田中陽希さんの日本300名山人力踏破のテレビ番組を観て、群馬県にある、まるで軍艦のような山容の荒船山(1423m、日本200名山)に登ってみたくなり、山仲間4人で11月5~7日、群馬県を旅した。
いつも登山計画を立ててくれるA弁護士から、11月6日荒船山下山後に、森村誠一の小説「人間の証明」の舞台の1つとなった霧積温泉(きりづみおんせん)の金湯館(きんとうかん)に泊まる計画を立てたとの連絡が来た。
小説「人間の証明」は、昭和52年初版で、映画やテレビドラマにもなった作品である。
作品のモチーフとなった西条八十の詩はあまりにも有名である。
母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?
ええ、夏碓氷から霧積へいくみちで、
渓谷に落としたあの麦藁帽子ですよ・・・
私も大学生の頃に読んだことがあったが、「霧積温泉の金湯館」なんて出てきたかな?とほとんど忘れている状態であった。
そこで、古い文庫本を出してきて、読み直して旅にそなえた。
さすが、森村誠一の小説は、1度読んだものでも面白い。どんどん読み進み、まる1日で読み終えた。確かに、「霧積温泉の金湯館」はストーリーの重要な舞台の1つだった。
「霧積温泉の金湯館」は、電車では信越線の横川駅で下車。そこから霧積までは歩くと4時間くらいはかかるらしい。
金湯館には一般車は入れないので、山の中のヘアピンカーブを何度も反復した先にある無料駐車場に車を駐車して宿の車で迎えに来てもらうか、駐車場から約30分の山道を歩いて登っていくしかない。
私たちは、神奈川のN弁護士の車に乗り、午後5時を過ぎて日もとっぷり暮れた暗闇の中のヘアピンカーブを走行し、駐車場で宿の送迎車に乗り換えた。
金湯館は山小屋の趣を残す宿だった。
霧積温泉は、古くから湯治場として知られ、明治21年の開発以後は、多数の別荘や商店などが開業し、明治の政界人・文士・外国人などが人力車で来遊したと言われ、一時期大発展したそうである。
伊藤博文が明治憲法を起草するため宿泊したことがあり、その部屋には今も泊まることができる。
作家森村誠一は、大学3年生の時、山道を歩いて金湯館までたどりついて1泊し、翌朝、鼻曲山(はなまがりやま、1654m)という山を通って浅間高原に抜けた。森村は、鼻曲山の手前で宿が用意してくれたおにぎり弁当を食べたが、その包み紙に刷られていたのが、冒頭の「麦わら帽子」の詩であった。
その詩に激しく感動した森村は、20数年後、その詩をモチーフにして代表作「人間の証明」を執筆するに至ったのであった。
翌日、私たちは、森村が浅間高原に抜けるために通過したという鼻曲山に登った。
当初11月7日は妙義山(表)に登る予定であったが、旅の前日の11月4日、A弁護士から急遽「鼻曲山に変更する」という連絡が入った。
こんな機会でもない限り、鼻曲山に登ることはないから、という理由だった。
A弁護士は森村誠一と「人間の証明」の世界にどっぷりと浸りたかったに違いない。
霧積温泉は10月末頃が紅葉の見頃らしいが、登山口に近い登山道脇には、まるで錦絵のような美しい紅葉の樹林が広がっていた。
鼻曲山山頂では、森村と同じように、宿で作ってもらったおにぎり弁当を食べた。
そして包み紙には今でも西条八十の「麦藁帽子」の詩が印刷されていた。
次に金湯館を訪れる機会があれば、伊藤博文が明治憲法を起草した部屋に泊まり、西条八十が帽子を落とした渓谷のある場所まで行ってみようなどと話しながら、霧積温泉をあとにした。