とある県の選挙管理委員会等の委員、ほとんど働きもせず、月平均2日に満たない(1.89日)会議等の出席のみで、なんと、月額報酬を20万2000円ももらっていた。
岡根弁護士のぼやき論壇
「赤切符」を切られるということは、刑事罰を受ける可能性のある処分を受けたということ。
残念ながら、日野町事件に付いてではありませんが、福井女子中学生殺人事件について、名古屋高裁金沢支部が再審開始の決定をした。
京都府には、アイドリング禁止の条例がさだめられている。地球温暖化対策条例に規定があり、自動車駐停車時にアイドリングの禁止を義務づけている。違反者には罰則もある。罰則といっても、罰金などではなく、「氏名公表」くらいだが、施行5年経っても罰則の適用はまだないようだ(京都新聞夕刊による)。
とある新聞に次のような記事が載っていた。
「法務省は3日、懲役や禁錮刑の一部を執行した後に残りを猶予する「一部執行猶予制度」の創設を盛り込んだ刑法改正案など関連法案を次期臨時国会に提出する方針を固めた。
一部執行猶予制度は、実刑と執行猶予の間の中間的な処遇として導入する。刑務所に初めて入る人のほか、3年以下の懲役や禁錮の判決を受ける薬物使用者に適用することを想定している。同省は、出所後も保護観察を続けて社会の中で受刑者の更生を図ることで、再犯防止を期待している。」
結局、「中間」といっても、宣告される側は、明らかに「実刑」なわけで、刑期の一部についてのみ執行猶予扱いになるに過ぎない。
心配するのは、これまでなら執行猶予が付いていた人について、刑期の一部については「実刑」として刑務所でのお勤めをしなければならないというケースが増えないだろうか、ということだ。
「即決裁判」(あまり利用はないようだが)ができたおかげで、これまでなら起訴猶予になっていた人が、執行猶予付きではあっても有罪として「前科」がつくようになってしまっているのではないか、という感じの、判決版という気がしてならない。
あまり好ましい制度とは思われない。
ある事件の弁護人になった。
犯罪名を見て内容を調べようと、普段使っている刑事用の簡易六法を見たが、載っていない。
それもそのはず、刑法施行前にできた法律がまだ生きている。刑法ができたのが、明治40年4月24日とかなり古い。時代も変わっていることから、その後何回も改正され、私が受験生の頃勉強していた刑法の内容とも大部と異なってきている。
明治の終わりにできた刑法。それよりさらに古い 「決闘罪に関する件」
明治22年にできたもので、当時「果たし合いは罪ならず」などといわれていたところに、一石を投じたもののようだ。
これまでほとんど使われることがなかったといわれているが、最近、暴走族や暴力団の抗争に関して刑法よりも緩やかな要件で犯罪としてしょっ引けると考えたからか、ここのところ増えてきているらしい。
ただ、刑法ができる前の法律だから、そのまま条文通りには適用できない。
これまた明治にできた刑法施行法(明治41年3月28日)によって、内容が変わっている。
科される刑罰は、「重禁固」とあるが、これは、懲役と読み替える。罰金を付加するとあるが、付加しないことにする。など。
それは兎も角、処罰しやすいからと注目されるのは仕方ないが、弁護人の立場からすれば、「決闘」の定義さえはっきりしてないのに、決闘に「挑みたる者」「応じたる者」「行いたる者」「立会を為した者」などどうやって特定するのか疑問がわいてくる。
下手をすると、喧嘩の仲裁に入っただけで、『逮捕』なんてことにもなりかねない。
罪刑法定主義という刑事事件の大原則を極めて軽視している日本の司法の下で、こんな曖昧な犯罪を実質復活させるのは、本当は危険きわまりないことなんだけどなぁ。
『公訴時効』、これは一定の時間の経過によって、その後になってようやく犯人が分かっても、処罰できなくなる制度のことを言います。
被害を受けた側からすれば、これでは被害者がうかばれない、逃げ得じゃないか、という事にもなりそうです。
しかし、逆に、10年も20年もたってから、突然「お前が犯人だ! 違うのならアリバイを証明しろ!」なんて言われたらどうしますか。全く身に覚えがない、しかし、捜査官は、「証拠がある」という。
昨日のお昼ご飯何を食べたかだって怪しいのに、20年前の1991年9月3日何をしていたのか、なんて、覚えている人はまずいないでしょう。何もやってなくても、怪しげな証拠を突きつけられれば、あっという間に冤罪のできあがりとなってしまいます。
そんな事(証拠の散逸)も根拠の一つとして、犯罪によって、一定の期間が経過すれば、捜査もできなくなる訳です(処罰できないのに逮捕・勾留などされたら大変な事ですよね)。
そんな公訴時効の制度が、殺人など一定の犯罪については、(強い反対意見があったにもかかわらず)廃止されてしまいました(期間が延長された犯罪もあります)。刑事弁護をする人がよく使っている刑事・少年事件用の六法(2010年版)にはまだ反映されていません。条文を数回読んだだけでは、何がどうなっているのか、さっぱり分かりません。
それはともかく、「改正」により、えん罪事件が増えることが無いように、例えば、いったん眠ってしまっているような事件の捜査を再開できるためには、普通なら間違いがないというような新たな証拠の存在を要件とすべきでしょう。まだその点についての立法上の対処が出来ていません。今後の課題と言えます。
「ショージとタカオ」 ドキュメンタリー映画の題名である。
アイウエオ順に、桜井昌司、杉山卓男。
44年前、強盗殺人犯として29年間服役し、その後も無期懲役囚として仮釈と言うことで社会に戻ってきた2人の社会復帰後の人生をたどったものだ。
警察や検察、さらには裁判所がきちんとしていれば、決して出会うことなどなかった人だ。そう、無実の罪で29年間、刑務所等に収容され、ようやく無実と認定され、44年かけて、ようやく普通の人の立場を取り戻した普通の人の変わった人生劇場だ。
えん罪。やってもいないのに犯人に仕立て上げられ、犯罪者としての人生を歩まされる。運良く、疑いが晴れればいいが、大半はそのままやってもいないのに犯人にさせられてしまう。
そんな疑いを払拭するのに44年の歳月が必要となった。当時20才の青年が、もう60を越えている。
刑事補償として数千万円の金が入る(予定)が、29年間も自由を奪われたいと誰が思うのか。
第2、第3の被害者を生み出す、冤罪。
この予防のためにも、最低でも、警察段階からの捜査の可視化が不可欠だ。
ぜひ一度機会があれば観てもらいたい。
1~2ヶ月に1回くらいの割合で、当番弁護士というのが回ってくる。
逮捕や勾留をされた場合、最初の1回だけ待機している弁護士が接見に行って、必要であれば、その後の捜査弁護につなげていくというものだ。この費用の出所は、全国の弁護士の会費の中から賄われている。いわばタコが自分の足を食っているという感じか。
まぁそれはともかく、自白強要により冤罪事件が作られてきた歴史から、少しでも冤罪を減らすために先達達が身銭を切って初めた制度が今も生きている。
ようやく「勾留」された以降については、捜査段階でも国が弁護人を付ける被疑者国選という制度が導入されたが、これではカバーできない犯罪が残る。
昨日の日曜日、午後の待機当番だった。
今日は出動要請無しで終わるかな?と思い始めた午後3時45分(待機は午後4時まで)、電話が掛かってきた。FAXを確認すると、やたらと長い罪名。以前見たことはあるが、内容はうろ覚えなので、被疑者国選の対象となる事件なのかどうかを確認するのにも時間がかる(法定刑によって対象となるかどうかが決まっていて、どの類型の犯罪かによって対象となるかどうかが別れる場合がある)。
対象外。
祇園祭もあり、他府県ナンバーの車が多く、だだ混み状態。清水寺の近くの警察署だったので、自転車で行く。それでも、走りにくい。祇園祭の後祭りで、人もいっぱい。午後4時でも、優に30度は超えている。日差しも強い。日焼け止めを塗っての出動。
大汗かいて、ポロシャツ着て、サングラスかけていったからか、警察の受付では、「お前は本当に弁護士か?」と怪訝な表情で迎えられたのでした。
なお、警察署も節電か、蛍光灯もついてない暗い廊下が待っていた。
某準国営?番組の受け売りです。「昼寝」は午後の仕事を効率的に行う上でも有用なんだそうです。
ついに無罪が確定した。
裁判員裁判で、無罪の判決が出ていた事件で、3月30日東京高裁は逆転有罪として、懲役10年罰金600万円を言い渡した。
弁護士登録した頃からずっとかかわってきた再審事件で、請求人であった無実の人が命を落とした。生きている間に助け出せなかったことが悔しい。
数年前、遺言作成をした方から、事情が変わってきたので、内容を変えたいとの相談を受けました。
京都市で、岡崎公園再開発計画が打ち出されている。市内の中心部にある貴重な岡崎球場(軟式)を潰して、ショッピング街にするだとか、外国の富裕層目当ての高級ホテルを作るだとか、という話が出てきている。3月10日には、市民側が求めたことから京都市の説明会が開かれるようだ。
「受刑者も市民」。今日レターケースを見ると、3月6日(日)の講演会の案内が入っていた、その表題が「受刑者も市民」とあり、副題に-厳罰化社会は何を生み出したのか、寛容な社会を考える-とある。この副題の方が、講演のテーマのようだ。
今日の新聞を見ていたら、16日「検察長官会同」が、東京・霞ヶ関の法務省で始まったという記事が目にとまった。この間の検察官の不祥事(証拠改ざん・犯人隠避等)にふれて、「調書至上主義があるなら、改めなければいけない。改革には不満が出るかもしれないが、良薬は口に苦い。しっかり受け止めて欲しい」と、訓示したとあった。
「調書至上主義」とはなんぞや、というと、ばくっというと、(刑事)裁判で、証人や本人の話を直に聞いたことよりも、捜査段階の「調書」を重視し、それを元に裁判を進めるということだ。
この前も、検事が「調書の方がわかりやすいですから」と、本人がいるにもかかわらず、捜査段階の供述調書(検面調書)の採用にこだわっていた。これをあっさり証拠採用する裁判官も裁判官だが・・・
「検面調書」とはなんぞや。書いて字のごとく、「検面」とは、検察官が面と向かって取り調べたということで、「調書」とは、(検察官が)被疑者(主に逮捕とか勾留されている人)を自らが取り調べて聞き出したことを、(検察官が)自ら作文して作り上げて書いたもののことだ。本当は聞き出していないことも含まれているかもしれない。言っているニュアンスが異なっているかもしれない。が、そんなことはお構いなしに、検察官の描くストーリーに合うように調書は作成される。
検察官が聞き出しているのに、検面調書は、1人称で、まるで被疑者本人が自分で書いたかのような体裁になっている。どういう質問にどう答えたのかというような経過は全く現れない。部分的にそのようにわざと作ることもあるが、たいがいが、「独白」調である。
だからこそ、どういう取調状況であったのかを、「最初から最後まで」録音や録画をして、記録にとどめておくこと(可視化)が求められている。この、取調の「最初から最後まで」というところが重要である。検察が進めてきている最後の段階だけの録画は全く意味がない。それどころか、害悪でさえある。
もし、検察庁が、本気で「調書至上主義」を何とかしたいと思っていたとしたら、取調の最後に調書を読んで署名・押印するところだけの録画を進めようとすることとは矛盾する。
だって、それは、調書を今後も裁判での重要な証拠とする(証拠としたい)、ということの表れですからね。
「自白は証拠の女王である」 問題は、ここから脱却するかどうかなんだけど。
新燃岳の規制区域に観光客らが侵入するケースが後を絶たないとの報道がされている。
問題となっている場所が市道なので、何か問題があると、市側に管理責任も生じかねない。しかし、危険だからと侵入防止の標示等をして危険回避を呼びかけているのに、そこで何らかの被害(土石流に巻き込まれたり、噴石の直撃を食らうなど)があった場合にまで、侵入を食い止めなかったとして、何らかの責任が国や地方自治体に生じるのだろうか。
火山活動によるようなケースは、見た限り見つけられなかったが、台風などの異常気象時の道路設置管理の瑕疵が問題となったケースは、少数ながらあるようだ。
一般的な基準としては、「当該道路の構造、場所的環境、利用状況等の具体的、個別的状況に応じ、通常予測可能な危険に対する安全措置が講じられていない場合」には、瑕疵が認められることになるといえる。ただ、この基準では、なんかいろいろ検討して危ないなぁと一般的に思えるのに何も対処しなかったら責任あるよ、といっているくらいで、具体的なケースに当てはめてすぐに答えが出てくるというようなものでもなさそうだ。
危険を承知で、危険な場所にあえて近づき、危険が現実化したら、常識的には、「自業自得」、他人の責任を問題にはできないですよ、ということにはなりそうである。
最近、スキー場でも、禁止区域に侵入して「要救助」という状態になった場合、自費でしか救助しません、と表示されているゲレンデもある。さもありなん、というところだが、この発想を山登りなどの場面に安易に持ち込んで欲しくはない。
いずれにせよ、万が一のことが生じた場合、救助に向かった人が巻き込まれるなど、二次被害も生じる危険があるのだから、危険区域への侵入は控えた方がいい。自己責任、という話だけでは済まないこともありうるのですから。
鹿児島地裁で40日かけて審理されていた強盗殺人事件、(裁判員裁判で)無罪を争っている被告人に死刑を求刑した初めての事件だったので、判決が気になっていた。
無罪!
仮に灰色状態であれば、そんなので有罪となってはたまらない。それが、その人をこの世から抹殺することになる死刑であればなおさらだ。
さて、これまで裁判員の判断を尊重する、と言ってきていた(はずの)検察はどう対応するのでしょうか。
私としては、元々検察官控訴という制度を廃止すべきである(本来の2回危険の禁止にする)と思っているので、控訴は絶対に止めるべきだと思う。これで控訴してひっくり返るようなことにでもなれば、裁判員制度の意味がなくなる。この2週間(控訴期限)の検察の動きが注目される。