2019年9月21日、私が2011年末まで在籍していた京都法律事務所の創立40周年記念企画として、望月衣塑子(いそこ)さんの講演「真実は現場に~私たちが変える未来~」がウイングス京都で開催されたので、参加した。
望月さんは、東京新聞社会部記者。1975年生。
2017年4月以降、森友学園・加計学園問題の取材チームとなり、管官房長官の定例記者会見に出席し、官邸から「嫌われても、嫌われても」鋭い質問を行っている女性記者である。
現在、彼女をモデルとした映画「新聞記者」が全国で上映されており、正に「時の人」。
開会時間の午後2時に会場に行くと、240名の会場はもう満席。大盛況だ。
早い人は午前11時から並んだとか。
講演は、今、政治(特に、安倍首相・管官房長官をはじめとする官邸)と報道の現場で何が起こっているのかを中心に話された。
いやあ、とにかく、身振り手振りも交え、早口だが、話がパワフルで、かつ、面白くわかりやすい。
国民から真実を覆い隠そうとする安倍内閣の恐ろしさ、報道の自由や国民の知る権利の危機、そしてその報道の自由を守ろうと闘う記者らジャーナリストの存在・・・
講演時間は40分も超過したが、もっと聴きたいと思う内容だった。
講演終了後にロビーに行くと、望月さんが出てこられたので、持参した彼女の本「新聞記者」(角川新書)にサインをもらう。
事務所の40周年にふさわしい、とても良い企画だった。
準備、大変だったと思う。
所員の皆さん、お疲れ様でした。
ブログ マチベンの日々
今日9月20日からラグビーのワールドカップ(W杯)が日本で開催される。
私の大学時代のクラスメートがこのワールドカップの大会組織委員会に関わっているので、数年前から日本開催のことは知っていたものの、これまでラグビーというスポーツそのものには、あまり関心がなかった。
でも、9月15日に最終回を迎えた池井戸潤原作のTBSドラマ「ノーサイド・ゲーム」は、巨悪うずまく企業社会、その企業の中でのラグビーと人間模様が面白く、欠かさず観てしまった。
また、昨年、NHKで放映された「不惑のスクラム」もラグビーにかける中高年のオッサンたちの熱い思いが伝わってきたドラマだった。
これらのドラマを通じて、ラグビーの試合終了を「ノーサイド」と呼び、それぞれのサイドで闘うが、試合が終われば敵も味方も区別がなくなるという意味があることを知った。
ノーサイドは敵意を友情に変えるのである。
単に勝敗を競うだけではない、そんなスピリットのあるスポーツは、他にあるのだろうか。
9月19日付京都新聞朝刊1面には、亡平尾誠二さんの記事が掲載されていた。
平尾さんは、京都市出身。伏見工業高校3年で全国高校大会優勝。同志社大学で全国大学選手権3連覇。W杯には1987年の1回大会から3大会連続で出場。4回大会は、監督を務めた。
今では当たり前になった外国人選手の起用についても、当初は反対や批判があったが、彼は意思を貫いたという。
「日本ラグビーが今、世界と渡り合えるまで成長したのは平尾の功績に尽きる」とは伏見工業高校でバックスのコンビを組んだ高崎利明さんの言葉。
2019年のW杯を通じて、私の中でも、もう少しラグビーが身近なものになるかもしれない。
書店をブラブラして、ふと手に取って買ったのが「がん外科医の本音」(SB新書)。
2019年6月初版で、買った時は、まだ出版されたばかりだった。
著者は、1980年生の若い外科医だ。大腸ガンの専門医とのこと。
世の中には、医師が書いた本があふれている。
健康関連の本をはじめ、ガンについては、手術や抗がん治療を否定したもの、民間療法的なものを勧めるものまで、多種多様だ。
ただ、これまで「医者の本音」を語る本はなかった。
中山さんは、その理由を次のように解説する。
「がんの専門家は通常、中年以降の医師で、病院でも何らかの「役職についています」「この年齢とポジションの医者で、一般の方向けに本を書く人はほぼいません」「医者としての出世には何の役にも立ちません」
しかし、中山さんは、がんの専門家であるとともに、もの書きでもあるため、「現場の人間」として「医学研究の結果+現場の経験」をわかりやすく説明したと言う。
この「がん外科医の本音」の中には、私たちが普段疑問に思っていることが、データとともにわかりやすく、しかもきれいごとでなく率直に書かれているところがいい。
例えば、
「医者はがんを切りたがる」は本当か?
「切れば治る」となぜ断言できないのか
がんはなぜ「再発」するのか?
「医者は自分には抗がん剤を使わない」は本当か?
「がんは放置すべきか?」現場の医者の本音は
医者は「民間療法」を腹の底でどう思っているのか?
セカンドオピニオンで医者は気分を害すのか?
「医者100人がやっている」は信じていいのか?
「がんが消えた!?」トンデモ健康本はなぜ出版されるか
ネット情報はどこまで信頼できるか
先進医療は治療に必要なのか?
先進医療の特約を保険につけるべきか
等々
どれも日常、私たちが「どうなんかな?」と思うようなテーマについて、わかりやすく説明がなされ、また、過去に私が会ったあの医者が言っていたことはこういう意味だったんだなと思い至るところもあり、少なくとも私自身は得心できるところが多々存在した。
なお、この本を読んで初めて、中山さんが2018年8月に出版した「医者の本音」という本が10万部突破のベストセラーになっていることを知り、次は、これも読んでみることにした。
(続く)
今朝、古くからの友人から、突然、「NHKの、逆転人生に、いづみさん出てましたね!」というメールをもらった。
いやいや、出演してたわけではないです。
法律事務所の看板(ネームプレート)が映し出され、そこに私の名前もあったというだけ。
私もビックリでした。
昨夜午後10時からNHKテレビで放映された「逆転人生」は、京都で活動する全盲の竹下義樹弁護士の人生だった。
竹下さんは、私が司法試験に合格した当時、京都大学の中にあった同じ(私的な)勉強会に所属し、私が合格して2年後に竹下さんも司法試験に合格した。
司法修習生となった竹下さんは、京都修習となり、弁護修習は、当時、私が働いていた京都法律事務所に配属された。
そして、竹下さんは、1984年4月に弁護士となって京都法律事務所に入所し、1994年に彼が独立するまでの約10年間、私と竹下さんは同じ法律事務所で弁護士活動を行った。
昨夜のテレビには、竹下さんが事務所に入った頃の所員のネームプレートが画面に映し出され、私も自分の名前が出てビックリだった。
同じ京都で弁護士をしていても、竹下さんとは、もうずいぶん長い間、顔を合わせたり、ゆっくり話をしたことはない。
テレビに登場していた竹下さんは、若い頃よりは少し声は小さくなった(?)ものの、ユーモアとバイタリティーあふれる姿は、一緒に仕事をしていた頃と変わっていない。
テレビでは、柳園さんの国家賠償請求訴訟が取り上げられていたが、私には竹下さんと一緒に取り組んだ思い出の事件がある。
竹下さんが弁護士となった翌年の1985年に京都地裁に提訴したその事件は、自ら聴覚障害を抱えながら、昭和28年9月から京都府立聾学校の教師となった西田先生が、その障害のために、長年「助手」という地位に据え置かれ、教諭に採用されなかったという、被告京都府による聴覚障害者差別を問うものであった。
竹下さんは、新人弁護士ながら、弁護団会議での議論をリードし、また法廷では、あの大きな声で、裁判所や被告側を圧倒した。
元教え子、元同僚そして学者など、多くの支援を得て、1990年7月18日に京都地裁が下した判決は、西田先生の全面勝訴であり、京都府は控訴することなく、判決は確定した。
私にとっても竹下さんにとっても、初めて取り組んだ障害者差別事件だったと思う。
私の弁護士人生において心に残る貴重な事件の1つを、竹下さんと一緒に取り組めて本当に良かったと思う。
今週の「なつぞら」は、主人公なつの幼なじみで初恋の人であり、なつの絵や人生に大きな影響を与えた山田天陽くんが30代の若さで死亡するというストーリー。
天陽くんの優しさ、子育てと仕事との狭間で悩むなつへの彼の言葉は、朝から涙、涙である。
そんな天陽くんのモデルは、やはり32歳でこの世を去った、北海道十勝の画家神田日勝(かんだにっしょう)と言われている。
北海道十勝に「神田日勝記念美術館」がある。
もうずいぶん前だが、1度、訪れたことがあった。
実は、作家内田康夫の浅見光彦シリーズの大フアンであった私は、「幸福の手紙」という作品の中で神田日勝美術館が登場していたので、北海道十勝に行った時には是非訪れてみたいと思っていた。
見たかったのは、未完の馬の絵。
天陽くんは、死ぬ前日に自分の家のアトリエに戻り、馬の絵を完成させたが、神田日勝美術館には、馬の下半身が描かれていない未完の絵が飾られている。
死後発見されたというその絵がとても印象的だった。
また十勝を訪れる機会があれば、もう1度訪れてみたい美術館である。
先日、NHKの朝のテレビニュースで、最近の若者が切符を知らないという話題を取り上げていた。
ある鉄道の駅では、わざわざ「きっぷってなに?」というポスターを作成して、貼ってあるそうだ。
外国人向けではなく、日本人の若者向けということ。
驚いたなあ。
そういえば、私はよくバスを利用するが、若者や中年はカードを機械にあてるだけ、老人はバスカードを使う。私のように回数券や現金で支払う人はほとんど見かけない。
世の中は、気がつかないうちに、どんどん変化してる。
毎年、夏の時期になると、立命館法科大学院(ロースクール)では、、女性のための無料法律相談が開かれる。
大学院生の勉強の一環として、大学院生2人と女性弁護士とが一緒に、市民(女性に限る)の皆さんに対し法律相談を行うというもの。
弁護士が相談を聞いて学生が傍聴する日と、弁護士が横について学生が相談を聞く日とがある。
時間は1件につき1時間あるので、京都市内の区役所などで行われている通常の無料法律相談(1件20分)よりは、十分話を聞くことができる。
8月31日が私の担当日であった。
この日は、私が相談を聞いて学生が傍聴する日だった。
相談は2件。1件目は、夫と別居中の妻の婚姻費用請求の相談、もう1件は、相続の相談であった。
1件目は、家庭裁判所における調停や審判の流れあるいは調停委員の対応まで話が及び、学生にとっては、法律相談を受ける場合には、単に法律知識だけでなく実務の現状も知っていなくてはならないということが感じられたのではないだろうか。
2件目は、主に税金のことを頭に置いて相談を受けなければならなかった。税金の専門家は税理士だが、弁護士も最低知っておかなければならない税金知識もあり、相談終了後、そのことを簡単に解説した。
同席した学生さんたちは、次回は、自分で法律相談を担当することになる。
緊張するだろうな。
でも、実際に弁護士になって、数をこなさなければ「慣れる」ことはないだろう。
これも勉強。頑張ってください。
NHKの朝ドラは、クールによって観たり観なかったり。
今回の「なつぞら」は最初から観ている。
「なつぞら」は、戦争孤児の主人公「なつ」が、北海道十勝の開拓農家・柴田家に引き取られて成長し、高校卒業後、東京でアニメーターになって活躍するという話。
現在の放映内容は、昭和40年代、「なつ」の結婚・妊娠・出産という段階。
なつが妊娠する前、職場の同僚女性が妊娠し、会社から契約社員になることを迫られ退職した。
自分は出産後も仕事を辞めたくないと悩むなつ。
夫から、自分も一緒に子育てする、子育てしながら仕事を続ける「君がその道をつくるんだよ」と励まされ、なつは子どもを産む決心を固めた。
事情を知った職場の仲間たちも立ち上がって経営者に談判し、なつは社員のままで作画監督という重要な仕事を任されることになる。
実は、これは、ドラマの舞台とされている当時の「東映動画」で実際にあった話とのこと。
なつのモデルという言われる奥山玲子さんは、職場の中の労働条件などについて、高畑勲さんや宮崎駿さんらがいた東映動画労働組合の仲間とともにたたかい続けた。
そして、女性として出産後も働き続ける先駆けとなった。
結婚退職制が無効という判決が下ったのが昭和41年(住友セメント事件)、出産退職制が無効という判決が下ったのが昭和46年(三井造船事件)で、なつの時代である昭和40年代には、まだまだ結婚や出産による退職強制の制度は横行していた。
昭和の時代の女性たちが、この「なつ」のように、1つ1つの女性差別とたたかってきたからこそ、働き続ける権利を勝ち取ることができた。
しかし、約50年経った今も、「マタハラ」という言葉が生まれているように、妊娠や出産に対する女性差別は根強く残っている。
「保育園に落ちた」問題もある。
「仕事と子育て・家庭」との両立の問題は、まだまだ闘わなければならない課題である。
これからも、「なつぞら」から目が離せない。
それは、突然のことだった。
うちの冷蔵庫。朝食時までは、普通に動いていたはず(?)
でも、昼食の時になって、冷凍庫内の野菜が柔らかくなっていることに気がついた。
最初は、冷凍庫の扉が少し開いていたのかな?と思ったが、何時間経過しても、冷凍機能は復活しない。
壊れたんや!しかも、真夏のこの猛暑の時に!ショック!
とりあえず、緊急避難で事務所に行き、事務所の冷凍庫に食材を入れる。助かった!
そして、電気店へ駆け込んで注文する。
なんとか、2日後には配達してくれるとのこと。
世の中には、「冷蔵庫なし生活」を送っている人がいる。
そんなことをふと思い出したので、そのネット記事を読んだりした。
でも、私にはできないわ・・・・
子どもの頃からカレーライスが大好き。
最近、レトルトカレーも色んな種類が発売されて美味しいが、やはり自分が作るカレーライスの味が一番いい。
ここ数年、スパイスカレーにはまっている。
市販のカレールーは使用せず、カレー粉、ターメリック、ガラムマサラ、クミンなどのスパイスでカレー味を作る。量は適当。
しかも小麦粉は使わない。
タマネギをたくさん炒めたり、すりおろしたリンゴを入れると、結構トロトロになる。
ジャガイモや人参は入れず、ナス・おくら・トマトなど夏野菜中心。
鍋ではなく、フライパンで作るのだが、小麦粉を使用しないせいか、食べ終わった後はフライパンを水で洗えば、カレーがフライパンにこびりつくこともなく、後片付けも簡単。
真夏はやっぱりカレーでしょ!!
なかなか歯周病が改善しない。
歯医者へ定期検診に行くと、医者から、悪化はしていないが、良くもなっていないと言われ、治療を受けた後、「またしばらく様子をみましょう」と励まされ(?)帰宅するのがここ数年続いている。
(最近は、夜寝る前はもとより、朝起きるとすぐに磨いてもいるのだが・・・・)
そこで、最近、思い切って電動歯ブラシを購入した。
電動歯ブラシは、確か30代の頃に1度使ったことがあるが、あまり長続きはしなかった。
最近の電動歯ブラシは、充電式だ。
そして1分間に何万回も振動しているにもかかわらず、音も静かで、揺れる感じがしない。
でも磨き終えた歯は、ツルツルになっている。
私の毎晩の歯の手入れのフルコース。
1、デンタルフロスで歯間の掃除をする。
2、電動歯ブラシで磨く。
3、ジェットウオッシャーで口内を洗浄する(過去のブログ:右検索欄に「ジェットウオッシャー」と入力してください)。
4、洗口液で口内を洗浄する。
努力、努力
現在、安倍政権は、韓国への経済的制裁を進めています。
これに対し、次のような声明の呼びかけがありました。
https://peace3appeal.jimdo.com/
2019年7月24日は、京田辺市が主催する女性法律相談の担当日だったので、近鉄新田辺駅近くにある相談場所まで出かけた。
「京田辺市」と言うと、なんだか「遠い」というイメージがあるが、京都市営地下鉄の丸太町駅から地下鉄に乗って、竹田駅で近鉄に乗り換えれば、40分位で到着する。
そして相談終了後、依頼者の方と待ち合わせて、京田辺市にあるカフェを訪れた。
カフェは、その依頼者のオススメの店で、中学校教師を定年退職された女性が店主である。
きんこさん。
店は、近鉄新田辺駅から車で5分位の住宅街の中にある。
店の名前は、「kinco-ya」。
午後4時頃に入店したが、たまたま店には客はなく、きんこさん一人だった。
店内は割と広く、ゆったりしたスペース。
依頼者の方からきんこさんの人柄は聞いていたが、歯に衣きせない話しっぷりで、話題が豊富で尽きない。
平和や憲法が大好きで、サバサバした関西のオバチャンである。
「客にも、はっきり意見を言うので、ハラハラすることがあるんです」と言うのが依頼者の弁。さもありなん。
そういう人柄だから、かえって皆が集まってくるのかな。
手作りの、シフォンケーキとコーヒーをいただく。
シフォンケーキは、かなりボリュームもあり、おいしかった。
また、行ってみたくなる店だった。
今度はランチで行きたいなあ。
尾瀬の旅の2日目は、至仏山(2228m)登山。至仏山は2度目の登山となる。
1度目は、10年以上前にツアー登山に参加して、鳩町峠から山頂までを往復した。当時は、尾瀬の「山の鼻」からの登山は禁止されていたからだ。
現在は、山の鼻からは、植生保護のため、上りだけが認められている。
今回は、山の鼻の登山口から上り、鳩町峠へ下るルートをとった。
山の鼻から至仏山登山口へ向かう。
最初は樹林帯の中を上る。
このルートは、山頂までほぼ直登なので、なかなかの急登である。
やがて樹林限界となり、そのあたりから蛇紋岩の岩場を上っていく。
(岩場を上って来る登山者たち)
必死に上るが、展望の良い所に来ると、尾瀬や燧ヶ岳が見渡せるので、ホッとひといきつくことができる。
至仏山には、尾瀬とはまた異なった、たくさんの高山植物が咲いているので、それを見ながら上るのも楽しい。
ホソバヒナウスユキソウ。
エーデルワイスの1種だが、やや小ぶり。
後方で、広島からのツアーのガイドさんが、「ここにオゼソウ(絶命危惧種)が咲いています」と説明していたが、私は見落としてしまった。
高天原からは、木の階段を上る。
ようやく山頂へ。
たくさんの登山者が昼食を食べたりしていた。
下りは、小至仏山を経て鳩町峠へ。
雪渓を歩く登山者たち。
梅雨のまっただ中の旅だったが、雨に降られることもなく、また、登山もさほど暑くもなく、幸運な旅であった。
7月初めの週末、尾瀬の旅に出かけた。
梅雨ど真ん中の時期であったが、雨が降っても尾瀬歩きは出来るか、と考えて。
尾瀬は、新潟県・福島県・群馬県・栃木県の4県にまたがる、東西6キロ、南北2キロの高層湿原である。
これまで、尾瀬にある2つの山(どちらも日本百名山)、至仏山(しぶつさん、2228m)と燧ヶ岳(ひうちがたけ、2356m)の登山のため、尾瀬には2回訪れたことがあった。
夏になると、たくさんの珍しい植物が咲き乱れる、素晴らしい湿原である。
「夏の思い出」という歌がある。
歌詞の中に「夏が来れば思い出す。・・・水芭蕉の花が咲いている」とあるが、水芭蕉は、尾瀬では5月下旬から6月上旬までが最盛期の花で、どちらかと言うと、まだ残雪が多い春の時期の花である。
尾瀬というと、この歌を思い出すのだが、水芭蕉のくだりは、いつも「なんとなく変」と思ってしまう。
天気は曇りだが、幸い、雨は降りそうにない。
鳩待峠から、約1時間程下ると、山ノ鼻に着く。そこが尾瀬ヶ原の入り口である。
尾瀬の中には、いくつかの山小屋があるが、そこへ荷物を運ぶのは、歩荷(ぼっか)の仕事だ。
10キロ㎏もある荷物を担いで山小屋に運ぶ。
尾瀬ヶ原は、湿原保護のため、水平の木道を歩く。
曇り空だが、至仏山も燧ヶ岳も、きれいに望むことができた。
涼しくて、湿原の風が心地よい。
前方の山は、燧ヶ岳。東北地方の最高峰である。
この時期、まだ初夏の花が咲き始めたところで、木道の両脇の湿原には、珍しい花が少しずつ咲いている。
ただ、アヤメやカキツバタだけは、満開だった。
(アヤメとカキツバタの違い、わかりますか?)
水芭蕉は、こんな感じで少しだけ残っていた。
咲き始めた尾瀬ヶ原の花
ニッコウキスゲ
ワタスゲ
トキソウ
今回、尾瀬ヶ原を歩いて、初めて見たものがあった。
尾瀬には、伏流水が流れているのだが、尾瀬ヶ原の「竜宮」という所には、川の水が吸い込まれている場所 と湧き出している場所があった。
水が湧き出ている所は、これまで、例えば、富士山の周辺などで見たことがあったが、水が吸い込まれている所は初めて見た。
吸い込まれていく様子は全く見えないが、たくさんの川の水が水溜に流れ込み、そこから出て行く流れはないので、正に、地中に吸い込まれているということである。
面白い!
毎年この時期になると、年1回の人間ドックに行く。
胃の検査は、これまで専らバリュウムを飲んで行う検査を受け、再検査の指示があった時だけ、口からの胃カメラ検査を受けた。
口からの胃カメラ検査は、過去3回程受けたことがあるが、あの吐き気をもよおす苦しさを思うと、尻込みしてしまう。
もうずいぶん前に、友人から「鼻からの胃カメラ検査は、痛くないし、楽」と聞いた。
でも、その時は、楽と聞いても、にわかには信じがたく、それ以降も受けようとは思わなかった。
しかし、今年は、あまり悩むことなく、1度、鼻からの胃カメラ検査を受けてみようと思い、申し込んだ。
初めての体験は、やはりドキドキ。
他の検査を終え、胃カメラ検査の部屋に行くと、マッサージチェアのような椅子が置いてあり、そこにゆったりと腰掛け、まず、胃の中の泡をとるための液体を1杯飲む。
次に、鼻腔を広げ鼻出血を予防するための薬を両方の鼻の穴に注入し、約7分待つ。
そして、左右どちらの鼻が通りやすいか選ぶ(自分ではわからない)。
(この時、女性は鼻腔が狭いので、チューブが通りにくい時には、口からに変えますと説明があった)。
左穴から通すことになり、麻酔液が注入される。
検査室に案内され、ベッドで横向きに横たわる。
医師が「今からこれを入れます」と先端にカメラがついたチューブを見せる。
意外に太い!直径5ミリくらいはあるんじゃない?
看護師さんから「痛い時は『痛い』と言ってね」と言われる。
チューブが鼻を通る時、とても痛かったので、言われたとおり「痛い!」と言い、頭も思わず上にのけぞった。
看護師さんが「気持ちをゆったりね」と声をかけてくれながら頭を元に戻してくれた。
その後はずっと背中をさすってくれていたので、それからは痛みを感じることもなく、カメラが映す自分の胃の中の状態をモニター画面で見る。
画面を見ながら、医師と会話もできた。
検査自体は10分くらいで終了した。
初めて鼻から受け、口からよりは苦しくなかったというのが率直な感想。
じゃあ、来年はどうする?
わからんなあ・・・
奥村正子さん、1930年7月7日生まれ。
今年、数え年で90歳となる。
配偶者が2017年に亡くなり、現在は、茨城県鹿嶋市で一人暮らし。
いやはや、本のタイトルどおり、とにかく「すごい」。
普通の主婦だった奥村さんは、72歳でベンチプレスを始め、82歳で世界一に、90歳になる今も現役。
奥村さんのことは、ネットニュースで読んで知っており、前々から「すごい人やなあ」とは思っていたが、書店で本を見つけたので、すぐに買って読んでみた。
奥村さんが運動を始めたのは、膝に水がたまった50歳の頃。
大腿四頭筋を鍛えて強くすれば膝の痛みがなくなって水もたまらないことを知り、トレーニングを始め、これが運動のきっかけに。
膝の痛みがなくなり、「50歳になっても筋肉は鍛えられる」ことを実感した奥村さんは、歩くために、次はゴルフを始める。
そして、ジム通いがきっかけで、72歳でベンチプレスと出会う。
ベンチプレスとは、バーの両端にプレート(重り)を何枚かつけて、それをベンチに仰向けになってまっすぐ押し上げるという種目。
奥村さんは、努力すれば、つけるプレートがだんだん増えていき、それが面白くて、ジム通いが楽しくなってきた。
82歳からは、ベンチプレスのパーソナルトレーニングをつけ、2013年には初めて世界大会に出場。初出場で、70歳以上の部47㎏級で、金メダル。
2019年5月に日本で開催された世界大会で5度目の金メダルを獲得した。
本では、奥村さんの日常生活も紹介されている。
「健康の秘訣は?」と尋ねられて、奥村さんは、「何よりも毎日の食事のおかげ」と答える。
外食はせず、手抜きもせず、朝たっぷり、昼は簡単の1日2食。
水曜と土曜は、水戸市にあるジムへ。
自宅から最寄り駅まで25分歩き、電車に1時間以上乗って、水戸駅からジムまで30分歩く。これの往復。
奥村さんのすごいところは、何事も継続していること、そしてその継続した効果を実感してそれを面白いと感じられるところじゃないかなと思う。
ランニングもされており、東京オリンピックの聖火ランナーになることも目標とのこと。
「継続は力なり」という言葉があるが、奥村さんは、継続すれば、いくつになっても、やれないことはないと教えてくれる。
こうやってブログを書いていたところ、滋賀県大津市に住む山ノ井貞子さん(75歳)が、2012年脳梗塞を患ってそのリハビリのため始めたベンチプレスで、2019年5月の世界大会70歳以上の部52㎏級で初出場し金メダルを獲得したというニュースが飛び込んで来た(2019年6月30日付け京都新聞朝刊)。
いやはや、年齢を言い訳にはできないなあ・・・
テレビ東京系(関西では、テレビ大阪)で毎週深夜に放映されている、「きのう何食べた?」に、はまっている。
放映は深夜なので、ビデオに録画して、時間がある時に観ている。
原作は漫画らしく、作者は、よしながふみさん。
西島秀俊演じるシロさん(弁護士)と内野聖陽演じるケンジ(美容師)のゲイカップルが主人公。
私が、何で、はまっているかと言うと、
1つ目は、内野聖陽のゲイの演技がこれまでにない新境地で、「さすが俳優!」と、毎回、感心して見入っている。
私のこれまでの内野聖陽のイメージは、大河ドラマ「風林火山」や「臨検」などの強面の男。
それが、言葉使いはもとより、指つかい、目線、所作などすべてが「女性」になりきっているのである。
2つ目は、毎回、シロさんが作る手料理。
料理番組と同じくらい、丁寧に作り方を教えてくれる。
それもあまり面倒なものではなく、つい自分も作ってみたくなるような料理ばかり。
ちなみに、「きのう何食べた?」のレシピ本も発刊されている。
さて、そんなドラマも、もう来週第12話が最終回。
残念やねえ。
今は、身体を動かす習い事をしていないので、運動と言えば、月2回のスポーツクラブ、たまの山歩き、たまのウォーキングだけだ。
これではあかん!と思い、4月から毎朝、テレビ体操をしている。
テレビ体操は、NHKのEテレで毎朝6時25分から35分までの10分間、体操をする番組である。
最近は夜明けが早いので、たいていは午前6時前に起き、テレビ体操が始まるまで、新聞を読んだり、午前6時からの語学番組を観たりする。
そして午前6時25分から体操開始。
メニューは、
月曜から土曜までは、ポイント体操➕「ラジオ体操」(第1と第2を毎日交互に)。
日曜は、「ラジオ体操」第1と第2すべて。
「ラジオ体操」は、計算し尽くされた究極の運動で、効率の良い全身運動とカロリー消費、ケガをしない安全性などが魅力と紹介されている。
ただ、批判的な意見もあるようで、「ラジオ体操」では脚の筋肉を鍛えないので、高齢者には「膝や腰を痛めるリスクがある」と指摘する医者もいるようだ。
確かに、ずっと続けていると体調は良いが、指摘されているとおり、やはり下半身への刺激は弱いという実感はある。
夜、ボッーとテレビを観ているのではなく、下半身の筋トレをするとパーフェクトかな?
まあ、とりあえず、「継続は力」と信じて、朝のテレビ体操は続けることにしよう。