって払ってしまった、という合計が6億円を超えることになるようだ。
まず、ウィルス対策ソフトを導入しましょう。スマホにも対策ソフトの導入を。
対処としては、その不正な請求には、やはり「無視」を決め込むのが必要。絶対にこっちから連絡をしたりはしない。
電話での請求などがなされるようにまでなれば、警察に被害届を出した方がいい。
ネットサーフィンなどをしていて特に確認画面などがなく、突然「有料サイトに登録いただきありがとうございます」などの画面が現れたら、これは間違いなく「詐欺」だと思って対処してください。
6億円の被害は、この間逮捕された一つのグループのみの被害額。
ネットを使った犯罪がますます巧妙になってきている。 気をつけましょう。

大阪の事件で、裁判進行中に、被告人が身柄を拘束されている拘置所を捜索し、弁護人とのやりとりの手紙、書きかけの手紙、尋問事項メモなどを検察が押収していったという出来事があった。

身柄を拘束された人にしてみれば、捜査側の関与なしにやりとりができるのは弁護人に限られている。
相手は、国家権力である強制捜査権を有する検察官。
それが、唯一の対抗手段である弁護人との自由な意思連絡まで盗み見られてしまったら、格差が一段と広がってしまう。ノーガードで打たれっぱなしの状態に置かれることになる。
(この事件、無罪を争っていたが、共犯者の話を鵜呑みにして長期の懲役刑になった模様)
弁護人としては、このような事態は許し難いこと。
被告人が準備している物が置いてあることが十分予測される裁判進行中に、それが訴追側に持って行かれることが許されるとしたら、まともな弁護活動なんかできようがない。
検察官の発想に驚愕すると同時に、こんな令状を出した裁判官の感覚も疑ってしまう。

「妥当」判断は妥当なのか?

経済産業省原子力安全・保安院は、大飯原発安全評価を「妥当」と判断したとのニュースを目にした。
「何だそれ?」  である。
「妥当」を辞書で引くと、「物事の実情などによくあてはまっていること。考え方や処理の仕方に無理なところがなく適切であること。また、そのさま。」と記載されている。
 ところが、これを「経済産業省原子力安全・保安院」が使うと、全く別の意味になっているようだ。とても「無理なところがなく適切」とは言い得ない。
 福島原発の事故について、未だその原因は解明されていない。津波、津波と繰り返しているが、専門家に聞けば、地震そのものによって壊れた部分もあると判断せざるを得ない現象が見られるといわれる。どんな風に壊れて、今どのようになっているのだろうか。お抱えのニセ「専門家」ではなく、開かれた場で検討すべきだろう。
 しかし、政府、東電、安全・保安院などは、その肝心な点については情報を明らかにしない。今回の意見聴取会では、「透明性」といいながら、傍聴も排除した。
 ひた隠しに隠し続けて、「安全」だとか、その安全評価が「妥当」だとか表明したとしても、どうして信じられるのだろう。本当に「安全」だとするのであれば、その判断をした情報を万が一の際には被害を被る(現実に今福島原発事故では幾多の人が有形無形の被害を被っている)人たちになぜ明らかにできないのか。
 原発再稼働先にありきのまさにやらせとしか言いようのない「妥当」表明は、日本という国土に住む人々をあまりに馬鹿にする態度ではなかろうか。
 ところで、関西電力の評価書では、「津波は、想定より4倍の11.4メートルの高さのものに見舞われても炉心損傷しないとした。」とある。ということは、関西電力は、想定する津波の高さを「2.85メートル(以下)」としていたということがわかる。数年前の新潟沖地震の時でも5メートルを超える津波が観測されている。とんでもない「想定外」の想定としか言いようがない。

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