1. ブログ マチベンの日々

ブログ マチベンの日々

昨夜(4月27日)は満月ピンクムーン

昨夜テレビの報道番組を観ていたら、アナウンサーが、今夜は満月が綺麗、ピンクムーンと呼ぶと言っていた。

東京は見えても、京都はどうか・・・?
すぐに外に出て夜空を見上げると、28日は雨予報なのに、明るい綺麗な満月が・・・

ほんのひととき、幸せな気分につつまれた・・・

なお、ネット情報によると、ピンクムーンというのは、月がピンク色なわけではなく、アメリカで4月の花の色から命名されたとのこと。

次の満月は、5月26日。スーパームーン。晴れるといいな。


静岡・中東遠総合医療センター院長、宮地正彦医師

「病院長会議」でコロナから命を救う

AERA21年4月26日号の「現代の肖像」に6頁にもわたって取り上げられた宮地正彦医師。
岐阜高校時代の同級生である。

早速、AERAを購入して読んだ。

宮地医師は、2017年から静岡県の中東遠総合医療センターの院長。

今回、宮地医師がAERAに取り上げられたのは、新型コロナウイルスが蔓延し医療体制が逼迫する中、静岡県は死亡者数を相当に抑えているからだ。
静岡県は、人口100万人当たりのコロナによる死亡者数が32.7人と全国の半分以下で、一番多い北海道の約5分の1。
病院の受け入れ体制と無関係ではない。
病院の受け入れ体制を、「病院長会議」によって整えた陰の立て役者が宮地医師という。

昨年11月下旬、宮地医師は、静岡県内のコロナを診る15の医療機関のトップに「病院長会議」を提案。
どの病院に何人の患者が入院しているかの情報を共有して、カバーし合わなくては救える命が救えなくなる、という思いからだ。
そして、第3波の到来の中でも、それまでコロナを診ていなかった大病院が門戸を開き、圏域を超えた長距離搬送はほとんどなくなったという。


私たち岐阜高校の同級生は、メーリングリストを作っているので、宮地さんのコロナ禍での医療従事者として苦労や取り組みなどは、宮地さん自身のメールを読んで、ある程度知っていた。
でも、今回のAERAを読み、あらためて、その行動力には脱帽する思いである。

このような、コロナ禍で支えてくれる人達の存在を是非知ってほしいと思う。






















大山崎山荘美術館開館25年周年記念「夢をめぐる」

京都府乙訓郡大山崎町の天王山中腹にある「アサヒビール大山崎山荘美術館」が、1996年4月の開館から25周年を迎えた。

美術館は、JR京都駅からJR京都線で約15分のJR山崎駅から徒歩10分くらいで行かれる便利な場所にある。

この美術館は、別荘「大山崎山荘」がマンション開発で取り壊される危機を経て修復整備されたもの。

長年京都に住んでいても1度も訪れたことがなかった。
7月4日まで25周年記念展「夢をめぐる」が開かれているということで、初めて行ってみた。

確かにJR山崎駅から徒歩で行かれる場所に位置しているが、天王山の麓だけあって、かなりの急坂(無料送迎バスあり)。

やっと門に到着。

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門から更に庭園内の急坂が続くが、新緑が生い茂り、それは素晴らしい庭園である。

急坂を登り切った所に美術館がある。
通常の美術館の建物とは異なり、山荘だから洋館風。


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今回の記念展では、約70点が展示されている。

中でも圧巻なのは、モネの絵画。
8点所蔵するうち7点が、「地中館」に展示されている。
モネのこれらの作品がこの庭園の雰囲気にも、とてもマッチしていた。




マスクと「季語」

この1年のコロナ禍の下、マスク姿が世相を表す象徴となっている。

私は、遠方に住む友人の誕生日には毎年バースデーカードを送っているが、今年は猫がマスクをしている絵が描かれているカードを見つけたので選んだ。マスク姿は今年だけになるようにと願って・・・・

南八ヶ岳の赤岳鉱泉・行者小屋では、「カモシー」が描かれているTシャツが販売されているが、昨年のTシャツは、その「カモシー」はマスクを着けていた。ちなみに、そのTシャツはすぐに完売となったとのこと。

ところで、2021年4月18日付け京都新聞朝刊の「天眼」の欄で、歌人でJT生命誌研究館館長の永田和宏さんが「季語」について書かれていた。

それによると、俳句の世界では、マスクは冬の季語。

 眼はうごき眉はしづかにマスクの上      山口誓子

この1句では、当然、オーバーを着たり、マフラーをした相手を思い浮かべる。

永田さんは、「いまマスクはいかにも宙ぶらりんの存在として、俳人はなんとなくマスクを詠むことをためらっているようにも映る」と書かれていた。

それにたいし、「季語」がない短歌は、「マスク」は、ウイルスという目に見えない感染をもっとも端的に見せてくれるものとして、投稿欄に溢れていたという。

 疑えばすべて罹患者バスの中 マスクがマスクを監視している
                          牛島政行

 街中で会う人会う人みなマスク どこの店でも売ってないのに  
                       伊藤次郎

そうか、短歌には「季語」がないのか・・・・子どもの頃に習ったはずだったのに、すっかり忘れていた。
確かに、「季語」を考えなくてよいなら、その分、自由だよね。

永田さんも「俳句でリアルな時代状況が詠えない理由の1つは、案外、このあたりにあるかもしれない」と結んでおられた。

納得

いずれにしても、マスクという時代状況が今年で終わることを願う。





福井県は恐竜だけじゃない~年縞博物館~

今日(4月17日)は、「恐竜の日」だそうである。

1923年4月17日に、ロイ・チャップマン・アンドリュースという米探検家がゴビ砂漠へ旅立った日という。アンドリュースは、化石ハンターの先駆者で、映画「インディー・ジョーンズ」の主人公のモデルの一人とのこと(4月17日付け朝日新聞朝刊「天声人語」より)。

「恐竜」と言うと、「福井県」を思い出す。
恐竜博物館のある勝山市にはスキーをしに何度も訪れたが、恐竜博物館は通り道ではあるものの、残念ながら今まで1度も立ち寄ったことがない。

ところで、福井県には、「恐竜」以外にも、興味深い博物館があることを、先月初めて知った。

「年縞(ねんこう)博物館」

2018年9月15日に出来た、この、まだ新しい博物館に、今年3月、福井に住む友人に連れて行ってもらった。

年縞とは、長い年月の間に湖沼に堆積した沈殿物のこと。
春から秋にかけてと、晩秋から冬にかけてとが、堆積物が異なることから、それが湖底で層になって沈殿する。

この博物館には、三方五湖の中の水月湖の年縞が7万年にわたり連続して残り、それが綺麗に採取され、陳列されている。
驚きとしか言いようがない。
これほどまでに長い間の年縞が残っているのは、世界でも水月湖しかないという。

その訳は・・・・? 是非、実際に博物館を訪れてみてください。

私には、恐竜以上に、興味深いものだった。












「いちごバター」を作ってみました

成城石井の「いちごバター」は即日完売される、数量限定のネット予約でしか買えない、などというネット記事を読み、「いちごバター」というものに興味を持っていた。

そんな折り、テレビ番組の「相葉マナブ」で、いちご特集が放映され、その中で「いちごバター」のレシピも紹介されていたので、そのレシピで作ってみることにした。

今、いちごは旬だし、生で食べるわけではないので、一番安いいちごを購入。

作り方は、いたって簡単。

  いちご    100グラム
  バター(加塩) 80グラム
  練乳       50グラム
いちごとバターを適当な大きさに切り、それを一緒に容器に入れて、電子レンジ(500W)で3分チンするだけ。
その後、練乳を加え、4時間ほど冷蔵庫で冷やすと出来上がり。


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パンに塗ると、こんな感じ。
練乳が入るので、ピンク色になる。

味は、スイーツのようになって、美味しい。
いちごはもう少し大きく切った方が、ゴロゴロ感があっていいかも。

簡単だし、自家製の方が添加物が入っていなくていいよね。

梅小路公園「手作り市」へ

今年2月、十数年ぶりに亀岡市在住の知人Nさんから電話があった。

手先が器用な彼女は、梅小路公園の「手作り市」に出店していたそうで、しかしコロナのため、しばらく手作り市が開かれていないと語った。

「手作り市が再開されたら、連絡してね」と言ったところ、先日再び電話があり、4月3日(土)に手作り市が開かれて、彼女も出店すると連絡をくれた。

京都では、あちこちで「手作り市」が開催されており、私もそのいくつかに行ったことがあるが、梅小路公園には行ったことがなかった。

土曜日の他の予定が長引き、約束の時間まであまり時間がなかったので、「今日はもう行けない」と電話すると、「天気もいいし、来るまで待ってる」と言ってくれたので、急いで出掛けた。

JR京都駅から嵯峨野線に乗って、次の駅「梅小路京都西駅」で下車すると、目の前が梅小路公園。

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Nさんの店舗は、入り口近くにあった。

久々の再会。

Nさんは、着物を洋服にリメイクして販売しているとのこと。
私も、普段用の帽子を購入。
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Nさんとその友達

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最後は、手作り市をグルッと回る。
愛飲している甘酒「京淡雪」の店舗も出店されていたので購入。


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また、行くからね~。


大河ドラマ「天を衝け」の山頂シーンは、この山

渋沢栄一を主人公とした、NHK大河ドラマ「天を衝け」。

3月28日に放映された第7回「青天の栄一」は、藍を売りに行く栄一が詩を詠みながら険しい山を登り、頂きで自分の思いに気づくという感動的なシーン。

抜群の展望の素晴らしい景色であった。

登山を趣味としているので、山を登るこのような場面を観ると、まず、着物であの崖を登るのは大変だっただろうなあと思った。

次に、この山はどこだろう・・・
合成ではなく、実際に登ってるよね。
実際の栄一は、妙義山を越えて江戸に行ったようだが、妙義山はかなり険しい山なので、妙義山ではないと思った。
同じ山仲間から「どこの山かわかった?」と聞かれ、「わからなかった」と答えると、あのシーンは「谷川岳」だと教えてもらった。

私は、谷川岳には、2007年と2017年の2回、登りは、いずれも西黒尾根から登った。
西黒尾根は、かなり厳しい登山道で、特に2017年は途中で雷雨に遭遇し、30分程停滞を余儀なくされた思い出の山。

別の登山ルートしては、天神平ロープウエイを利用する方法があり、そのロープウエイを利用すると、比較的楽に登ることができる。

撮影は、おそらく天神平ロープウエイ降り場から山頂までの登山道のどこかで行われたのだろう。

ドラマタイトル「天を衝け」とつながるシーンで、面白かった。

残雪の北八ヶ岳ウォーク

3月27~28日、山仲間のA弁護士とHさん、神奈川のN弁護士の4人で、残雪の北八ヶ岳を歩いた。
当初はスノーシューハイクが目的だったが、雪がかなり緩んでいたのでアイゼンを着けて歩くことになった。

第1日目のコースは、北八ヶ岳ロープウエイ山頂駅(2233m)から茶臼山(2384m)と麦草峠(2120m)を経て、白駒池まで。

ロープウエイ乗り場には雪は全くなかったが、山頂駅は一面の雪原。


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天候が悪化する予報であったが、27日の長野県は晴天。

歩き進んで展望の良い所に出ると、北・中央・南アルプスのすべての山々を望むことができた。

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雪の登山道の水平歩きは快適だが、茶臼山への登りは、かなりの急坂もあり、雪にアイゼンを押しつけながら、汗だくになって登った。

茶臼山の展望所からの展望も絶景。ここで昼食。

その後は、麦草峠までひたすら雪の急な下りの登山道を慎重に下る。

麦草峠到着。


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A弁護士とN弁護士は、麦草峠から更に高見石まで登って白駒池に行こうと言ったが、私とHさんは疲れ果てて、その脚力も気力もなく、結局、4人で白駒の森経由で白駒池に向かった。

白駒池に到着。
池には一面に氷が張り、そこを登山者が歩いている!見たこともない景色に感動!
私も恐る恐る、池の氷の上まで行き、歩き回った。


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白駒池のほとりにある白駒荘に宿泊。2018年に新館が建築されて、綺麗な宿。
来年が100周年とのこと。


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料理もたくさんあってとても美味しかった!
写真の野菜盛りだくさんのおかず以外に、牛しゃぶもついた。
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翌28日は、雪山を登ってロープウエイ山頂駅まで戻った。
山頂駅に戻るまでは、雨に降られることもなく、まずまずの雪山ウォークだった。































佐野藤右衛門邸の桜

今年は最速の桜とのこと。

右京区に在住の桜守「佐野藤右衛門さん」邸の桜を一度見たかった。

見上げるほど高い桜。予想に反し、5~7分咲きだったが、見事だった。


DSC_1060.JPGのサムネール画像
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再入所のごあいさつ

今年1月から、京都法律事務所に再入所しました。
京都法律には、1982年4月、弁護士登録と同時に入所し、弁護士人生の大半をここで過ごし、多くのことを学び経験しました。

約9年間、事務所を離れていましたが、縁あって、再び京都法律で仕事をすることになりました。

微力ではありますが、これまで培った知識や経験を生かし、皆様のお力になることができれば幸いです。

よろしくお願いします。

日曜日の朝

 
昨日の大雨が嘘のように晴れ上がった日曜日(11月8日)。
 
朝、烏丸高辻にある因幡薬師までウォーキング。
毎月⒏日、ここで手作り市が開かれている。
 

 
お目当ては、かすみ亭の甘酒「京淡雪」。
 

 
京都市役所前の地下街ゼスト御池の手作り市に出店されていて知ったのだが、コロナ以降、ゼスト御池には出店の機会がない。
友人から、因幡薬師の手作り市でも買えると聞き、⒏日が日曜日なので、やっと行くことができた。
かすみ亭の甘酒を牛乳に入れて飲むのがマイブーム。
3本をゲット。
 
帰り道に、京都市男女共同参画センターの「ウイングス京都」の建物に立ち寄る。
 
ウイングス京都では、女性に対するあらゆる暴力をなくすことを伝え、そのためにできることを考える機会として、11月をパープルリボン月間としてイベントを行っている。
 

 
 
 
 
 

裏大文字山登山

 
京都に来て、もう何十年にもなり、大文字山(左京区)にも何十回と登っているにもかかわらず、「裏大文字山」という密かな場所があることを知らなかった。
 
最初に聞いたのは、まだ登山を始めたばかりのジム仲間のMさんから。
Mさんは、銀閣寺辺りに住んでいるので、最近では、友達と何度も大文字山に登っているとのこと。
そのMさんが、大文字山には「裏大文字」と呼ばれている場所があり、そこには滝があって、春は花、秋は紅葉がとても綺麗だと教えてくれた。
ネットには何人かの人がアップしているが、地図には登山道は載っておらず、迷いやすいらしく、知る人ぞ知るという所のようだった。
GPSを持つ山仲間のA弁護士にいつか連れて行ってもらうしかないなと思っていた。
 
そんな折り、幼なじみで登山未経験ののshocoさんが、愛宕山に登りたいと言い、その訓練として大文字山に登るため、9月に京都にやって来た。
それで、一緒に大文字山に登り、京都市内が一望できる火床で休憩していると、嵐山から週1回は大文字山に登りに来るという高齢のオッちゃんが話しかけてきた。
オッちゃんは、裏大文字のことを話し始め、春にはコブシや藤がそれは見事に咲くことなどを教えてくれた。でも、先日も山頂から裏大文字に下山しようとした女性が道迷いをして、2時間かけて助けに行ったなどとも語った。
 
私の「裏大文字に行きたい!」という思いは俄然強くなった。
そこで、Mさんに「裏大文字」を知っている人に連れて行ってくれるようお願いした。
 
10月のある日、Mさんと案内人のCさんの3人で、「裏大文字」から山頂まで登り、南禅寺に下山することになった。
Cさんは40代で、この季節に半袖で歩いてきた、たくましい女性。
 
さあ、出発!
 
いつもの銀閣寺登山口を通り過ぎ、突き当たりを少し右に行くと、そこにも登山道があった。
その後は、Cさんの後をひたすら付いて登るだけ。
確かに、山の雰囲気は、表側とは全く異なり、小川が流れ、紅葉の木々もたくさんあって、とても静かな雰囲気。
水が豊富で、途中に滝もあった。
 

 

ただ、所々、道がいくつもに分かれており、これは「道迷い」するわと納得した。
 
 
約2時間15分くらいで山頂(465m)に到着。
 

 
山頂からは東山トレイル道を歩き、途中から南禅寺方面に下山した。
 

 

 
 
裏大文字は確かに「穴場」。
でも、あと2-3回は行かないと、道が覚えられないなあ・・・
 
 
 
 
 
 
 

池善化粧品店、2020年12月末で閉店へ

 
四条河原町の南西角。
京都高島屋の巨大なビルが建っているが、そのビルに食い込むように3階建てのビルが建っている。
そこの1画は「くぼ地」と呼ばれているらしい。
(下の写真の正面の木の左側部分)
 

 
「池善化粧品店」・和菓子店「尾州屋老舗」(2020年3月廃業)・毛糸店「新雪」(現在、休業中)の看板を掲げる3店が営業していた。
 
そのうちの1店舗「池善化粧品店」が店主高齢のため、今年12月末で閉店となるという記事が2020年10月27日付け京都新聞朝刊に載っていた。
 
京都新聞は、2018年9月4日と5日の2日間にわたり、上「京都高島屋隣の謎」・下「『池善』の歩み」と題して、この四条河原町角の小さなビルのことを特集で紹介したことがあり、私は、いつかブログに書こうと思い、この記事を切り抜いて保管していた。
 
「池善化粧品店」店主井上清次さんの話によると、戦前の1930(昭和5)年に先代が店を開けた。それまでの河原町通りの拡幅で80坪の土地が20坪になってしまったので、化粧品なら小さな場所でもできるやろと建てたそう。
 
その後、店舗を拡大していった高島屋にとっては、のどから手が出るほど欲しかった場所だろう。
しかし、不動産業者から何度も買収を持ちかけられても、「目の前に何億積まれようと、お金じゃない」。立ち退きは考えたことがないという。
四条河原町界隈には、先々代の池善金物屋やその二男の洋食器の店があったが、それも今はない。
「池善」の屋号を掲げる店は、池善化粧品店だけになった。井上さんは「だからこそ、先代が継いだ土地での商売を守りたい」と。
 
以上が、2018年の京都新聞の特集記事の中からの抜粋。
 
その「池善」の歴史が、店主の高齢化により2020年12月末で終わろうとしている。
井上さんにとっては、なんとも無念であろう。
新しいテナントが入るらしいが、井上さんの思いが受け継いでいかれるといいなあと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
短歌や俳句などの「歌」には、これまで全くと言っていいほど関心がなかった。
 
毎朝6時25分からEテレのTV体操をしているので、それが放映される前、確か日曜だったかに、短歌や俳句の番組をやっており、新聞を読みながら、なんとはなしに観ているだけ。
出演者や先生の作品に、思わず「すごい!」、どこからこんな言葉が浮かび上がるのだろうと関心しつつ、自分とは無縁の世界であった。
 
そんな私が、「歌に私は泣くだらう」という文庫本(新潮社)を買って読んだ。
著者は、永田和宏さんという京大理学部出身の細胞生物学者で、コラーゲンの生合成に関わるhsp47というタンパク質を見つけて世界的に注目された方なのだが、本を読むまでは、私は全く知らなかった。
 
本を買おうと思ったきっかけは、高校の同級生のメーリングリストの中で、同級生らが短歌を話題にしており、ある男性が、
「『歌に私は泣くだらう』という本が圧巻で、出張の新幹線で読みながら、人目を気にしながらも号泣してしまいました」
と書いていたからだった。
そこまでの本っていったい・・・?と思い、購入した。
歌人であった妻河野裕子さんが2000年9月に乳がんの診断を受け、2010年8月に64歳で逝去されるまでの、夫婦の壮絶な生活がお二人の「歌」と共に書かれ、読みながら、私も号泣した。
その本を読んで、永田さんと河野さんは、京都に住んでおられ、様々な短歌の賞を何度も受賞をされたご夫婦であること、娘さんや息子さんも歌人である歌人一家であることなどを知った。
 
ネタバレになるので、本の内容はここには紹介しないが、偶然にも、11月3日に円山公園で開催される憲法集会のメインの講師が永田和宏さんであることを知った。
講演テーマは「新型コロナが問う日本と世界」。
永田さんは、最近の、日本学術会議の任命拒否問題についてもかなり怒っておられるようで、そのことにも触れられるとのこと。
「細胞生物学者」などと聞くと、世間離れした堅物の男性をイメージするかもしれないが、本の中の永田さんはとても人間らしい方であり、11月3日の講演は楽しみである。
 
 

座りすぎで、がん死亡リスク

 
座りすぎは、がんになりやすい!?
2020年10月8日付け京都新聞朝刊の記事である。
 
厚生労働省が進めるプロジェクト「がん対策推進企業アクション」のアドバイザリーボード(助言機関)の議長でもある東京大学病院放射線科准教授の中川恵一さんは、新型コロナへの十分な注意以上にがん対策をおろそかにしないことが非常に大事と語る。
 
コロナ禍では、がん対策上、
①在宅勤務の増加による生活習慣の悪化
②がんの早期発見の遅れ
③がん治療の影響
の3つの問題があるという。
 
①について、実は最も重要なことは座り過ぎだという。
座り過ぎはがんになりやすいことが分かってきたとのことで、座り過ぎの健康リスクを帳消しにするには1日1時間以上の運動が必要とのこと。
 
米テキサス大MDアンダーソンがんセンターが8000人を対象に実施した研究では、座っている時間の長さで3群に分けて5年間追跡、がん死亡リスクを比較した。
最も長い群はみじかい最も短い群に比べ、がんの死亡リスクが8割も高かったという。
 
これは、喫煙によるリスクを上回るほど高いとのこと。
 
お薦めは、「30分に1回は立って動くこと」らしい。
 
なんとなく本当かな?って思ってしまうが、「30分に1回は立って動く」ことは簡単なことなので、とりあえずやってみよう。
 
 
 
 

北嵯峨の彼岸花

 
真っ赤な彼岸花は、とても綺麗だが、子どもの頃は、彼岸花と言うと、「家に持って帰ると火事になる」と言われていたことを思い出す。
炎のように真っ赤なことを表していたのか、あるいは、摘んで帰るふとどき者を避けるためだったかは、今から思うと謎である。
 
新聞に、奈良県の葛城古道の彼岸花の写真が掲載されていた。
真っ赤な彼岸花があぜ道に沿って綺麗に列をなし、田んぼの黄色とのコントラストがそれは見事な写真だった。
 
そこで、京都にそのような場所はないかと探したところ、北嵯峨にそのような風景が広がっていることを知った。
北嵯峨は、大覚寺や大沢池がある辺りだ。
 
裁判所前のバス停から市バス93番で行かれるので、行ってみた。
 
JR嵯峨嵐山駅前下車。
大覚寺や大沢池の東側が目的の場所のよう。
住宅街をどんどん北に歩いて行く。
そのうち田畑が広がり始め、北嵯峨高校辺りからは、彼岸花の赤が所々見えるようになった。
 
そこには、これまで京都市内では見たことがないような風景が広がっていた。
 

 
稲刈りも終わり、彼岸花も少し枯れ始めており、新聞の写真のような鮮やかさではなかったが・・・
 
でも、こんなに見事に咲いている彼岸花もあった。
 

 
田んぼにはサギもたくさんいて、本当にここが京都市内かしら?と思うような景色だった。
 

 
のどかな景色を味わった後は、隣の大沢池を1周した。
ちょうど中秋の名月の頃なので、夜のお月見観賞用の座席などが設置され、池には船も浮かんでいた。
 

 
 
 
 

オッサン達の再会をプロデュース!?

 
オッサンAは、高校と大学の同級生。但し、学部は理学部。
高校の時は、お互い知らなかったが、大学に来てから知り合い話をするようになった。
大学卒業後も、高校の同窓会でたまに会ったりしていた。ちなみにAも京都在住。
 
オッサンIも大学の同級生で、理学部。
理学部から別の大学の医学部へ行き、今は、大阪で医者をしている。
Iとは、年賀状を交換するだけで、約40年位会ったことがなかった。
 
今年2月、身内の病気のことで、どうしても相談したいことがあり、オッサンIと会うことになった。
特に約40年の空白を感じることはなく、自然に再会を果たした。
Iと話をする中で、実は、学生時代、IとAは二人とも数学を専攻し、とても仲が良かったことを初めて知った。しかし、卒業以来、会っていないし、連絡もしていないとのことだった。
私は、Aの携帯電話番号を知っていたので、教えた。
 
その後、しばらくして、オッサンIから「Aと電話で話したが、あまり会話にならなかった。やっぱりオッサンはダメや~」とのメールが入った。
私たちオバさん同士なら、いくら何年も会っていなくても、すぐに打ち解けておしゃべりするのに、なんてことだろう!とあきれた。
 
それから、また、しばらくして、またオッサンIから「Aと京都で会うことになった。コミュニケーションが取れないかもしれないから、同席して」とメールが入った。
「喜んで」と返信し、候補日を複数伝え、その時は、私は連絡を待つだけだと思っていた。
 
その後、Iから日の連絡が来たが、日と曜日が違っていたため、Iからは、再度Aに確認するとメールが来たきり、いつまで待ってもメールが来ない。
しびれを切らして、Iに連絡すると、「Aから返事がない」と。
この時点で、もう2人には任せておけないと思い、私からAにメールを入れた。
Aからは、すぐに返信があり、「知らないメルアドからのメールだったから、返事しなかった」とのこと。
そのメルアドは、Iの自宅と職場やん!
それからは、私が二人と連絡を取り合って、日も時間も店も料理も決め、当日を迎えた。
Iいわく「オレ達二人だったら、無期延期になっていたと思う」。
 
9月27日(日)正午。
私とIとは時間どおり店に到着。しかし、Aは来ない。嫌な予感・・・
電話を入れると、腰痛が痛くて、1時間位遅れるとのこと。(電話くらい、せえよ!)
午後1時、やっと、オッサン二人は再会を果たした。
 
それからは、「何がコミュニケーションが取れない」だよ!
二人で、数学の○○の定理とか統計の話から始まり、天皇史、キリスト、ローマ史などなど、私がついていけない話題を、面白がってずっと話していた。
ランチの店を出て、喫茶店に移っても、延々としゃべっていた。
割と静かな喫茶店で、オッサン2人が大きな声で小難しい話をしているんやから、きっと周囲は迷惑だっただろうと思う。
約40年ぶりでも、これだけ話が合うんやから、仲が良かったはずだ。
でも、これだけ、会話に参加できないことって、私にとっては珍しいことで、なんか理系の人は興味関心の世界が違うのかって思ってしまった。
 
でもまあ、再会が実現して、良かったよ。ホント。
 
 
 

ZoomでZumba

 
Zumba(ズンバ)とは、スポーツジムなどで行われているダンス系エクササイズ。
何曲かの曲に合わせて、サルサやヒップホップなどのステップも取り入れ、インストラクターが曲毎に振り付けて踊る。
 
私もスポーツジムへ時々行くが、Zumbaレッスンは、1~2回ほど受けたことがあるだけ。
 
つい最近、私のいとこの娘Rちゃんが、そのZumbaのインストラクターになったことを知った。
そしてコロナ禍のもとで、今は、Zoomで教えているという。
 
「1回受けてみて」と言う、いとこの勧めもあって、昨夜初めて、ZoomでRちゃんのレッスンを受けた。
60名余りが受講。
久し振りに見るRちゃんは、とても明るく、はじけていた。これが若さや!
 
合い間に水分補給の時間は少し与えられるが、ほぼ約50分間踊りどおし。
今年は登山へもあまり行っていない運動不足の身体には、とてもハードだった。
クーラーの中で踊ったが、久し振りに汗をかいた。
 
でも、踊りは好きだが、やはり、Zoomは好きになれないなあ・・・苦手
 
 
 
 
 
 
 

 
2020年9月5日午後、京都市ごみ減量推進会議主催の講座で、「佰食屋」(ひゃくしょくや)のオーナー中村朱美さんの講演会「食べ物を捨てたくない~常識にとらわれない『佰食屋』が目指すもの」があったので、参加した。
 

 
実は、この企画は、コロナ禍のために、1度延期になったものだった。
 
佰食屋のオーナー中村さんは、数々のテレビにも出演している、京都では有名な女性起業家である。
2015年「第4回京都女性起業家賞 最優秀賞」
2019年日経ウーマンの「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2019 最優秀賞」など受賞多数。
ランチのみ100食限定で、完売次第営業終了という飲食店の常識を覆す経営手法で、飲食店でのワークライフバランスとフードロスゼロを目指し、実践している。
 
中村さんの話は、はぎれもテンポも良く、ぐいぐい引き込まれた。
 

 
飲食店で、食品ロスが生じる原因を3点にわたって説明。
1、メニュー構成が多い
2、来客数が読めない
3、めんどくさがりすぎ
 
また、「究極の社員教育」として、徹底した役割分担と責任の明確化をあげた。
 
コロナ禍のもとで、4店舗のうち繁華街にあった2店舗閉店を余儀なくされたが、それを教訓にして、今後へのやる気は満々。
更に、新たな防災ビジネスも考えていると語る。
 
家族や人に対する優しさを経営の中でも実践しようとするバイタリティに感銘を受けた。
 
 
 
 
 

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