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ブログ マチベンの日々

京都地裁のしだれ桜に異変

「京都地裁の周囲を取り囲むシダレザクラ並木に異変が起きている」(2024年9月13日付け京都新聞)。

京都新聞にこんな記事が掲載された。

 

私も数年前から、この異変に気がついていた。

2001年に、京都地裁の東側・南側・西側の歩道上に、建物を取り囲むように植えられたしだれ桜は、毎年4月になると、薄ピンク色のソメイヨシノと違い、とても鮮やかな濃いピンクの花を咲かせている。家裁の紅葉と並び称され、「隠れた桜の名所」とまで呼ばれた。毎年、とても楽しみにしている(2015年4月9日付け当ブログに掲載)。

しかし、ここ数年、花を全く、あるいは、ほとんどつけない木もあって、心配していた。

 

そして、とうとう西側の木数本の枝が切られてしまった。

 

 

 

なぜ、こんなことになってしまったのだろうか?

 

記事によると、地裁は「原因はわからない」としているが、一般論として、アスファルト舗装された道路など、根っこを十分に広げることができない環境下では樹勢が衰えやすくなるとのこと。

 

なんとかもう1度、再生してもらいたいものである。

 

針ノ木岳サーキットを歩く

2013年に日本百名山を完登した後、次は何を目指そうかと考えた時、「楽しい山歩き」をすることのほかに、「北アルプス縦走路をつなぐ」をやってみようと思った。

地図上で北アルプス縦走路を塗りつぶしていくと、いくつか歩いていない箇所があった。

昨年歩いた「栂海新道」(朝日岳から親不知まで)もその1つ。

 

そこで、今年9月14~16日、まだ歩いたことがない針ノ木岳(2821m)から岩小屋沢岳(2630m)をつなぐ登山に出掛けた。

起点は長野県の扇沢ターミナル。扇沢から針ノ木岳まで登り、スバリ岳(2753m)、赤沢岳(2678m)、鳴沢岳(2641m)、岩小屋沢岳(2630m)の5つのピークを踏み、種池山荘から柏原新道を下って、扇沢に戻るという周回コース。逆周りもある。

このルートが「針ノ木岳サーキット」と呼ばれていることを今回初めて知った

 

9月14日は、扇沢登山口から針ノ木峠まで登る行程。

2012年8月に、亡夫と二人でこのルートを下山したことがあった。今回は上り。このルートは8月頃までは、針ノ木雪渓という日本3大雪渓の1つを歩くのだが(2012年の時は雪渓を下った)、今回は9月でもあり、また今年の猛暑で雪渓は例年より早く無くなってしまったとのことで、沢の両岸の高巻道を歩いた。

 

 

年齢による体力の低下と猛暑によるトレーニング不足で、針ノ木峠までの高巻道の急登はかなりきつかった。

 

針ノ木小屋からの眺望。正面中央は七倉岳。

 

 

 

翌15日は、今回のメイン。針ノ木岳を含む4座のピークを踏む予定。

だが、昨夜半には雨が降り出し、朝は雨こそ上がっていたものの、ガスで展望なし。

まずは、針ノ木岳に登り、そこからガレ場を下ったり登ったりするアップダウンの連続。晴れていれば、立山などを展望しながら歩けるルートなのだが、ただ黙々と歩く。足が重い。しんどい。

途中、少し雲が切れ、黒部湖や周辺山が少し顔を覗かせてくれたことが、ささやかな癒やしとなった。

 

 

 

 

途中からはまた少雨が降って来たりもし、早々に小屋(新越山荘)に到着した。

 

3日目の16日。空は明るいが、まだガスがかかって眺望はイマイチ。

今日は、最後のピーク岩小屋沢岳を通過後、種池山荘から柏原新道を下山するのみ。

途中、剣岳や雄山などの立山方面の山頂辺りが雲の上に見えたりした。また、進行方向には、鹿島槍ヶ岳も。

 

 

種池山荘から柏原新道を下山し、また1つ北アルプスをつないだ山旅は終わった。

 

今年は、猛暑にかまけて、夏に近郊の山に登ることもなく、トレーニングをサボったため、やはりそのツケは大きく、急登の連続が続くと、本当にへこたれてしまった。反省しきりである。

 

帰宅後、他の登山者の「針ノ木岳サーキット」のYOUTUBEを観て、今回見ることができなかった、晴れた日のその素晴らしい景色や展望に感動した。

やはり見てみたい景色だ。

 

再度、挑戦してみるかな・・・

 

朝ドラ「虎に翼」の先週の主なストーリーは原爆裁判で、前回ブログで書いたとおり、最終日の金曜日の放映が判決言渡し場面だった。

 

多くの人が「虎に翼」と原爆裁判についてSNSなどに投稿されたりしており、私も改めて知ったこともあるので今回のブログで少し補足することにした。

 

まず、原爆裁判と呼ばれる訴訟は、朝ドラで描かれた東京原爆裁判以降、現在も続いているということである。

折しも2024年9月9日、長崎地裁が、長崎で原爆に遭いながら、国が引いた被爆地域から漏れたため被爆者と認められずにいる「被爆体験者」44人中15人の被爆者と認める判決を下したばかりだ。

京都でも1987年10月、広島の爆心地から1.8㎞で被爆した原告が提訴。1998年12月京都地裁は原告の疾病を原爆によるものと認定した(大阪高裁判決後確定)。

そしてこれら原爆裁判や法律の制定などには、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)や市民などの運動があったことを忘れてはならない。

 

そのような観点で、先週の朝ドラを振り返ると、原爆裁判の第1回法廷期日の傍聴者は寅子の旧知のジャーナリスト一人で、その後の場面でも傍聴席をうめていた多くは記者たちだったことに違和感を覚えた。

しかし当時、この裁判を担ったのは、岡本正一弁護士(裁判半ばで死亡)と松井康浩弁護士の二人で、弁護士主導であったため、まだ運動団体との連携はなかったようである。

またドラマでは、原告女性の尋問が採用されたにもかかわらず、本人の意向で取り下げとなったと描かれたが、史実は、裁判所が尋問を採用せず尋問申請を却下したとのことである。

 

東京裁判の判決後、原告代理人であった松井康浩弁護士は、次のように語った。

「(判決の)この言葉は、私の肺腑をえぐる」「判決が被爆者の権利を否定したことは、多くの学者がやむを得ない所とし、裁判所も被爆者に深甚な同情を示し、政治の貧困をぶちまけてはいてもなお遺憾と言わざるを得ない。被爆者としては、政治の貧困を嘆かれても現実の救済にならないのであって、裁判所から見放されては、もはや救われないのである」

そこには、8年間も原爆裁判を担当してきた原告代理人弁護士の無念な思いがにじみ出ている。

 

しかし、この東京裁判が提訴されたこと、そしてそれによって下された判決は、その後の政治や運動に少なからぬ影響を与えたことは間違いないものである。

 

 

 

 

 

 

2024年9月6日に放映された「虎に翼」は本当に感動的だった。

この日のラスト場面は原爆裁判の判決言い渡し。俳優平埜生成が演じる汐見裁判長が約4分にわたって判決文を読み上げた。そして、これは、史実で実際に言い渡された判決とほぼ同じ内容だった。

 

原爆裁判は、1955(昭和30)年4月、広島と長崎の被爆者5人が大阪地方裁判所と東京地方裁判所で国家賠償請求訴訟を提訴した裁判である(2つの裁判は後に併合)。

朝ドラのモデル三淵嘉子さんは、東京地裁において、3人の裁判官の右陪席として、ただ一人8年間の審理に最初から最後までこの裁判を担当した。

 

判決言い渡しは、1963(昭和38)年12月7日。

なお、史実では、三淵さんは、裁判結審後の1963年4月に東京家裁に異動しているため、ドラマとは違い、判決言い渡しの法廷には出席していなかった。

 

私は、三淵さんだけが8年間最初から最後まで審理に携わったのだから、判決文を起案したのも三淵さんかと思ったら、実際は左陪席の高桑昭裁判官(当時)が草案を書いたという。判決文は130頁に及ぶ膨大なものであった。

高桑さんは「原爆を巡って国家と争う通常の民事とは全く違う特殊な訴訟。大変な裁判を担当したなというのが当時の感想だった」と語る(2024年7月28日東京新聞)。

 

判決は、国内法上も国際法上も被爆者の損害賠償請求権を否定した。しかし、その理由中に述べられた内容は、原爆の違法性と政治の貧困を指摘する非常に格調高いものであった。

 

ドラマでの判決文言い渡しの場面は、涙なしでは観ることができなかった。

 

(以下、実際の判決文より)

「広島市には約33万人の一般市民が、長崎市には約27万人の一般市民がその住居を構えていたことは明らかである。したがって、原子爆弾による襲撃が仮に軍事目標のみをその攻撃目的としたとしても、原子爆弾の巨大な破壊力から盲目襲撃と同様の結果を生ずるものである以上、広島、長崎両市に対する無差別爆撃として、当時の国際法からみて、違法な戦闘行為であると解するのが相当である」

「人類の歴史始まって以来の大規模、かつ強力な破壊力を持つ原子爆弾の投下によって損害を被った国民に対して、心から同情の念を抱かない者はないであろう。戦争をまったく廃止するか少なくとも最小限に制限し、それによる惨禍を最小限にとどめることは、人類共通の希望であり、そのためにわれわれ人類は日夜努力を重ねているのである」

「国家は自らの権限と自らの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだのである。しかもその被害の甚大なことはとうてい一般災害の比ではない。被告がこれに鑑み、十分な救済策を執るべきことは、多言を要しないであろう。」

「しかしながら、それはもはや裁判所の職責ではなくて、立法府である国会及び行政府である内閣において果たさなければならない職責である。しかも、そういう手続によってこそ、訴訟当事者だけでなく、原爆被害者全般に対する救済策を講じることができるのであって、そこに立法及び立法に基づく行政の存在理由がある。終戦後十数年を経て、高度の経済成長をとげたわが国において、国家財政上これが不可能であることはとうてい考えられない」

「われわれは本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおれないのである」

 

結果的に賠償請求は認められなかったが、被爆国の裁判所が原爆の違法性をはっきり示したことは、大きな意義があり、判決文は英訳され、世界的にも国内的にも大きな影響があった。

 

しかし、被害者放置の「政治の貧困」は今も続き、核廃絶の動きも大国の利害の対立の中で進まない、当事者国の日本もアメリカの「核の傘」の下にあって核兵器禁止条約を批准していない。

 

核廃絶への歩みを止めてはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一条天皇皇后・藤原定子の二条宮跡の碑

昨夜のニュースで、一条天皇皇后・藤原定子の二条宮跡に碑が建立されたという報道を観た。場所は室町二条(下る)とのこと。今日、たまたま近くまで用があったので、見に行って来た。

 

 

 

藤原定子(977~1000年)は、藤原道長の兄藤原道隆の長女で、一条天皇の中宮(のち皇后)であった。

現在放映中のNHK大河ドラマ「光る君へ」では、定子を女優高畑充希が演じ、清少納言が仕えた中宮であった。

室町二条南側辺りに定子とその兄で失脚した藤原伊周の邸宅がそれぞれあり、室町二条の北側辺りには道隆の弟道兼の邸宅があったとのこと。

 

 

現在この辺りは、店舗や住宅街になっているが、京都御所にも近いので、平安時代には、天皇に仕える貴族たちが住んでいたんだと思うと、なんだか感慨深いものがある。

 

 

作家佐々涼子さん、逝去

ノンフィクション作家佐々涼子さんが、2024年9月1日脳腫瘍のため、56歳で亡くなった。

 

私が佐々さんの本を初めて読んだのは、当ブログ(2020年9月4日付け)で紹介した「エンドオブライフ」。読み始めて、舞台が京都にある渡辺西賀茂診療所であることを知った。診療所のスタッフらが末期ガンの患者さんたちとどのように関わり過ごしていくのかなどを描いたノンフィクション作品。当時、夫をガンで亡くしたばかりだったので、涙なしでは読むことができなかった。

 

その本を読んで、佐々さんが「エンジェルフライト 国際霊柩送還士」という作品で、2012年第10回開高健ノンフィクション賞を受賞していることを知った。最近、NHKBSで米倉涼子主演でドラマ化もされた。海外で、災害・事件・事故・病気などで亡くなった場合に、遺体を家族に届けるという仕事がある。それが国際霊柩送還士。佐々さんは、国際霊柩送還士の活動を描く中で、故人の生き様そして家族の死を乗り越えて前に進もうとする遺族の姿を描いた。

 

私がこれまでに読んだのは、この2つの作品だけだが、佐々さんは作家になって以来、ずっと「死」というものに向き合って取材、執筆をされてきた。

 

その佐々さんが脳腫瘍に。

昨年8月27日付け毎日新聞での池上彰氏と佐々さんとの対談記事で、佐々さん自身が2022年11月に悪性の脳腫瘍と診断され抗がん治療を続けていることを知った。そして対談の中で、「『今日は楽しかった』と言えるよう毎日を過ごしています」「人生は長さではない。生きている長さで人の幸せは測れない」「どんなに短くても、生き抜くことが豊かで幸福なのだ」などと語られていた。そして、左半身に麻痺があるが、家族の支えで、病気のことを記録に残したいとも。

 

「死」というものの意味を考えさせてくれる作家だった。果たして佐々さんの遺稿は存在し出版されるのだろうか。

今は、2023年に出版された「夜明けを待つ」を読んでみようと思っている。

 

 

 

先週の朝ドラ「虎に翼」は、交際相手の星航一からプロポーズされた寅子(ともこ)が、結婚してどちらの姓にするか悩み、最終的に、航一は事実婚を提案するというストーリーであった。

 

ドラマは約70年前を描いているが、いまだに夫婦別姓選択制度のない日本において、これは、まさに今、現実に突きつけられている問題にほかならない。

法相の諮問機関である法制審議会は、既に1996年に夫婦別姓選択制度を導入した民法改正要綱案を政府に答申しているが、その後約30年経った今も、「家族の一体性」などを掲げる一部自民党国会議員の根強い反対により、法案が国会にも上程されず、夫婦別姓選択制度は実現していない。

 

現行民法(750条)は、夫婦は、夫か妻のどちらかの姓を名乗るとしている。

一見平等であるかのように見えるが、法律婚をするなら、どちらか一方が必ず姓を変更しなければならず、現実には、95%の夫婦が夫の姓を選択し、妻は姓を失っている。仮に、夫が妻の姓を選択したとしても、やはり夫は自分のそれまでの姓を失うのである。

ドラマで、寅子が「私が折れれば」と言ったことに対し、航一は「それでは君の僕への愛情を利用した搾取になってしまう」と答えたことはとても的を得た名セリフであり、こんな男性いるんかなあと思ってしまった。

 

史実においては、寅子のモデルの和田嘉子さんは、三淵乾太郎さんと法律上再婚し「三淵」姓を選択したものの、やはりそこには葛藤があったもののと推察される。ちなみに、嘉子さんの一人息子(ドラマでは娘だが)は、和田姓のままであった。

 

折しも、2024年6月経団連は政府に対し、選択的夫婦別姓制度の導入を初めて提言した。

朝ドラの1947年の民法改正案を巡る審議会の場面で、夫婦が妻の姓を名乗れる改正案に反対した教授に対し、寅子は「息子さんが結婚して妻の氏を名乗ることにされたら、息子さんへの愛情は消えるのですか?」と追及したように、夫婦別姓を選択したとしても、そのことで親と子の家族の愛情に変わることなどあるはずもない。

 

この機に是非とも、夫婦別姓選択制を実現したいものである。

 

 

 

 

京都・五山の送り火(8月16日)

8月16日は、京都・五山に送り火が灯される。

大学時代から京都に住んでいるものの、8月16日は、実家に帰省していたり、登山に行っていたりして、必ずしも毎年見るわけではない。

京都にいても自宅でテレビで観る、なんてこともある。

 

夜8時に、左京区の大文字山の「大」の字に点火され、5分間隔で、東から西に向かって、左京区松ヶ崎の万籠山と大黒天山に「妙」「法」、北区西賀茂の船山に「船形」、北区の大北山に「左大文字」、右京区の嵯峨野鳥居本の曼荼羅山に「鳥居形」が次々と点火されていく。

 

高いビルの屋上から五山全部の送り火を見たこともあるが、私は、一山だけでも間近で見る方が好きだ。

 

今年は、大文字山の「大」を間近で見ようと、まず御所に行った。

御所の東側の場所で確かによく見える場所があり、見物客がたくさんいたが、府立病院の建物や明かりが目に入ってしまう。大きさもイマイチ。

そこで、やはり鴨川の橋か川原はどうだろうと急いで移動する。

川原や橋にも見物客が一杯。御所よりは間近に見えるが、やはり場所によっては建物が邪魔をする。

それほど長く点火されているわけでもなく、それなりに楽しんだので帰宅した。

 

帰宅する際、見物客の「あの大という字はどういう意味?」という会話が聞こえてきた。

そう言えば、五山の送り火の「字」の意味などは考えたことがなかった。

後から調べたところ、「大」の字については諸説あるところ、中国の「五大」(宇宙を構成する5つの要素を意味し、地・水・火・風・空)に由来するという説や、弘法大師が大の字型に護摩壇を組んでいたという説などがあるよう。

 

五山の送り火が終わっても、京都の暑い夏はまだまだ続きそう・・・・

 

 

 

 

 

 

 

熟年離婚が過去最高に

2022年に離婚した夫婦のうち、同居期間が20年以上だった「熟年離婚」の割合が23.5%に上り、統計のある1947年以降で過去最高になりました(2024年8月13日付け朝日新聞朝刊)。

 

これは、厚生労働省の2022年人口動態統計によります。

離婚全体の数は、17万9099組で、減少傾向にあります。

しかし、同居期間20年以上の夫婦の離婚は9万8991組で、この20年以上、4万組前後で高止まりしています。

 

その背景には、平均寿命が延び、子どもが独立すると夫婦二人で過ごす時間が長くなり、性格の不一致などから一緒にいることに耐えられなくなり離婚を選択するケースが多いようです。

退職金など財産分与のことを考え、夫が定年となる2~3年前から妻は準備に動き出すこともあります。

 

長く同居しているからと安心して、定年後、家事もせず、自分中心の生活をしていると、突然、配偶者から離婚届を突きつけられることもありますよ!

 

 

 

 

山仲間の浅野弁護士が、笠ヶ岳登頂で日本百名山を完登するということで、2024年8月4日から7日笠ヶ岳登山に同行した。私は2005年以来の2度目の笠ヶ岳登山となる。

京都からは4人(うち長野弁護士はテント泊で笠ヶ岳で合流)、神奈川からは浅野さんの同期の中野弁護士が合流した。

 

浅野さんは、亡夫が2007年11月に宮之浦岳で、私が2013年8月に飯豊山で、それぞれ日本百名山を完登した時も同行し祝ってくれた。その浅野さんがとうとう百名山を完登する。

 

笠ヶ岳(2897.6m)は北アルプスの南側の西端に位置し、山全体が岐阜県にある山だ。

「笠」の名のつくとおり、均整のとれた綺麗な三角形の山である。

北アルプスの縦走路から離れているので、登山者も少なく、静かな山である。

 

健脚の長野さんは、8月4日わさび平小屋に泊まった後、翌5日、ほぼ直登の笠新道を登るという。

私たち4人は、同日、鏡平山荘まで登って泊まった後、翌5日、弓折岳経由で登ることにした。

 

鏡平山荘近くの鏡池は、正面にそびえる槍・穂高連峰が映るビューポイントである。

 

 

鏡池に至るまでには夕立に降られたが、鏡池に着いた頃には雨もやみ、雲も少しずつ取れて、槍や穂高連峰がその姿をあらわしてくれた。まさに絶景!

 

8月5日、いよいよ笠ヶ岳に向かう。途中、高山植物がたくさん咲いており、北アルプスの山々を遠望しながら歩く。

途中から夕立が降ってくる。笠ヶ岳に近づいているはずだが、ガスでその姿が見えない。

笠ヶ岳山荘に到着する頃には、雨はやんだものの、山頂にはまだガスがかかっている。今日中に登れるか・・・

 

山荘前で休んでいると、ガスが晴れてきたので、登ることに。

山荘からは笠ヶ岳山頂までは、15~20分くらいで登ることができる。

 

そして、ついに、百名山完登!  おめでとう!万歳!

 

笠ヶ岳山頂は広く、360度の展望がある。まだ周囲の山々には雲がかかったりしているが、まずまずの眺望である。山頂で約1時間楽しむ。

 

 

 

 

翌6日は、快晴で、下山中に振り返ると、美しい笠ヶ岳の姿を遠望できた。

 

 

下山は笠新道を下る。久しぶりの長距離の山行だったので、1~2日間は足の筋肉痛がひどかった。

 

 

 

 

古代から好まれていた「かき氷」

7月末に郷里の岐阜に帰った時、いとこ達がかき氷を食べに連れて行ってくれた。

今夏の初かき氷。

かき氷は幼い頃から食べてきたが、成人してからは一人で食べに行くことはない。若い人らと一緒だとそういう店に入れるって感じ。

 

連れて行ってくれた店は、元私の実家があった所のすぐ近く、岐阜市岩田東の「鍋&Dining cotocoto」。

最近のかき氷は量も多くオシャレ。生フルーツがふんだんに盛られている物もある。値段もそこそこするが、この店は比較的リーズナブル。

 

 

 

 

 

ところで、今、NHK大河ドラマ「光る君へ」では平安時代が描かれているが、当時の高貴な人達もかき氷をたべていたとのこと(2024年8月6日付け赤旗)。

一条天皇の后である定子に仕えた清少納言の「枕草子」の中に次の一節があり、これが日本で一番古い、かき氷の記録らしい。

「あてなるもの(上品なもの)」

 

 削り氷に

 あまづら(注:甘葛煎=あまづらせん、という古代の甘味料)いれて

 あたらしき金椀(かなまり)に

 いれたる

 

氷は氷池(ひいけ)で冬の間につくられ、氷室(ひむろ)と呼ばれる天然の冷蔵庫で保管されていたとのこと。

そして、当時は、刀で削られていたので、「削り氷」と呼ばれていたらしい。

 

そういえば、私が幼稚園の頃は、夏になると氷屋さんが車で大きな四角い氷を売りに来て、それを買っていたという記憶が残っている。

 

かき氷は、古代から夏のスイーツとして好まれていたんだね。

先週放映の朝ドラ「虎に翼」では、主人公寅子(ともこ)が新潟地裁で、朝鮮人がスマートボール場を放火したという刑事事件を担当するという場面がありました。

今回の朝ドラは、朝鮮人差別の問題についても正面から取り上げています。

寅子の大学時代の友人の朝鮮人ヒャンちゃん(崔香淑=チェ・ヒャンスク)が、兄が思想犯の疑いで連行され帰国せざるを得ず司法試験をあきらめ、その後結婚して日本人として生活せざるを得ない姿が描かれています。

そして、新潟に移った寅子が担当した事件が、上記の朝鮮人の刑事事件でした。ドラマの中では、寅子がヒャンちゃんの協力も得て、検察官提出の証拠の1つである被告人の手紙の訳が誤訳であることがわかりました。

 

この裁判も実際にモデルとなった事件があることがわかりました。

昭和33年7月25日長野地裁飯田支部で、倉田卓次裁判官(当時)が言い渡した無罪判決です。

被告人は朝鮮人。スマートボール遊戯場を経営しており、100万円以上の負債があり、火災保険金目当てに放火したとして起訴されました。

法律雑誌である判例タイムズ82号P84~に詳細が掲載されています。

 

判決文を読むと、被告人には本件犯行をなすに至る動機も可能性もあるものの他の可能性への合理的な疑いを排除するだけの証拠が見いだせないと判示した無罪判決で、詳細に事実認定がされています。

 

ドラマの中の、手紙の誤訳の部分ですが、実際の判決でも、それに似た指摘がなされています。

それは、翻訳では左から右に読むべき朝鮮文を右から左にへ訳していることが明らかになったため検察官はその証拠を撤回したと書かれていました。

 

勉強になります。

 

 

 

 

 

大学1年生の時からだから、京都に住んで、もうン十年になる。

本書の書き出しに「京都は、一筋縄ではいかない」とあるが、自分がいかに京都のことを知らないか、この本を読んであらためて思い知った。

 

本書は以下の5章から成る。どこから読んでも十分楽しめる。

第1章  不思議地図[京都の謎を歩く]

第2章  新名所案内[ガイドブックに載らないもうひとつの京都]

第3章  魔界案内[京都ミステリースポットをめぐる]

第4章  珍名・奇名[ユニーク地名のルーツをさぐる]

第5章  歴史地図[都誕生の陰に”地の利”あり]

 

例えば、

第1章では、五山の送り火の中で、大文字山の「大」の字だけが国土地理院の「地理院地図」に載っているという意外な事実などが紹介されている。

また路面電車が初めて走ったのも、初めて小学校が誕生したのも、そして初めて駅伝がスタートしたのも京都だった。

 

第2章では、東福寺(東山区)には全国唯一の室町時代のトイレがあること、泉涌寺(東山区)には楊貴妃観音像があること、清水寺(東山区)には蝦夷の首長の慰霊碑があること、「蚕の社」(かいこのやしろ。右京区)には三本足の鳥居があること、竜安寺(右京区)の石庭の15の石の謎等々、どれも訪れたことがある寺なのに知らないことばかり。

観光名所としてではなく、かような「隠れ名所」を見に行きたくなる。

 

第3章は「ミステリースポット」。

京都は雅で華やかなイメージがあるが、他方で、魑魅魍魎が跋扈したというようなおどろおどろしい場所も少なくない。平安時代、民衆の亡骸が捨てられた場所は、鳥辺野(とりべの)、化野(あだしの)、漣台野(れんだいの)。三条大橋がかかる三条河原は、1594年には大盗賊の石川五右衛門が釜ゆでの刑に処せられ、1600年には関ヶ原の戦いで敗れた石田三成の首もここにさらされた。堀川一条にある「一条戻橋」(いちじょうもどりばし)は死んだ人が生き返るという謂れがある。

 

第4章の珍名・奇名も面白い。

京都の地名には、「鞍馬口」や「丹波口」「荒神口」など「口」がつく地名が多いが、これらの「口」には、関所がおかれ、幕府が通行税などを徴収していた場所だったとのこと。

また、奇妙な名前の通りや町名もある。例えば、「天使突抜」(てんしつきぬけ)という名前の通りや町がある。下京区の西洞院通りと油小路通りの間の南北の通りが「天使突抜通り」で、その両側の町が「天使突抜町」である。以前の依頼者の住所が天使突抜町だったので、私はその時初めてこの町名を知った。「天使」は、ずっとエンジェルのことかしらと思っていたが、本書では、「天使」とは「天から降った神」のことで五條天神宮の祭神を指すとのこと。豊臣秀吉が京都の大改革を強引に推し進め、五條天神の境内の中に1本の通りが貫通することになったことから、「天使突抜」と名付けられた。

 

第5章「歴史地図」では、かつて京都南部には、琵琶湖に次ぐ巨大な池(巨椋池:おぐらいけ)があったが埋め立てられたこと、京都には戦国時代には50もの城があったことなど、京都の歴史から解説されている。

 

いつも見ている景色も、歴史を知って見ると、なぜか変わってみえてくる。

実に面白い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご苦労さま」という言葉

土曜の朝日新聞の別刷りbeの中に、国語辞典編纂者の飯間浩明さんの「街の級言葉図鑑」というコラムが毎週掲載されている。毎週1つの言葉を取り上げ、「へぇ~」と思うような解説が書かれてあるので面白い。

2024年7月27日号は、「ご苦労さま」という言葉だった。

 

そこには、「ご苦労さま」という言葉は、若い会社員などは使わなくなっているようで、マナーなどの講習会などで「ご苦労さま」は目下に使うものなので、「お疲れさま」と言いましょうと教わるからと書かれてあった。

実は、私も、ずっと以前に、同様のことをどこかで読み、それ以降、「ご苦労さま」という言葉は意識してあまり使わないようにしていた。

 

しかし、このコラムには「歴史的には、そんなことはありませんでした」とはっきり書かれてある。

「ご苦労さま」は目下にも目上にも普通に使うことばで、江戸時代にはむしろ目上に多く使われていたとか。

 

目下への言い方と教える講師が増えたのは、21世紀に入ってからなんだとか。

なぜそうなったんだろう?その理由を知りたい。

 

ことばって難しいね。

 

 

 

 

 

22年ぶり5度目の礼文島の旅

6月末から7月初めの4日間、22年ぶり5度目の礼文島の旅に行って来た。

 

礼文島は、日本最北端の島。別名「花の浮島」とも呼ばれ、北アルプスなど高山にしか咲かない高山植物をハイキング気分で見ることができる。

若い頃は、すっかり礼文にはまり、わずか数年間のうちに4回も訪れたが、2002年以降、訪れていなかった。礼文に行ったことがなかった夫が「行ってみたい」と言って計画表を作成してくれていたが、残念ながら行く前に亡くなってしまった。そんな礼文に、山仲間から誘いがあったので、久しぶりに行ってみることにした。

 

とにかく礼文島は遠い。4日間の行程のうち、1日目と4日目はほぼほぼ移動のみ。また、私はやはり雨女なんだろうか。今年は、7月1日まで礼文島の天候はとても不安定だった。快晴は帰る日の4日目だけだったが、それでも、その前2日間も雨がずっと降り続くというようなことはなかったので、なんとか久々の礼文を満喫することができた。

 

2日目、まず礼文林道を歩き、レブンウスユキソウを見に行く。

 

 

2日目、桃岩展望台コース(桃岩から島の南端の知床まで)を歩く。強風ではあるが、たくさんの高山植物が咲く中を歩く。

 

 

後方に見えるのが「桃岩」。角度によっては、本当に「桃」のように見える。

 

 

 

知床まで到着すると、次は、22年前にはなかった新たな観光地「北のカナリアパーク」へ。

これは吉永小百合主演の映画「北のカナリアたち」(2012年)のロケで使用された麗瑞小学校岬分校のセットが残され、そこが観光地となっている。

 

 

3日目は、気圧の谷が通過し、昼頃は雨風が強かった。

 

帰る日の4日目。晴れ予報だったので、宿泊したホテルの「早朝の桃岩展望台」へ行く企画に参加。天気が良いと、景色も素晴らしい。最高!

 

 

 

利尻山もくっきりと見える。

 

22年ぶりに訪れた礼文島。22年前と同じように、たくさんの花々が迎えてくれて、やはり礼文島は何度来ても好きな場所だ。

だた、心残りは、悪天候が続きウニ漁ができなかったとのことで、お目当てのウニ丼を食べることができなかったこと・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝ドラ「虎に翼」で、型破りの強烈な個性で目を引くのは、俳優滝藤賢一さん演じる「多岐川幸四郎」裁判官。寅子の上司である。

この多岐川のモデルは、宇田川潤四郎裁判官(1907~1970)。

新憲法の下で最高裁の初代家庭局長になり、日本になかった家庭裁判所を創設した。

多岐川がドラマに初登場した時に滝での願掛けの場面があったが、宇田川さんが滝行をしていたのは実話らしい。

 

宇田川さんは、家庭裁判所の設立や子どもたちの支援、女性の地位向上に全力をかけ、「家庭裁判所の父」とも呼ばれている。

女性の地位が低いままでは安心できる健全な家庭は成り立たない、子どもと家庭の問題は地続きと考えていた。

1969年の朝日新聞のインタビューでも「女性の人格は無視され、男性の暴力のもとに泣いている女性が多い」「国民のすべてが暴力支配を徹底的に排除し、『法の支配』の実現を強調することは大きな義務である」と答えた。

 

宇田川さんは、京都にもなじみが深い。

京都少年審判所長をつとめ、宇治少年院の設立に尽力し(2008年閉鎖)、京都家庭裁判所の所長に就任したこともあった。

 

宇田川さんが亡くなって約55年の歳月が経過しようとしている現在においても、彼が求め描いた家庭裁判所の役割は微塵も変わっていない。

高齢化に伴う成年後見事件の増加、今年5月に民法改正で成立した共同親権に関する紛争の増加が見込まれるなど、今後ますます家裁が関わる事件が増え続けることは明らかである。

しかし、その家庭裁判所の裁判官・調査官・書記官などの人員体制は、国民のニーズにとうてい見合っていないのである。

 

改正民法は、2年以内には施行される。

それまでに、家裁の真の目的が達せられるよう、家裁の体制の充実を求める声をより広範囲にあげていかなければならない。

2024年7月3日放映の「虎に翼」では、昭和25年、刑法200条の尊属殺人罪について、最高裁が合憲判断を下したという場面がありました。

 

六法を読むと、刑法200条の尊属殺人罪の規定は、現在は「削除」されています。

 

刑法200条は、自己または配偶者の直系尊属を殺した者について、通常の殺人罪とは別に、尊属殺人罪を規定し、それが適用されると、法定刑は死刑または無期懲役に限られ、執行猶予は付けられませんでした。尊属殺人の規定は道徳の乱れの歯止めとして機能しているというわけです。なお、この多数意見に対し、朝ドラの「穂高教授」のモデルである「穂積重遠」裁判官は反対意見を書いています。

 

これは明らかに憲法14条が定める「法の下の平等」に反するとして争われたのでした。

 

そして、合憲判決が出てから23年が経った昭和48年4月4日、最高裁大法廷は、日本で初めて違憲審査権を発動し、刑法200条は違憲であるとの判断を下しました。

 

この殺人事件は、昭和43年10月、栃木県宇都宮市で起きました。長年にわたって近親相姦を強いられ子どもまで出産させられていた娘が実の父親を殺した事件でした。娘は「殺そうと思ってやった」と。

 

昭和44年5月29日の第一審判決は、尊属殺人罪について憲法違反であるとしましたが、同46年5月12日の控訴審判決は、一転、合憲であるとし、実刑判決を下しました。

 

しかし最高裁は、この事件を小法廷から大法廷に回し、とうとう違憲判決が下されました。被告人は懲役2年6月・執行猶予3年の刑となりました。

 

そこには、法律の内容がおかしい、不合理だと感じて闘った弁護士がいました。そして、それを正面から受け止めた裁判官がいました。

 

ちなみに、昨日(2024年7月3日)、最高裁大法廷は、旧優生保護法の下で不妊手術を強制されたのは憲法違反だとして、障害者らが国に損害賠償を求めた事件で、旧法を「立法時点で違憲だった」とし、憲法13条・14条に違反すると判断しました。

 

喜びにわく弁護団の中にも、また最高裁大法廷の判事の中にも、知り合いの顔がありました。こうやって歴史は、今も1歩1歩変わっていくと感じました。

 

 

 

別にキムタクファンでもなく、あまり面白くないなあ・・・と思いつつ、毎週観てしまったドラマ「Believe~君にかける橋~」。

キムタク演じる主人公狩山は、橋の設計士。建設中の橋が壊れるという事故が起き、その責任を取って有罪判決を受け、刑務所に入るが、脱走して、えん罪を晴らすというのがストーリー。

 

昨夜(6月20日)が最終回だったが、その最終場面に出てきたのが、「碓氷峠めがね橋」。

 

2022年11月8日付けの当ブログで「人間の証明の旅」について書いたが、その時に群馬県にある「碓氷峠めがね橋」も訪れた。

 

正式には、「碓氷峠第三橋梁」と言う。1892年に完成したレンガ造りの橋では日本最大。高さ31m。鉄道難所の碓氷峠に「アプト式」という方式で作られたとのこと。国の重要文化財にも指定されている。

横川から軽井沢まで碓氷線が通っていたが、今は、廃線となっている。

 

狩山が「やっぱり、いいなあ」「素晴らしい」とつぶやいたように、本当に素晴らしい橋だ。人間が造った構造物でも、素晴らしいものには感動を覚える。

 

 

橋の下をくぐると、横に、橋の上に上がることができる道がある。

上部は廃線跡で、ここは「アプトの道」と呼ばれ、横川から熊ノ平変電所までの約6.3キロの廃線跡を歩くことができるらしい。いつか歩いてみたいと思った。

 

橋の上部

 

 

 

ドラマは、この橋の上部で「きっと、あの橋から、あなたはまた出発できる」という亡き妻の声で終わった。

 

 

ちなみに、Tverで配信中。

 

 

岐阜弁の半数超 若者「知らんて」

先日、急用で郷里の岐阜市に帰ることになり、親戚の家で、たまたま、表題の新聞記事ニュースをコメントしている記事を見つけた(2024年6月8日付け岐阜新聞)。

 

それによると、元記事は5月6日付けで、岐阜放送の元アナウンサーが市内の高校3年生55人を対象に、岐阜弁を調査。50語のうち15語しか理解できていないことがわかり、岐阜弁の衰退が著明となったという内容だった。

 

まあ、それだけの人数の調査で「衰退が著明となった」と言えるか疑問だが、どんな方言が理解できなかったのだろうと興味がわいた。

それで元記事を更に読んだところ、次のような言葉があがっていた。

 

ごがわく、づつない、かざ、くろ、けなるい、ざいはらい、ひまごい、よーさ、やっとかめ

 

う~ん、上記の言葉のうち、若者ではない私だって、3つしか意味がわからへんなあ・・・

 

岐阜に住んでいた頃より、京都に住んでいる方が長くなった。久しぶりに岐阜の友人に会うと、「すっかり関西弁やね」と言われたりするが、実は、本来の京都弁や関西弁など話せるわけがなく、関西の人からは「変な関西弁」と言われたりする。なぜなら、単語のイントネーションだけは、生まれついたものが染みついているからだ。

他方、岐阜に住むいとこや友人らと会話をしていると、ああ~これが岐阜弁だったなあ、と変な感心をしている自分がいる。

 

上記のコメント記事には、「方言は相手のルーツを知る最短で最高のコミュニケーションである。なぜか温かみと親しみを与え安心感をもたらす方言は、故郷の代名詞でもあり、性別や垣根を越えてコミュニケーションができる」と書かれていた。

全く同感である。全国あちこちの山に登るが、山頂で、岐阜弁らしきイントネーションの声が聞こえてくると、つい「中部から来られたんですか?」と尋ねたくなってしまい、相手が中部の人だとなぜかすごく嬉しくなってしまうのである。

 

方言って、いいよね。

 

 

 

 

 

 

八幡平の「ドラゴンアイ=竜の目」に涙

ちょうど1年前の2023年6月11日、私は、秋田県と岩手県の県境に位置する八幡平(はちまんたい)にある「ドラゴンアイ」を訪れていた(2023年6月13日付け当ブログ)。

 

「ドラゴンアイ」というのは、八幡平の山頂付近にある鏡沼という小さな沼が、この時期だけ雪解けによって、まるで「竜の目」のように見える現象を言う。

地元では「蛇の目」と呼ばれていたが、台湾の観光客が2015年、ネットで「ドラゴンアイ」と発信したことをきっかけに、徐々に有名になっていったとのこと。

駐車場から20分程歩けば見ることができるので、観光客にはお手軽だ。

 


 

上の写真は、ポスターなどにも使用されている、ほぼ完璧な形。

昨年私が見た時は、雪の一部が破れて溶け始め、やや形が崩れていた。

それでもやはり神秘的な景観で、わざわざ見に行った甲斐はあったと思った。

昨年6月11日はちょうど日曜だったが、さほど観光客も多くなく、駐車場も混雑していなかった。

 

ところがである。

つい先日6月7日の毎日新聞夕刊で、「ドラゴンアイ」を見ようと観光客が押し寄せ、駐車場に入るまで3時間待たされた日もあったと報道されていた。

昨年行っておいて良かった・・・

 

こんなところまでオーバーツーリズムの波が・・・竜も涙しているのだろうか

あちこちの観光地が、京都市内と変わらなくなっている

 

 

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